第157話 クラリッサ強化作戦 中
「まずは着てみろクラリッサ」
「え……あの、ヘレナ様、まだ私飲み込めていないのですけれども」
「全身鎧(フルプレート)だ。一応、クラリッサのサイズに合わせたものを用意したのだが、もし合わなければ困るからな。一応試着してみてくれ」
「え、あ、はい」
クラリッサがどことなく混乱しながら、全身鎧(フルプレート)の前に立つ。
そして、どうしていいか分からない、とばかりにそのまま止まった。
そもそも、貴族令嬢が鎧の装着方法など知っているわけがないのだけれど。
「さて、ではクラリッサ、まずは服だが」
「は、はい……」
「鎧の下に装着するのに、ドレスは不向きだ。動きやすい服を用意した」
ヘレナはそう、同じく部屋の中に置いてあった、通気性の良い麻の服を手渡す。
これもティファニーに用意してもらったものだ。恐らく分隊長イアンナのものなのだろう。
そして、クラリッサの侍女であるボナンザを近くに呼び。
「ボナンザ」
「は、はい」
「これからは、お前がクラリッサへの鎧の装着を手伝うんだ。やり方を覚えておけ」
「承知いたしました」
「まずはクラリッサ、服を脱げ」
「は、はいっ」
クラリッサがヘレナに逆らうことなく、そうドレスを脱ぎ始め、そして下着になる。
本来の新兵訓練(ブートキャンプ)であれば、このように人前で脱ぐことに抵抗のある新兵も多い。だが、クラリッサのような貴族令嬢として育てられた者は幼い頃から湯浴みに侍女を伴うことが多いため、羞恥心が少ないのだ。
まぁ、かといって人前どこででも脱ぐ、というような悪癖を持たれても困るけれど。
そして、クラリッサが渡した麻の服を着終わった時点で、ヘレナは全身鎧(フルプレート)を動かした。
「まずは籠手からだな」
素手になったクラリッサの手に、全身鎧(フルプレート)の籠手を装着してゆく。
そもそも全身鎧(フルプレート)は一人で装着することは難しい。籠手ですら、片手で装着することはできない、と言っていいだろう。しっかりと手首を包ませるために、ベルトで固定をしなければならないのだ。
一つ一つの作業をボナンザに見せながら、しっかりと締め付ける。
少し驚いたのは、割ときつめに締めているというのに、クラリッサは何も言わなかった。
やはり貴族令嬢ということで、コルセットなどできつく締め付けることには慣れているのだろう。
その後、今度は胸当てを後ろで締め、肩当てを装着。
それから肩当てから籠手に続く位置に、鎖鎧(チェインメイル)を装着してゆく。関節の可動を阻害しないように、関節部にはこのように鎖が当てられることが多いのだ。
そこまで行った時点で、クラリッサの表情に若干の困惑が走る。
その道は、ヘレナも通ってきた道だ。
「ボナンザ、このベルトを……」
「は、はいっ」
ボナンザに一つ一つ、やり方を説明し、今度は下半身に移る。
まず腰回りの鎧を装着し、それから大腿、下腿の装着部だ。その関節をそれぞれ鎖で繋ぎ、最後にグリーブ、と呼ばれる鉄の靴を履く。
そこまで終わり、クラリッサの姿は、顔以外の全てが鎧の中に隠された状態だ。
最後に、顔全てを覆うフルフェイスの兜を装着し、完成である。
「どうだ、クラリッサ」
「ど、どう、というと……」
「痛みはないか?」
「痛くはありませんけど……その……」
言い淀むクラリッサに、ヘレナは微笑む。
まぁ、誰だって全身鎧(フルプレート)を装着して動きやすいはずがない。そして、現在のクラリッサの体重は倍ほどにもなっているはずだ。
そして当然、動きにくく重い体では、まともに自分の体を動かせない。だからこその、激しい違和感を覚えているのだろう。
「では、まずそのまま準備運動を行え」
「こ、このまま、ですか……?」
「ああ。準備運動のやり方は知っているだろう?」
「そ、それは、そうですけど……こ、この状態だと、まともに動けないのですが……」
「当然だ」
クラリッサの言葉に、ヘレナは鷹揚に頷く。
動きにくく重いからこその鍛錬になるのだ。そんなもの、当然である。
「とにかく、やってみろ。まずはやってみてからだ」
「は、はいっ!」
クラリッサが戸惑いつつ首を傾げながら、まずは体を屈める。
