第167話 閑話:姦計の帰結

「何と……!」


 離れの私室において、ティファニーから報告を受けたファルマスは、そう震えながら憤慨した。

 既に夕刻も近くなってきたが、どのような顔をしてヘレナに会えばいいのだ、と思いながら悶々としていた矢先、突然にティファニーがやって来たのだ。後宮で何かあったのだろうか、とファルマスはティファニーを通し、その報告を受けたのだが。

 俄かには、信じがたい話ばかりだった。


「事実にございます。『極天姫』クリスティーヌ・ハイネスと共にいた宦官、ロビンは己を宦官と偽証し、後宮に入り込んでおりました。手術証明書も調べましたところ、精巧に作られた偽物と判断されました。クリスティーヌの入宮の折、荷の改、および宦官の下の確認をしたと記録に残っている女官を、並びに宮医を捕縛しております。荷物の中から、恐らく陛下に使用されたのであろう、と思われる眠り薬も発見されました」


「……」


 ハイネス公爵家は、許しがたい。

 恐らくクリスティーヌの行動は、ハイネス公爵家の指示によるものだろう。恐らく、偽の宦官も敢えてファルマスに似ている者を探しだし、雇ったのだ。いざ子を成したときに、似ていない、と言われないように。

 あの夜、宦官の下半身を確認するか、と問われたときに、何故拒んだのだ――そう、後悔が押し寄せる。

 だが、それよりも信じがたいのは。


「ヘレナが、全てを、解決してくれたのか……」


「はい。詳しい話を聞きましたが、朝のうちに扉を壊してクリスティーヌの部屋に侵入し、そのまま宦官の首を斬ったのだとか。ヘレナ様は確証こそなかったようでしたが、間違いなく宦官は偽物だろう、と判断していたようです」


「……間違いであれば……いや、あやつのことだ。間違いであったところで、どうにかする自信があったのだろうな」


「はい。ヘレナ様ならば」


 例え斬った後、宦官が本物だった、と分かったところで、ヘレナは止まらなかったのだろう。

 どちらにせよ、クリスティーヌはファルマスに毒を盛ったのだ。その罪がある、というだけでも、ヘレナにしてみれば許せないものだったのだ。

 そのようにファルマスのことを想ってくれているヘレナを、愛おしくすら感じる。


「クリスティーヌを解放すれば、ハイネス公爵家が帝国に反旗を翻す名分を与えてしまう可能性があります。そのため、ひとまず話を後宮の中だけで留めておき、準備が整い次第、という形で宜しいかと。それまで、クリスティーヌを後宮で軟禁しておくように、とヘレナ様には伝えております」


「そうだな……少なくとも、諸外国との決着がある程度決するまでは、ハイネス家に情報を与えるわけにはいかん。良い判断をしてくれた、ティファニー」


「残念ながら、そのようにヘレナ様にご指示を出されましたのは皇太后陛下にございます。この報告も、皇太后陛下に行うようご命令を受けましたので」


「そうか。母上には感謝せねばな」


 どういう理由かは分からないが、ルクレツィアが今朝後宮にいて、その上で指示を出してくれたのならば、それはありがたいことだ。

 このように報告を受けるまで、ファルマスは何も知らなかったのだから。


「ヘレナは、どれほど余を助けてくれるのだ……」


「陛下……」


「いや、本来は、余がヘレナを守るべきだったのだろう。だが……此度は、ヘレナに頭が上がらぬ。どれほど感謝をしてもし足りない」


 事実、ヘレナのおかげで事態は大きく動いた。

 少なくともクリスティーヌの姦計において、公爵家が強く関わっていることが分かったのだ。それだけでも、ハイネス公爵家を陥れることのできる一つの手段になり得る。悪事の証拠は揃っているのだから、言い逃れをしようとも無駄に過ぎない。

 粛清を急ぎ、その上である程度の対処はできるだろう、と思っていた。少なくとも爵位の二段階降格くらいはできるだろう、というみこみでしかなかったのだ。

 だが。

 これほど帝国に牙を剥いた証拠があれば、ハイネス公爵領すら返上させることができるかもしれない。

 表向きは公爵も、帝国の臣下の一人なのだから。


「グレーディア」


「は」


「後宮へ向かう。供をせよ」


「……執務は、よろしいのでしょうか?」


「これほどの吉報を得て、じっと執務などしておれるか。ティファニー、お前たちは改めて、後宮の警備体制について考えよ。此度のように、簡単に毒物を持ち込むことのできるような環境を、改善せよ」


