第209話 後宮の戦-シャルロッテ-
「はっ!」
シャルロッテの突き出した拳が、最も近い位置にいた賊徒の顎を打つ。それと共に頭を揺らし、視野を乱し、意識を失って倒れてゆくのを見届けることなく、次の敵へと肉薄する。
限りない近接戦闘特化――ヘレナは、シャルロッテをそう評した。
武器を持てばその実力が半減する、とさえ言われたほどに、シャルロッテは近接格闘術に優れている。少なくとも、シャルロッテは武器を持つことが、自分の体を十全に動かすことができない、とさえ思っているのだ。重い槍などを持てば、それだけで自分の速度が下がる、と思えるほどである。
だからこそ、どれほど敵が迫ってこようとも、一つも当たらない、と確信できる。
ヘレナはこれを、天性の第六感と称した。
シャルロッテにしてみれば、大したことをしているわけではない。ただ、攻撃の来る気配、空気の微妙な流れ、それに敵の注視している場所など、総合的に考えた上での回避である。もっとも、そこまで詳しく考えている、というわけではない。無意識下で総合的に判断して、自動的に体を動かしているこれは、確かに第六感と呼んで吝かではないかもしれない。
そんな才能ゆえか、既に数えるのも面倒になるくらいに賊徒を沈めてきたけれど、まだ一撃ももらっていない。ヘレナとの対峙ならば、既に数発はもらっているだろう、と思えるのに。
「うらぁっ!」
「死ね小娘ぇ!」
「……」
二人同時に攻めてくるのを、眼で確認しながらも周囲への警戒を怠らず。
しかし、一人がまず攻撃を仕掛けてくるのを確認して、紙一重で回避する。そして、攻撃を仕掛けてきたがゆえに、体勢がやや崩れている賊徒の腹に向けて、同時に一撃を放つ。
「ごふっ!」
「はぁっ!」
「……」
さらに、後ろからやってきた賊徒の攻撃を、身を屈んで避ける。そしてその懐へと思い切り入り込み、鳩尾へ向けて肘を打つ。
シャルロッテを超える巨体が、肘の一撃と共に足の力を失い、前に崩れた。その様子も眼で確認することなく、ただ勘に任せて後退した。
正直に言って、少しばかり期待外れだった。
後宮で鍛え続けていたシャルロッテは、まともに男と戦うのは初めてだったのだ。
そして後宮に入る前のシャルロッテにとって、男というのは恐ろしい存在だった。夜会で声をかけてきて、無理やりシャルロッテの腕をとってきたならず者――そんな男の姿を思い出して、恐怖した夜もあった。
だからこそ、強くなった今――この力が男に通じるのか、と試したい気持ちがあったのだ。
だが、何一つシャルロッテは攻撃を受けることなく。
男は、シャルロッテの一撃で沈むような惰弱。
この程度が男か――そう、溜息を吐かずにいられない。
だが、それだけ、シャルロッテが強くなった、ということだ。
もしも後宮に入ることなく、ヘレナと出会っていなければ、絶対に開花することのなかった自分の才能――それを考えて、ぞっとする。今となっては、何故あのようにお茶会をして慰める日々の無聊に、満足をしていたのか分からない。
毎日、自分を高みに運ぶための鍛錬を繰り返す――それが、これほどまでに幸せだとは思わなかったのだ。
だからこそ、今――ヘレナと、戦いたい。
もっと、もっと、強い者と戦いたい。
まるで戦闘狂のような自分の考えに、思わず笑みが浮かんだ。こんな風に変わってしまったシャルロッテを、父はどう思うだろうか。
いや。
もう、シャルロッテは己の闇と決別した。毒を用いてヘレナを殺す、という選択肢を捨てた。ゆえに、もはやシャルロッテに、帰る家はないようなものだ。
「お嬢様、少々油断しすぎかと」
「大丈夫ですの、エステル。ちゃんと察していましたの」
「……左様ですか、それは失礼いたしました」
シャルロッテの背後に回ってきた賊徒を、そう侍女――エステルが処理してくれるのが分かる。
思えば、このエステルにもどれほど世話になってきただろうか。一人で鍛錬を行うと、どうしても限界がある。そんな中で、自室での鍛錬に毎日付き合ってくれたのが、エステルだった。
未だに、まだ一度も勝てていないけれど。
シャルロッテが未だに土をつけることのできていない相手は、ヘレナとエステルの二人だけだ。マリエルを相手にしては槍と徒手で五分五分、フランソワは七三でシャルロッテの勝ち、クラリッサは変貌してからまともにやりあっていないが、それでもいい勝負には持っていけるのではないか、と思っている。
目の前の賊徒を沈め、そして、大きく息を吐いて。
「ふんっ!」
「はっ!」
「……っち」
「どさくさに紛れて、狙うのはやめますの。今は共闘ですの」
「……何のことだか分かりませんわ」
後ろから襲いかかってきた、カトレアの長い足を掴んで、そう注意をする。
シャルロッテの隙を見つけるたびに、このように襲いかかってくるのがカトレアの悪い癖だ。少々厳しくしたことは否めないし、そのせいで恨まれているのは分かるけれど。
だが。
こんな風に、カトレアと話したことがこれまであっただろうか。
上辺だけ、一応『月天姫』の地位にあるシャルロッテに従っている、というだけの印象だった。シャルロッテが何を話しかけても、「そうですわね」くらいの反応だった。
それが気付けばこのように、拳と足を交わす仲になっているなんて。
「これは、躾が足りませんのね、カトレア。これが終われば、もっと厳しくしますの」
「……っち」
「相変わらず態度が悪いですの」
カトレアが舌打ちと共に、長い足で賊徒を蹴り飛ばす。
足は腕の力の三倍、という話は聞いたことがあったけれど、やはり体重を乗せた威力は高いらしく、賊徒が吹き飛ぶのがわかった。
鍛えた分だけ、ちゃんと強くなっている、ということがよく分かる。教える者の喜び、というのも少なからずあった。あとは、もう少し態度を良くしてくれれば一番なのだけれど。
ふぅ、とシャルロッテは、その整った唇から熱い息を吐いて。
「エステル」
「はい、お嬢様」
「後宮から出たら、あなたは何をしますの?」
「私は、お嬢様に従うのみです」
「そう。なら、付き合いますの」
賊徒の攻撃を躱し、的確に反撃を放ちながら、そうエステルと話をする。
敵からしてみればふざけているようにも見えるだろう。だが、その程度の余裕があるくらいに、弱い者ばかりだった。
永遠にでも、避け続けることができる――そう思えるくらいに。
「何をされるのですか?」
「いずれは、ガルランドに行きますの。そこで、ヘレナ様の妹様と戦いますの」
「……王族の奥様だそうですけど」
「関係ありませんの。ヘレナ様の妹なら、きっと戦ってくれますの」
「……でしょうね。では、旅費はどうなさいます?」
「ええ……」
うふふ、とシャルロッテは笑う。
笑いながら拳を血に染め、返り血に頬を染める。
接近戦が、これほど好きな、その理由。
きっと、この距離――命の危機にあるこの戦いこそが、生きていると感じられるから。
「報奨金を狙って、闘技場にでも出てみますの」
「良いですね。謎の仮面女拳闘士とかですか?」
「それ、面白いですの!」
あははっ、うふふっ、とシャルロッテは。
気付けば、哄笑しながら戦っていた――。
エインズワース伯爵家が妾腹の娘、『月天姫』シャルロッテ・エインズワース。
彼女は。
その生き様も心意気も、ただ拳に命を賭ける、武姫である――。
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