第192話 開戦

 ヘレナの率いる五千の兵――禁軍三千と傭兵二千の混合軍が、リファール王国との国境に存在する砦に入ったのは、帝都を出発して三日目のことだった。

 南北に長いガングレイヴ帝国は、その代わりに帝都の西側が狭いのだ。それゆえに、最初――ヘレナが後宮に入る直前、リファールの英雄ガゼット・ガリバルディ率いるリファール軍を、帝都近くで迎撃せねばならなかったのだけれど。

 今回は、リファールの進軍情報も分かり、その上で砦に布陣しての戦いだ。


 代わりに、率いる禁軍の兵は少なく、またリファール側も総力を結集した――三万という大軍だけれど。


「さすがに、三万の兵ともなると、威容だな」


「……あれが、リファール軍」


「怖気付いたか? 今ならば、帝都に戻っても構わんぞ。後宮にいれば安全だ」


「……いいえ、まさか」


 既に肉眼で確認できる、三万の兵。

 それはまるで塊のように、ゆっくりとこの砦へ向けて進軍してくるのが分かる。

 防衛戦とはいえ、六倍の敵軍を相手に守らねばならない――その逆境に、思わずヘレナは笑みを浮かべた。


「メリアナ」


「はっ!」


「メリアナには南門を任せる。禁軍千二百を率いて防衛しろ」


「承知いたしました!」


 今回、この砦で防衛しなければならないのは正門、南門、北門の三箇所だ。

 最も敵軍が広く布陣できるのは、正門の前である。南門は山を背に森があり、北門の側には大河が流れているからだ。かといって南と北の防衛を疎かにするわけにもいかない、という状況である。

 ゆえに、南と北には信頼できる者を置かねばならない。

 そういった点では、銀狼騎士団が出陣はしたけれど、残る警備兵たちの指揮官としてメリアナを残してくれていたことは助かった。

 ヘレナが手ずから鍛えた者でもあり、その実力はよく知っているのだから。

 そして。


「テレジア様 北門の防衛をお願いします」


「承知っす」


「傭兵千二百を預けます。よろしくお願いします」


「ええ。テレジアさんにお任せっす」


 うひひ、とそう返事をするのは、口調に見合わない壮年の女性である。

 テレジア・リード。

 今回、傭兵を募集するにあたり、指揮官として動ける人物を帝都で探し、唯一いた女性である。その経歴として、やはり大きいのは元八大将軍の一人、『銀狼将』だということだろうか。ティファニーの実の母であり、前任の将軍である。

 ヘレナの母、レイラが『銀狼将』から引退すると共に、その地位を譲り受けた人物だ。レイラという歴史に残る英雄と比べるとその実力は劣るが、それでも将軍として前線で戦ってきた間違いのない本物の指揮官である。

 既に引退している人物に、このように任せるというのも申し訳がないけれど。


「いやー、感慨深いっすね」


「え?」


「アタシはレイラ将軍の副官だったっすよ。その娘さんと一緒に戦えるなんて、なんだか運命みたいなものを感じるっす」


「母ほどの力は、期待しないでください」


 ヘレナは苦笑しながら、そう答える。

 未だ、この身は母に到達しているとは思えない。そんな状態で、誰よりもレイラ・カーリーという英雄の側で、その力を見てきた人物にそう言われると、妙な圧力を感じてしまうものだ。

 だが、それでも。

 母には未だ至らずとも。

 この戦いに、負けるわけにはいかないのだ。


「残る兵は、正門で私が率いる。マリエルも私についてこい」


「はい、お姉様!」


「恐らく、最も厳しい戦いになるぞ。死ぬな」


「はい!」


 ヘレナはそのように配置を決め、それから砦の中――五千の兵が一同に会した、そこに向き直る。

 まだ戦端は開かれていない。だが、恐らく明日の日中には戦争が始まるだろう。

 恐らく敵軍も、近くで天幕を張って、休めてから戦う、という形になるはずだ。

 ゆえに、まだ時間はある――。


「諸君」


「……」


 五千の兵の前で、そう立つ。

 ヘレナはこの五千を率いて、どうにか防衛をしなければならない。

 そのために必要なのは、兵の士気であり一体感だ。ここにいる五千の兵を、一つの生き物として昇華させる――それが、戦争である。

 それを一つの巨大な生き物とするのが、指揮官の仕事なのだ。


「これより、我らは三万の兵とまみえることになる。こちらの六倍だ。大軍だと言ってもいい」


「……」


「実に滾る。そうは思わないか、諸君」


 くくっ、とヘレナは笑ってみせる。

 六倍の戦力差。それは、普通に考えればどう考えても敗北しか見えない。基本的に、敵よりも少ない数で戦うことを避けることが、戦術の基本なのだから。

 だが。

 それでも、この兵で防衛をしなければならないのだ。

 ゆえに、ヘレナは笑う。


「エル=ギランドの戦い、トールの関攻略戦……歴史に名を残す戦いは、そこにいた者を英雄へと昇華させた。ならばこの戦いにおいて、諸君らが得るのは何か。そんなものは決まっている!」


「……」


「六倍もの敵軍に果敢にも立ち向かい、果てる――そのような結末を、誰が望むものか! ここに集う諸君は英雄だ! 英雄たる者の戦に、そのような結末が許されるものか! ならば我らが行うべきはただ一つ、勝利のみ!」


「おぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


 ヘレナの鼓舞と共に、そう声を上げる兵士たち。

 士気は上々――あとは、どれほど戦場でこれを活かせるか。


「六倍の戦力差だと? だからどうした! ここに集う我らは全て英雄である! たかが六倍! 一人が六人の首を斬れば帳尻が合うだけの話だ!」


「おぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


「歴史には記されるだろう! 死地に赴き、しかし勝利を掴み取った英雄と! 国に誇れ! 民に誇れ! 家族に、子に、恋人に誇れ! 己は英雄として戦場より帰還したのだと!」


「おぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


「この地を抜けさせては、我らが守るべき民に! お前たちの愛すべき家族に! 奴らの凶刃が振るわれるかもしれん! そのような結末を誰が望むか! 守ることができるのは、我らだけだ! そのためにお前たちができることは何だっ!」


「殺せ!!! 殺せ!!! 殺せ!!!」


「そうだ! 敵は我が軍の六倍だ! だからどうした! その程度で何を恐れるか! 勇名を上げるときは今だと喜べ! 状況は最高だ! 蹂躙するにこれ以上の機はない!」


「うおおおおおおおおおお!!!」


 激しく怒号を上げる兵に、ヘレナは笑い続ける。

 指揮官は、常に余裕を持つことこそが最善なのだ。指揮官が焦ることだけは、絶対にしてはならないのだ。

 それゆえに。

 どれほど絶望的な戦力差でも、笑うのだ――。


「諸君! 私の後に続けっ!」


「ヘレナ様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


 準備は、整った。

 これで、できることは全てやった。

 兵も集めた。援軍も求めた。糧食も用意した。士気も上げた。

 人事は尽くした。


 ならばあとは――天命を待つのみ。

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