第158話 クラリッサ強化作戦 後
その後、クラリッサに基本の鍛錬を行わせた。
ヘレナの理想として、クラリッサには先陣を切り、敵へと切り込む役割である重装歩兵となるのが一番だ。
マリエルの棒術やシャルロッテの格闘術は、才覚に加えて多くの経験が必要となる。二人ともまだ経験が足りていないが、それでも一人前に戦えるだけの実力は持っているだろう。
そしてフランソワの弓術、アンジェリカの投擲は完全に本人の才覚である。フランソワは理想的な射の形をしているし、アンジェリカは何故当たるのか疑問に思うほど無茶苦茶だというのに、何故か当たるのだ。
そして馬術に優れながらも、馬を持たないクラリッサの目指す位置は、そんな四人をまとめ上げることだ。そのためにも、先陣を切る役割というのは最適である。
防御には勿論本人の才覚も必要になるが、基本的には重装備で構えていれば敵の刃は通らない。言い方は悪いが、体力さえつけて全身鎧(フルプレート)を装着した状態で十全に動けるようにさえなれば、どのような素人でも先陣を切ることくらいはできるのだ。
「もっとしっかり動け! 童子のままごとではないのだぞ!」
「は、はいっ!」
ゆえに、ヘレナは厳しく指導する。
問題は、全身鎧(フルプレート)を装着して十全の動きができる、ということなのだ。そのために必要な体力は計り知れない。
そして目指す先は、全身鎧(フルプレート)を装着したままで、先頭を走ることのできる体力である。銀狼騎士団でも花形とされる重装歩兵隊は、そこに参加するだけでも限りなくハードルが高いのだ。
そんな高いハードルを、ヘレナはクラリッサに越えさせようとしている。
ならば、手を抜くことなどできないのは道理である。
「う、うっ……!」
「腰が上がっている! もっと下半身に力を入れろ!」
「はいっ!」
腰を落としたままで、必死にダンベルを上げるクラリッサに、そう檄を飛ばす。
全身鎧(フルプレート)を装着したままで動くために、最も必要なのは下半身の筋肉である。通常、自身の体重しか保持することのない足に、それ以上の負荷をかけるのだ。大腿、下腿の筋肉はどれほど鍛えても足りない。
そして長く戦うことのできる柔軟性、持久力を鍛えるには走り込みを行い、しなやかな細い筋肉を作るのが一番だ。だが、重量物の保持に関しては太く硬い筋肉を作る方が良い。
つまり、クラリッサの鍛錬の基本は、鎧の重量に耐えながらの筋力トレーニングになるのである。
「ひゃ、くっ……!」
「よし、やめ!」
「はぁ、はぁ……」
ダンベルを百上げたところで、そう止める。
もうそろそろ夕刻だ。休憩は挟み、水分はきっちり摂らせている。だが、体力的には限界が近いだろう。
だがそれでも、座り込まないのはクラリッサが学習したからだ。
全身鎧(フルプレート)を装着した状態で座れば、そこから立ち上がることが容易でない。それこそ、現状で痛むであろう足を更に痛めつけることになるのだ。
だからこそ、クラリッサは座らない。
「では、部屋に戻り夕餉を摂れ。その後は休んでよし」
「は、はいっ……」
「湯浴みの際には外すことを許可する。だが、それ以外では決して脱がないように」
「わ、かり、ました……!」
「よろしい。ではまた、明日の朝にここへ来い」
クラリッサの答えに頷き、『百合の間』を共に出る。
せめて部屋まで送っていくことにしよう。もしクラリッサが部屋に戻る途中、誰かと出くわしでもしたら困るし。
ぜぇ、ぜぇ、と荒い息を吐きながら、しかし表情の見えないクラリッサ。
もしかしたら、既にこのようにヘレナの訓練を再び受けたことを、後悔しているのかもしれない。
だが――新兵訓練(ブートキャンプ)と異なり、これはクラリッサの望んだことだ。
手は抜かない。本気には、本気で当たらねばならないのだから。
そして、そんな風にクラリッサと共に部屋まで戻っている途中で。
「おやー。これはこんにちはー」
「む……こんにちは、エカテリーナ」
何か用事があって部屋を出ていたのか、フランソワの部屋の隣に、そう入ろうとしていたエカテリーナがそう言ってきた。
渡り廊下を越えた向こうは、九人の号を得た者の部屋なのだ。部屋の配置まで聞いていたわけではないが、ここがエカテリーナの部屋なのだろう。そして隣はフランソワで、さらにその隣がクラリッサの部屋だ。