「は。陛下のお心のままに」


 ティファニーの返事に鷹揚に頷き、それからファルマスは後宮へ向かう。

 最高の女だ、と何度も思った。己の正妃に相応しいのは、ヘレナ以外に存在しない。そうも思った。

 だが、何度思っても、何度感じても。

 ヘレナという女は、そんなファルマスの考えの、さらに上にいるのだ。どれほど素晴らしい女だというのか。

 宮廷の廊下を急ぎ足で通過し、そのまま裏手――後宮へと入る。

 警備の兵が道を開けると共に、既に何度も通った、通い慣れた道をゆく。

 その先にあるのは――ヘレナの部屋だ。


「……なるほど、な」


「見事に力技で壊しておりますな……」


 道すがら、通り道にある『極天姫』の部屋――その壊れた扉を見ながら、呟く。

 クリスティーヌは軟禁している、と言っていたし、ここではない別の場所に閉じ込めているのだろう。ファルマス自ら首を落としてやりたい、とさえ思ったが、しかしそういうわけにもいかない。

 今はまだ、耐えるときなのだ。

 そして渡り廊下を抜け、その先に見えた、ヘレナの部屋。

 ファルマスは、弾む胸を押さえながら。


「ヘレ――」


「そのようなへっぴり腰で戦場で生きてゆけると思っているのかっ! もっと気合を入れろっ!」


「はいっ!」


 部屋の中から、轟くようなそんな声が響き、ファルマスは硬直した。

 声の主は、間違いなくヘレナである。そして、そんな怒声に対して返事をするのは、複数の女性の声。

 一体、中で何をしているのだろう。


「……どういう」


「クリスティーヌ! 腰が下がっている! それほど腕立て伏せをしたいかっ! 全員五十回追加っ!」


「ひぃぃっ!」


「返事はどうしたっ!」


「はいぃっ!」


「声が小さいっ! 子供のお遊戯会ではないのだぞ!」


「はいぃっ!」


「蛆虫は蛆虫らしく床に這いつくばっているのがお似合いということか! だったらいくらでも増やしてやろう! 腕立て伏せ百回っ!」


「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


「……」


 何も言えない。

 今、この扉の向こうで何か行われているのか、想像もしたくない。

 そして恐らく、ヘレナと共にいる数人の女性の中に、クリスティーヌも含まれているのだろう。残る声は分からないが、とりあえず声からしてどう考えても必死なのが分かる。


「数を唱和しろっ! 数も数えられない馬鹿ならば、せめて声を出せ!」


「い、いちっ! にぃっ!」


「声が小さいと何度言わせるつもりだっ! クリスティーヌ! ロビンと同じく首とお別れしたいならば構わんぞ! 首を出せ!」


「ひぃっ! ごめんなさいっ!」


「謝るときだけ大声を出すのか貴様はっ! 見下げた屑だな! なんだ! 貴様は公爵家の血の上澄みしかもらわなかったのか! だったら叫ぶがいい! 私は愚かな蛆虫ですと大声で叫べ!」


「私は愚かな蛆虫ですっ!!」


「そうだっ! 蛆虫を私が人間にしてやろうと言っている! 光栄に思え! それまで貴様は蛆虫だっ! 嬉しいだろう蛆虫がっ!」


「ありがとうございますっ!!!」


 ……。

 中で行われている阿鼻叫喚に、ファルマスは意図せず一歩退いた。

 一体どうして、このようなことになっているのだろう。

 グレーディアと目を合わせ、そして言葉もなく理解し合う。


 入ってはいけない、と。

 入った瞬間に、恐らく地獄を見ることになる、と。


「グレーディア」


「は」


「戻るぞ」


「賢明な判断にございます」


 ファルマスは愛しいヘレナと会うことなく、その扉に背を向ける。

 その理由はただ一つ。

 ファルマスが最も寵愛し、最も敬愛し、そして最も正妃として愛することができるであろう、最高の女――ヘレナ。

 ファルマスはそう信じている。彼女こそ、帝国の正妃に相応しい気高き女性である、と。


 つまり。

 見なかったことにした方が、きっと全員幸せなのだ。

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