第136話 閑話:『佳人』と『麗人』

 レティシア・シュヴァリエは、ガングレイヴ帝国貴族、シュヴァリエ男爵家の次女である。

 とはいえシュヴァリエ男爵家自体は歴史のある家ではなく、先代当主が宮廷に献金をすることで爵位を得た、という新興貴族である。爵位を継いだ父は、より高い爵位を求め、そしてガングレイヴ帝国という巨国を動かす一員になるのだ、と考えていた。

 それゆえに、後宮へ娘を入れなければならないのは伯爵位以上だと法で決まっていながらにして、レティシアは若き皇帝ファルマスの後宮へと入った。


 もっとも、レティシア本人に全くやる気はない。

 そもそもシュヴァリエ家という家自体を皇帝が知っているのか、とさえ思えるほどの知名度であり、その経営する商会――シュヴァリエ商会も、巨大商会アン・マロウ、帝国商会連合長レージー商会といった大規模な商会に比べれば全く知られていない商会なのだ。

 アン・マロウ、レージーと続く三番手を争う数商会のうちの一つ、といえば分かりやすいだろうか。


 だからこそ、レティシアは大商会アン・マロウの息女であり、後宮における最高位である三天姫が一人、『星天姫』マリエル・リヴィエールに阿ることとした。

 マリエルが皇帝の寵愛を得れば良し。そうでなくとも、アン・マロウと仲良くしておいて損はない。そういう、商家に生まれたがゆえの計算高さを持って、レティシアはマリエルの傘下に入ったのだ。

 その成果として、派閥である『星天姫』派でも中枢、とさえ言える存在となった。


「……今日も駄目なの?」


 はぁ、と小さく嘆息して、『星天姫』マリエルの部屋から顔を出した侍女を、そう睨みつける。

 この一月ほど、マリエルには全く会っていないのである。何故かこの一月、三天姫の部屋へと続く渡り廊下が銀狼騎士団の女騎士によって塞がれており、全く通ることができなかったのだ。

 それがようやく、今日に至って解禁された。様子を見よう、とマリエルの部屋へとこのようにやって来たのだが、残念ながら席を外しているらしい。


 何かあったのだろうか、と軽く心配してみる。

 最近のマリエルは『陽天姫』ヘレナ・レイルノートに陶酔し、話してもその八割がお姉様がお姉様はお姉様の、から始まる会話に辟易している、というのが事実だ。

 茶会であれほど脅されたことが、何故そのような感情に結びつくのか、というのは限りなく謎である。


「も、申し訳ありません……」


「まぁ、いいわ。あなたに怒っても仕方ないし。伝えておいて」


「承知いたしました、レティシア様」


「それじゃ、今日のところは帰るわ」


 侍女に背を向け、部屋へ戻ることとする。

 最近は派閥での茶会もやっていないし、そろそろ存在感を示しておくべきではないのか、と言うつもりだった。本人がどれほど『陽天姫』に陶酔しようとも構わないが、マリエルは『星天姫』派の頂点にいる、という自覚を持つべきだろう。

 そして『星天姫』派とて一枚岩ではなく、状況に応じてすぐに派閥を変えそうな者も多くいる。

 そんな連中に対し、マリエルの持ちえる最強の武器――財力を見せつけるべきなのだ。そうでなければ、『星天姫』派は瓦解してしまうだろう。

 現在のところ、『星天姫』派と『月天姫』派は五分だ。

 僅かにでも『月天姫』派に傾けば、それこそあの『麗人』がどれほど調子に乗ることか――。


「……む」


「……あら」


 そんな風にレティシアが部屋に戻る途中で出くわしたのは。

 まさに先程、心の中だけで悪態をついていた女――『麗人』カトレア・ランバート。

 以前に見たときと変わらない、真紅の髪を頭頂で盛り上げたような髪型をした、美しい女である。とはいえその目には、美しさすらかき消すかのような、レティシアを見下す冷たい眼差しがあったけれど。

