第117話 ヘレナズブートキャンプ 1
翌朝。
まだ日の昇る前に、ヘレナは目を覚まし寝台から体を起こす。
四人には、日が昇ると共に部屋に来るように、と告げておいた。アレクシアでさえまだ来ていない時間から、彼女らは訪れて来るだろう。
アンジェリカは朝に送る、と言っていたが、いつぐらいになるのだろうか。
訓練を施すのであれば、五人同時に行う必要がある。つまり、アンジェリカが来るまで待たなければならないのだ。
「さて」
軽い己の鍛錬を行い、汗を流しておくことにした。
これから一月、みっちりと訓練を施さねばならないのだ。自分の鍛錬に当てられる時間は、早朝くらいになるだろう。
腕立て伏せを二百回、腹筋を二百回ほど行い、いい汗を額に浮かべたあたりで、空が白じんでくる。
そこで、こんこん、と扉が叩かれた。
「お、おはようございます! ヘレナ様!」
「おはようございます」
「入れ」
一番乗りは、フランソワとクラリッサだった。
フランソワは朝も早いというのに、元気いっぱいで。逆にクラリッサは眠そうに目を擦っている。
普段起きる時間よりも早いのだろう。もっとも、これからはこの時間が普段通りの時間になってしまうのだけれど。
「おはようございますわ、お姉様」
「ふん。来ましたの」
そして、程なくしてマリエル、シャルロッテの二人も訪れる。一緒に侍女であるソフィーナとエステルも来ていた。
ひとまず、ソフィーナとエステルには席を外してもらうことにする。
侍女がいる、というのはそれだけ甘えに繋がるのだ。あとは、出勤してきたアレクシアに全てを任せればいい。
ヘレナの部屋に揃った四人。
その前に、ヘレナが立つ。
「ではまず、全員。自分の寝台をこの部屋に持ってこい」
「へ?」
「一月、みっちりと訓練を行う。寝泊まりも私の部屋だ。寝台がいらない、と言うならば床で寝るのもいいが、別段おすすめはしない」
「お、お姉様と同じ部屋で寝泊まり……!」
「ただし」
マリエルが何故か感動しているような素振りだったが、無視して注意事項を説明する。
この訓練は基礎的な体力、それにアンジェリカを含めて五人の連携を鍛えるためのものだ。戦える、戦えない、はこの訓練を経て決まる、とさえ言っていい。
だからこそ。
他者に頼ることは、許されない。
「侍女や女官に手伝わせることは禁ずる。ここにいる四人だけで、四人分の寝台を運ぶんだ」
「えぇっ!」
「拒否は許さない。さぁ、動け!」
「は、はいっ!」
フランソワ、クラリッサがまずフランソワたちの部屋へ向かう。彼女らは元々友人同士であるからこそ、二人で運んでくるつもりなのだろう。
だが、読みが甘い。
ヘレナならば、寝台を一人で運ぶことはできるだろう。だが、フランソワとクラリッサの腕力では、二人ですら運ぶことは厳しい。
ゆえに、この訓練の目的は。
まず、四人での共同作業を行わせること。
ばちばちっ、と視線の火花を散らせるマリエルとシャルロッテ。
こんな奴と協力するなんて、という考えがヘレナにすら分かる。
だが、あえて何も言わない。
ヘレナは指示を行った。あとは、本人たちに任せるだけだ。
「ま、マリエルさん! シャルロッテさん!」
「どうしました?」
「何ですの」
「二人じゃ運べそうにありません! お二人も手伝ってください!」
「……」
不機嫌そうではあるものの、フランソワのそんな願いに、二人もまた部屋から出てゆく。
どちらも譲らないようだが、フランソワが良い緩衝材になってくれるだろうか。
四人がかりで必死に寝台を運び、ヘレナの部屋へと入れる。
途中、侍女が手伝う素振りを見せたが、そこはヘレナが制した。
割と長い時間をかけて、ようやく四人分の寝台が運ばれ、一列に並べられる。
ヘレナの部屋は随分狭くなったが、それでも広い部屋だ。まだ五人、それぞれ運動できる程度の広さはある。
「は、運びましたの……!」
「では、休憩。まずはもう一人、アンジェリカが参加するまで待て」
ふひぃ、と四人がそれぞれ思い思いに休憩を始める。
寝台を運ぶのもそれなりに力が必要だし、令嬢には厳しい仕事だろう。だが泣き言の一つも言わない彼女らは、どうやら後宮の改造を行う際に、何の文句を言っても意味がなかった、ということを覚えているらしい。
拒否したところで意味はない。まずそう感じてもらうことが、新兵訓練の始まりなのだ。