だが、そのように足を屈めるのも、耐えきれず途中で起こした。
曲げた足というのは、ろくに負荷を背負うことができないのだ。そして通常でも鍛錬の一つになる屈伸運動が、重い鎧を背負っていれば更なる負荷になってくれる。
ヘレナも、よくアレクシアを肩車して屈伸しているのだ。アレクシアはいつも目が死んでいるけれど、ヘレナにそれは見えないため気付いていない。
「う、うっ……!」
「しっかりと足を曲げろ。そして体を起こせ」
「う、ぐっ!」
兜に隠れているために、その表情は見えない。だが、漏らす声は苦悶そのものだ。
腕立て伏せも屈伸も、現在のクラリッサならば二百回はこなせる。だが、あくまでそれはクラリッサが十全の状態であるならば、だ。
負荷が倍になることで、それは耐え切れないほどのものと化す。
回数と、一度の負荷量は比例しないのだ。
「どうした、クラリッサ」
「き、きつ、い、ですっ!」
「そうだろうな。だからこそ、それを装着している。このくらいで音を上げてはいかんぞ。最終的には、その鎧を装着したままで、いつも通りの動きができるまで鍛えるのだからな」
「は、はいっ!?」
「当然だろう。重装備の前衛が、後衛よりも足が遅くてどうする。矢面に立ち、敵陣目掛けて走ることこそが重装歩兵の仕事だ」
「そ、そ、んなっ!」
必死に屈伸をしながら、そうクラリッサが叫ぶ。
ひとまず、現状の四人と共に戦うならば、シャルロッテと共に走ることができる程度には、鍛える必要があるだろう。
でなければ、重装備をしている意味が全くないのだから。
「あ、あのっ!」
「どうした、クラリッサ」
「こ、この鎧は、湯浴みのときには、外してもいいのでしょうかっ!」
「うむ。湯浴みの際にだけは外すことを許そう。だが、湯浴みが終わればボナンザに装着することを手伝ってもらえ」
「え、えっ!?」
元々、そのつもりでボナンザに鎧の装着方法を教えたのだ。
戦場ならば一月二月程度、湯浴みどころか体を拭くことすらできない日々もある。だが、ここは後宮でありクラリッサは令嬢だ。これまで習慣として行なってきたはずの湯浴みを、やめろと言うほどヘレナは鬼ではない。
その代わり、湯浴みを以外は全て全身鎧(フルプレート)のままで過ごしてもらうけれど。
「じ、自室でも、この格好なのですかっ……!」
「当然だ。眠るときにも外すことは許さない」
「で、ですがっ、もしフランが来たときなど、何と、言いましょうっ……!」
「体調不良だとでも言っておけ。見舞いをする、と言われた場合はボナンザが追い返せ。感染するかもしれない、と言っておけばいいだろう。午前の鍛錬に参加しない理由にもなる」
「うっ……!」
「承知いたしました」
ヘレナの指示に、ボナンザがそう頭を下げる。
友人であるフランソワを、そのように騙すのは気が引ける。だが、ヘレナの方からも一言伝えておけばいいだろう。
そして、恐らくフランソワは疑わないだろうし。
ひたすらに屈伸を続けながら、クラリッサが息も絶え絶え、とばかりに続ける。
普段の屈伸のように、思い切り下まで腰を落とせていない。関節部がなかなか動きにくい、というのも理由の一つだが、下手に腰を落とすことで、後ろに倒れそうだ、というのが最大の理由だろう。
「で、ではっ、ヘレナ様っ……!」
「何だ」
「よ、用を足す、ときなどは、どうすればっ……!」
「ああ、安心しろ」
勿論、生理現象である排泄を我慢しろ、とは言わない。
むしろ、排泄を行うこともまた鍛錬の一つになるのだ。腰を落とす、という行為が。
ヘレナはクラリッサに近付き、その股間にある鎧に触れて。
「ここに蝶番があり、開くことができるようになっている。用を足す際にはこれを外せ」
クラリッサが屈伸を止めて、その手で股間の鎧に触れる。
ぱちん、と音がすると共に、股間の鎧はあっさりと外れた。
下に着ている服も、用を足すときのために、ボタンで止めているものだ。それを外せば問題ない。
「……いえ」
「どうした」
「……私の思っていた以上に、隙がありませんでした」
「何を言っている」
そんなクラリッサの謎の呟きに、ヘレナは不思議そうに首を傾げた。
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