 この女は、いつもそうだ――。


「これはこれは……シューヴェルト男爵令嬢の……ええと、どなたと申しましたかしら?」


「残念ですが、シュヴァリエ男爵家のレティシアと申します。お見知り置きを」


「あら、ごめんなさいね。そんな爵位を金で買ったような小さな家、知りませんもので」


「左様ですか。家柄くらいしか誇れるものがない方は記憶力がよろしくないようで。手帳でも持ち歩いてはいかがですか?」


「いえいえ。覚える価値のある方は覚えておりますとも。あなた程度を覚える必要があるとは思いませんわ」


「ああ、家柄ばかりの貧乏貴族は手帳を買うお金もないのでしたね。これは失念しておりました」


 ばちばち、と視線で敵意を交わす。

 カトレアはランバート伯爵家の令嬢であり、かの相国アブラハム・ノルドルンドの縁戚である。もっとも、『月天姫』シャルロッテ・エインズワースに比べれば遠縁であり、また年齢も皇帝ファルマスより若干上である、ということで九人の一人、『麗人』という立場におさまっているのだ。

 だが、それゆえにカトレアは、『月天姫』派の二番手。

 まさしく、『星天姫』派の二番手であるレティシアとは、対象的になる女――。


「ふん……よく囀ること。まぁ、いいですわ。わたくし寛大ですから」


「それは結構。私は特に用などありませんので、帰らせていただいても?」


「しかし、侍女の一人も連れずに出歩くなんて、令嬢としてのご自覚がありますの? まるで薄汚い市井の娘のようですわ」


「薄汚い市井の娘と、さして値段の変わった格好とは思えませんけどね。カトレア嬢」


「あら、わたくしの名前を覚えていらっしゃるの? それは光栄ですわ」


「大抵の人は一度会えば名前くらい覚えられますよ。それができないのなら、よほど頭の具合が悪いのでしょうね」


「薄汚い商人の血の為せる技かしらね。残念ですけど、高貴な血の前でそのような技術はいりませんわ」


 うふふ、と笑うカトレア。

 くくく、と笑うレティシア。

 彼女らの戴く派閥の主、『月天姫』と『星天姫』――その二人は、まさに犬猿の仲である。

 そして同様に、二番手たるカトレアとレティシアもまた、犬猿の仲――。


「まぁ、いいです。あなたのように暇ではありませんので、失礼」


「あら、商人の娘は後宮でも金の算段をしておりますの? どれだけ金に汚いのでしょうね」


「少なくとも、古いくらいしか誇るもののない黴の生えた家柄よりはましかと――」


 恐らく、このままだと延々と嫌味を言い続けたであろう、そんな二人の会話を阻んだのは。

 それぞれ二人が、派閥の頂点に戴く者の声だった。


「いい機会ですの! 決着をつけますの!」


「いいですわ! 受けて立ちましょう!」


 それは、渡り廊下から見える中庭。

 その中央に立つのは、何故かグローブを装着した『月天姫』シャルロッテと、何故か棒を持った『星天姫』マリエル。

 謎の構図に、思わずカトレアと二人、言葉を失う。


「はぁぁっ!」


「甘いですわ!」


「このぉっ!」


 グローブで殴りかかるシャルロッテと、それを棒で捌くマリエル。

 その動きは、レティシアから見れば目で追うことしかできないほど素早く、そして鋭い。

 あまりにも常軌を逸した光景である。


 シャルロッテは素手だというのに、棒を持つマリエルに何ら怯えることなく距離を詰める。

 棒を持つマリエルは、その射程を利用しながら牽制しつつ、距離を稼いで戦っている。

 その動きはまるで千日手であるかのように、互いに一歩も譲らぬ互角。

 だが。

 少なくともレティシアの知るマリエルは、ただの令嬢だったはずだ。

 このように、まるで騎士を相手にしても存分に立ち回ることができるのではないか、と思えるほどの戦闘技術は、持っていない。


 だからこそ、そんな二人の戦いに。


「……は?」


「……は?」


 レティシアとカトレアは、揃ってただ呆然と立ち尽くすだけだった。

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