その後、ひとまずアレクシアが出仕してきて、ヘレナの部屋へと朝食を運んできたので、そのまま食べることにした。
同時に、四人も一旦部屋に戻らせて朝食を摂らせ、朝食が終わり次第ヘレナの部屋に集合するように、と指示しておいた。
四人はその指示に従って、一旦朝食のために部屋を離れ、そしてすぐに戻ってきた。
そして、朝食を終えて四人が揃ったところで、こんこん、と扉が叩かれる。
「し、失礼いたします、『陽天姫』様」
「おはよう、イザベル」
「おはようございます。あの……ルクレツィア皇太后陛下と、アンジェリカ皇女殿下がお越しなのですが」
「通してくれ」
「はーい。おはよ、ヘレナちゃん」
言いながら入ってきたのは、いつも通りに明るいルクレツィア。
寝台が六つ並んでいる、という謎の状態に少しだけ首を傾げ、しかし何も言わずに後ろを手招きした。
そんなルクレツィアと共にやってきた、勝気な目をした少女ーーアンジェリカ。
「……」
むすっ、と不機嫌を隠そうともしていないアンジェリカが、ヘレナを睨みつける。
あの夜会で初めて会った相手だが、しかし良い感情は持たれていないようだ。
まぁ、これからみっちり鍛える相手だし、下手に良い印象は持たれていない方がいいだろう。
「では、ルクレツィア様」
「……あの、最初くらいは、見てもいいかしら?」
「駄目です。ルクレツィア様がおられるだけで、甘えに繋がります」
「そう……じゃ、アンジェリカ、いい子にしてるのよ」
「お母様……」
ヘレナをきっ、と睨みつけて、扉の外へ出てゆくルクレツィアを見送る。
イザベルも共に出てゆき、これで準備は終わりだ。
さて、とアンジェリカに向き直り。
「アンジェリカ、四人と共にそこに並べ」
「――っ! わたくしを誰と思っているのよ! 現帝ファルマス・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴの妹、アンジェリカ・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴよ! お前なんかが気安く呼んでいい名前ではないわ!」
「残念だが、私はこの後宮において、お前に対するあらゆる不敬をルクレツィア皇太后陛下により許されている。そして話を聞いていなかったのか、そこに並べ」
「っ! 調子に乗るな、この年増!」
「ほう……」
ヘレナはそこで、武器を取り出す。
この五人を鍛えるために、ヘレナはあえて武器を使うことにした。本来新兵訓練は殴り蹴り、痛みを体に覚えさせるのが当然である。
だが、この五人は令嬢だ。そう、体に傷の残るようなことをするべきではない。
だからこそ、あえて武器を用意したのだ。
「三度目はない。並べ」
「不敬な言葉をっ……! お前の言うことなど!」
「ふんっ!」
そんな武器を。
アンジェリカの頭に、思い切り叩きつける。
すぱーん、と綺麗な音がした。
「う、くぅっ!?」
「黙らないなら、何度でも叩こう。さぁ、並べ」
「あ、う……」
「それとも、あれで殴る方が好きか?」
そう、ヘレナが手で示すのは、ファルマスから贈られた大剣。
出番はないが、一応示威的な意味はあるだろう、とそこに立てかけてある。
「くっ……」
「私の武器があれに変わる前に、並べ」
叩かれた頭を押さえながら、怖がりつつヘレナを見るアンジェリカ。
その瞳に恐怖を浮かばせながら、しかし怒りの方が強いのだろう。
渋々、といった様子を隠そうともせず、四人と共に並ぶ。
「さて……では、調練を実施する。先のアンジェリカの様子を見ていたように、手を抜く者、反抗する者に私は容赦しない。お前たちが手を抜けば抜くほど、痛い武器に変わってゆく。今は音こそするが、痛みはそれほどない武器だ。次は布を巻いた棒に変わる。お前たちが棒で叩かれないよう、真面目に訓練に励むことを願おう」
「はいっ!」
そう、ヘレナが示す、その右手の武器。
昨日の夜に作ったばかりの、丈夫な紙を何枚も重ねてから互い違いに折り、手に持つ部分だけを縛っている代物。
東洋の、とある一部地域にだけ伝わる殺傷力皆無の武器。
それを、ハリセンという。
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