第4話 再びの失言
その日のうちに、ヘレナは文を出した。
内容は簡潔であり、「ファルマス陛下が一月ほど何の執務も行わなくて良い期間を作ってほしい」というだけである。特に何をするとか目的は明確にしていないけれど、きっと聡い父ならば察してくれるはずだ。
そして、夜に再び訪れるのはファルマスである。
基本的に毎夜やってくるファルマスとの話題は、既にほとんどない。大体の話題は出し尽くしてしまったし、軍にいた頃の思い出話とかも大体全部教えている。過去とか母のこととか、多分ファルマスの知らないヘレナはどこにいないのではなかろうか。
「ふぅ……」
そんなファルマスは、ヘレナの前に座ってのんびりと酒を飲んでいる。
以前までお茶ばかりだったけれど、ノルドルンドという政敵がいなくなったことで心に余裕ができたらしく、このように酒を飲むことが多いのだ。酔い潰れてヘレナが寝台まで運んだことも二度ほどあったりする。
そして、正妃にして皇后とすると明言され、立場を明確にされた今でもヘレナは全く手を出されていない。
何故なのかは分からないけれど。以前は「政治の混乱が収まるまで」と言っていたが、現状収まっているというのに不思議である。
「お疲れですか? ファルマス様」
「む……あ、ああ、すまんな。今朝の訓練が、割と体に堪えたらしい」
「明日からは手を抜くなと仰いましたが……」
「うむ。手は抜くな。このように疲労しているのも、余の体力不足からくるものに他ならぬ。そなたの鍛練についてゆけるように、余もしっかり体力をつけねばな」
頑なに、そう言って譲らないファルマス。
まぁ、きっとそれだけの気合があるのならば、ヘレナの
心の中だけで、どのようなメニューを行うか考える。
だが、その前にやっておかねばならないことがあるだろう。
「あの、ファルマス様」
「どうした?」
「以前に……後宮のことは、私に任せると、そう仰って下さったと思うのですが」
「む……ああ、確かに言ったな」
ヘレナはきっちり、そのことを覚えている。
任せるということは、即ち後宮という治外法権の場所における法となれ、ということだ。ヘレナが法となり、そしてその法に全員を従わせる権限を持つ、と言ってもいい。
だからこそ、ヘレナはファルマスへ何の相談もすることなく、『極天姫』クリスティーヌが勝手に連れ込んだ偽宦官、ロビンを断罪したのだ。それが後宮という法における咎人であれば、ヘレナは処刑する権限を持つのである。
そして。
今きっちりと言質を取っておかねばならないのは――ファルマスの身分に対しての態度である。
「ファルマス様は、皇帝陛下です。午前に訓練に参加してくださることはありがたいのですが、ファルマス様がいることで他の弟子たちが萎縮してしまうことも多々あります」
「余のことは、気にせずとも良いのだが……」
「ファルマス様はそうお考えでも、皆がそう考えるわけではありません。いずれファルマス様が他の弟子と手合わせする際に、皇帝というご身分があれば、それだけで本気を出すことは難しくなるでしょう」
「ふむ、そうなのか……」
これは事実である。
現実に、軍は貴族としての身分など一切効果がない。だが、新兵のうちはまだ貴族の身分制度が尾を引いている部分があり、
そして、それが皇帝という絶対無二の権力者であればどうなるか。
既に完全に割り切っている一期生の面々ならばともかく、二期生や三期生となると萎縮してしまう可能性は高い。
「ですので、申し訳ありませんがファルマス様。私に師事されると仰るのでしたら、他の弟子たちと同列の扱いをさせていただきます。皇帝という絶対無二の身分であれど、私が後宮を統べる者としてその上に立ちます。よろしいでしょうか?」
「ふむ。そういうことならば構わぬ。元より余の我儘だ。そなたの妨げになるようなことは、するつもりなどない」
「ありがとうございます」
よしっ、と心の中だけで呟く。
これでどのような
ゆえに、ここでファルマスの了解を得られたことで、スムーズに
「しかし、そなたは毎日が充実しているな。楽しそうだ」
「まぁ、弟子たちを鍛え上げることは、私の喜びでもあります。彼女らが、いずれ強くなって私を超えてゆくことを楽しみにしています」
「そなたは、そう簡単に超えることなどできぬと思うが……」
「私も、決して簡単に超えさせるつもりはありませんよ」
ふふっ、とヘレナは笑う。
そんなヘレナに対して、ファルマスもまた苦笑した。
「誰が予想しただろうな……後宮で流行していることが、まさか鍛練だとは」
「私からすれば、いつもやっていることなのですが」
「他に後宮にいる面々からすれば、意味の分からぬ行動だろうよ。あやつらは、友人とのお茶会などで日々の無聊を慰めてばかりの日々だったのだ。そうさせたのも父、そして余であるがゆえに、何も言うことができぬがな……」
「ファルマス様……」
実際に、このように後宮に多くの側室が送り込まれた要因の一つは、前帝ディールの早逝だ。前帝ディールさえファルマスが正妃を娶るまで生きていれば、後宮に女が集められるという悪法が発揮されることはなかった。
そして、そんなファルマスも奸臣ノルドルンドの操り人形のようなイメージを与えていたがために、与し易いと考えた貴族家の子女が集められた――そこに、ファルマスの責任もないとは言えない。
もっとも、その胸にあった大望は誰にも知られていなかったようだが。
「む……」
「はい?」
「いや……ふと、疑問に思ってな」
ファルマスがそう、不思議そうに首を傾げて。
そして、その正面にいるヘレナを見据えた。
「令嬢の趣味といえば、友人との茶会というのが定番だが……そなたから、友人の茶会に出たという話は聞いたことがないな」
「以前、マリエルやフランソワと共にお茶会には……」
「だが、奴らはそなたの弟子であろう。友人ではない」
確かにその通りである。二人ともお姉様、ヘレナ様、と慕ってくれているし。
他の茶会には、出席したことがない。まぁ、出席するくらいならば鍛練をする方が自分のためになるため、ヘレナにしてみても特に異はないのだけれど。
だが、そんなヘレナに。
ファルマスは――小さく、呟いた。
「……そなた、友達はいないのか?」
ぐさりと。
そんなファルマスの言葉が、ヘレナの胸に刺さった。
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