第29話 与えられる奇襲

 フランソワ、クラリッサの二人組は、まずクラリッサが眠ることになった。

 もう既に日は沈んでおり、フランソワは周囲にいた兎と蛇を器用に捕まえて、火で焼いて二人で食べた。生き物を殺すということに若干の忌避は感じたものの、仕方ないと割り切って食べた。兎の肉というのは初めて食べたけれど、とても美味しかった。

 そして先にマントに包まったクラリッサから寝息が聞こえ、フランソワはそんなクラリッサを守る寝ずの番として、座ったままである。


「……」


 さすがに話し相手がいるわけでもなく、普段から声を張り上げているフランソワも、じっと周囲に注意を向ける。

 僅かにでも動きがあれば、そこへ目を向ける。通りがかっただけの野生動物であり、フランソワが安堵の息を漏らす、ということが既にクラリッサが眠ってから五度目だ。

 寝ずの番とは、これほどに心労が溜まるものなのか――そう思いながらも、弓矢を手から離すことなくじっと待ち続ける。

 フランソワも前の晩、ろくに眠っていない。正直なことを言うと、眠気が溜まっている。先にクラリッサが眠ることになったのは、公平なくじ引きの結果だ。


「……はっ! ううっ!」


 うと、うと、と船を漕ぐのを自覚してから、首を振って眠気を飛ばす。

 かといって、そう簡単に飛んでくれないのが眠気だ。仕方なく、どうにか頑張って起きようと心の中に活路を求める。


 思い浮かべる姿は――バルトロメイ・ベルガルザード。

 精悍な顔立ちに、男らしい体つき。フランソワを救ってくれた暖かい掌と、その逞しい背中。思い浮かべるだけで胸がきゅんとした。

 ちなみにフランソワの思い浮かべている精悍な顔立ちは、一般的には化け物のような顔と恐れられるもので、男らしい体つきとはイコールで毛深いそれである。当然、一般的な女性が胸をきゅんとさせる代物ではない。


 この訓練を超えることができれば、きっとフランソワは、よりバルトロメイの妻に相応しい淑女となることができる。

 将来は必ず、バルトロメイの妻になるのだ――そう信じて、フランソワは大きく頷いて。


「――っ!」


 がさり、と茂みに何か音がした瞬間に、そちらへ矢を向ける。

 夜の森というのは、静かだ。だからこそ、そこに音がすれば一瞬で分かる。


 そこにいたのは、初日の夜――襲いかかってきた『山賊国』の衣装。

 クラリッサが、「あれはヘレナ様の変装だと思う」と言っていたのを思い出す。だけれど、確実にそうだというわけではない。もしも本当に『山賊国』の残党であれば、今眠っているクラリッサの命すら脅かされるものだろう。


「は、ぁっ!!」


 ゆえにフランソワは、何の躊躇いもなく弓を引く。

 そもそも鏃のついていないそれは、当たったところで刺さらない。だけれど、強い威力で引いたものであれば、少なからずダメージはあるはずだ。

 やや離れた、『山賊国』の暴徒が上げた右手へと思い切り矢が当たる。

 そんな矢に弾かれた暴徒は、そのままフランソワへと背を向けた。こちらへ襲いかかってくることなく。


「……やっぱり、ヘレナ様!」


 クラリッサの予想は、やはり正解だったのだろう。

 もしも本当に『山賊国』の暴徒であれば、ただの一撃で退くことはあるまい。ならば、反応でき対処できたことに対して、ヘレナが評価をしたということだ。

 他の面々の相手もしなければならないだろうし、忙しいヘレナはこんな風に全員のところを回っているのだろう。

 ほっと一息ついて、石へと腰を下ろす。

 これで、暫くは襲われることも――。


「――っ!?」


 次の瞬間。

 すぱーん、と後ろから思い切り、後頭部に音が伝わった。

 この威力は、知っている。今日の昼間に受けたばかりの、ヘレナが持つ『ハリセン』という東方の武器だ。

 武器とはいえ殺傷能力はまるでなく、ただ音を出すことだけに特化したものである。だけれど頭を打たれた衝撃というのは少なからずあり、視界がくらくらする。

 頭を押さえながら、後ろを振り返ると。


「……」


 そこにいたのは――『山賊国』の残党の衣装。

 先程、フランソワが追い返したはずの、ヘレナ――。


「そ、んなっ……!」


 そんなヘレナは、ゆっくりと右手を上げて。

 指の数だけで、『二』と示した。

 それは単純にして明快。フランソワの死んだ数だ。今日の昼間に、既に一度死んでいるのだから。


「あ、あ……!」


 間違いなく、ヘレナを打倒したはずだった。

 間違いなく、ヘレナを追い返したはずだった。

 なのに、何故――。


 そのままヘレナはフランソワから背を向けて、森の中へと去っていった。

 そこに残されたのは、強い敗北感。一体どんな原理で、目の前から背後の森へと回ったのだろう。

 魔法のような出来事に、フランソワはただ絶望するだけだった。











「フランソワはこれで二度目、か」


「……少しばかり、騙し討ちのような真似になってしまいましたが」


「気付くといいがな」


 くくっ、とヘレナは腕を組んで、森の中心で笑みを浮かべた。

 種を明かせば簡単だ。ヘレナは一人などではなく、平時は後宮における警備をやっている銀狼騎士団に、少々動いてもらったのである。


 分散しろ、とヘレナは指示を出した。だが、同時に彼女らの安全も確保する必要がある。五人がまとめて集団で動いているのならばともかく、さすがに分散してはヘレナも守りきることができないのだ。これで訓練中に不味い事故でもあり、人死にがあったときに責められるのはヘレナである。

 ゆえに、ヘレナは銀狼騎士団を動かした。既に戦争は終わりを告げ、軍人は暇を持て余している状態である。私的なことではあったけれど、ティファニーは快く承諾してくれたのだ。


 ゆえに現在は、五人とも常に護衛がついている状態である。気付かれない位置で。

 さすがに、後宮にいる他の面々に対する警護も必要であるために、それほど多くの人員を動かしているわけではないが。その代わりに、人員の質は高めた。


 アンジェリカに対しては、『銀狼将』ティファニー・リード自らが。

 マリエルに対しては、副官ステイシー・ボルトが。

 フランソワに対しては、補佐官メリアナ・ファーレーンが。

 クラリッサに対しては、補佐官ディアンナ・キースが。

 シャルロッテに対しては、侍女であるエステル・ランバースが絶対に自分が、と主張してきたので任せている。


 ちなみに、五人に対して与えている護衛の格は、その地位の格の差でもある。さすがに皇族の一人であるアンジェリカに対しては、最も戦闘力の高いティファニーに任せているのだ。


「引き続き、他の四人に対しても行ってゆけ。まずは違和感を持ってもらう。そこから、気付くかどうかだ」


「……承知いたしました。その暁には」


「ああ、分かっている」


 彼女らは、こう思っているはずだ。

 この戦いは、『ヘレナ一人に対して自分たち五人で向かってゆく』と。

 だが、戦いの情勢などいくらでも変わる。敵に援軍が来ることなどままあり、最初に与えられた情報が違うということも少なくない。

 それに気付けるかどうか――それが、二番目の課題だ。


「踏んでやるとも」


「……ありがたき幸せ」


 そんなヘレナの言葉に、遊撃として全員を背後から襲うように命じてある。

『紫蛇将』アレクサンデル・ロイエンタールは、薄く笑みを浮かべた。

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