びくっ、と鎧の中でクラリッサが震えるのが分かる。
「どうされたのですかー?」
「ああ……私は少し用事があってな。向こうに行くつもりだ」
「そうでしたかー。てっきりわたしを訪ねに来たのだとー」
「残念ながら、別件だ」
「それは失礼しましたー。あ、明日の朝は見学に行きますのでー、よろしくお願いしますー」
「ああ」
どうやら、明日の朝来る、と言っていたのは嘘ではないらしい。
もしもエカテリーナも戦うことを望むのならば、鍛えてやるのは問題ないのだが。
「ええとー。そちらの方はー?」
「ああ、銀狼騎士団の一人で、私の後輩でもあるイアンナだ」
「そうでしたかー。これははじめましてー」
エカテリーナがぺこり、と頭を下げるのに対し、クラリッサも無言で僅かに頭を下げる。
まぁ、大きく頭を下げることは物理的に不可能だ。今のクラリッサなら、前に倒れてしまうかもしれない。
だが――その後ろに向けて、エカテリーナがこてん、と首を傾げた。
「あれー? ボナンザさんー?」
「うっ……お、お久しぶりです。エカテリーナ様」
「久しぶりですねー。ええとー。あれー? クララに仕えてるんじゃないんですかー?」
「そ、それは……」
思わぬ方向からの疑念に、思わずヘレナも焦る。
そういえば幼馴染だと言っていたし、仕えている侍女のことも知っていて当然だ。これはクラリッサのみならず、ボナンザも顔を隠す必要があるかもしれない。
「ボナンザには、私が個人的に用があったのだ。今から戻る予定となっている」
「あ、そうでしたかー。それは失礼しましたー。クララによろしく言っておいてくださいー」
「は、はい。それは、勿論……」
「クララはわたしにはー、会いたくないかもしれませんけどねー」
「え……?」
ふっ、と表情に影を落としたエカテリーナに、そう眉を寄せる。
すると、エカテリーナがははっ、と乾いた笑いと共に、苦笑を浮かべた。
「どういうことだ、エカテリーナ嬢」
「いえー。わたしもまぁ、大概鈍い方なんですけどー。一年近くも避けられてますしー」
「そうなのか?」
「はいー。お茶に何回か誘ったんですけどー。来てくれなかったものでー。いつ訪ねても留守ですしー」
「……」
「まぁー、気付きますよねー。わたしが何をしたのかは分かりませんけどー……」
クラリッサが俯くのが分かる。
会いたくない、とは言っていた。だが、恐らくエカテリーナはそれを知らない、とクラリッサは言っていたのだ。
だが、さすがに一年間もずっと会っていなかったのなら、気付くのも当然だろう。
そして、クラリッサが一方的に嫉妬心を抱いている、と思っていない以上、それは何故か避けられている、という考えに変わるのだ。
「焼肉のときにもー、クララいましたけどー。わたしに何も言ってくれませんでしたしー……」
「……そうか」
「明日からー、ヘレナ様の鍛錬に参加したらー……またクララと仲良くなれますかねー……」
「それは……」
「いえー。まぁ、わたしは大丈夫ですのでー。それではー。明日はよろしくお願いしますー」
ぺこり、と頭を下げて、そのままエカテリーナが部屋の中に入っていくのを見送る。
今、クラリッサはどんな気持ちなのだろうか。
だが、かといってそれを言及するわけにもいかない。結果、ヘレナとクラリッサは無言でそのまま歩く。
そしてクラリッサの部屋まで到着し、その鍵をボナンザが開けて。
「……ヘレナ様」
「うむ」
「私は、強くなりたいです。エカテリーナに……ちゃんと、正面から向き合えるくらいに、強くなりたい、です……」
「ああ。私はそのために全力を尽くそう」
彼女らの確執は、ヘレナには分からない。
だが、それでも、ヘレナにはできることがある。
クラリッサに、自信をつけさせるのだ。
「それでは、失礼します……ヘレナ様」
「ああ。決して鎧は脱がないように」
「はい。ちゃんと、ずっと、リクハルド様と一緒にいます」
「……」
ぱたん、と部屋の扉が閉められる。
確かに言った。名前をつけろと。好いた男の名前でもいい、と。
だが、自分の兄の名前をつけられると、なんだか複雑だった。
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