第114話 遠乗りデート 5

 テオロック山からの景観を暫し楽しんで、帰路につくことにした。やはり皇帝が外出しているわけだし、暗くなる前には戻らねばならないらしい。夜道を歩き、賊にでも襲われて何かあってもいけないからだ。

 もっとも、ヘレナとグレーディアという、帝国でも最強に近い二人がいる以上、ファルマスに凶刃が迫ることになるとは思えないが。

 ファルマスのシルバと、並んでヘレナのファルコが歩みを進める。


「はぁ……まったく、時間が経つのはあっという間よの」


「そうですね……」


 朝一番に出て、到着が昼だったのだ。帰りも同じ時間がかかると考えれば、早めの帰路につくのも仕方ない。

 しかし、ファルマスは不満そうに唇を尖らせていた。

 こういうところは、やはりまだ子供っぽいな、とヘレナは苦笑する。


「帰りも草原で競争しますか?」


「そうだな……いや、やめておこう。ゆるりと語りながら帰ろうではないか」


「承知いたしました」


 確かに、帰り道まで急ぐ必要はあるまい。

 ゆっくりと、互いに馬の歩を揃えながら、二人で帝都までの道をゆく。後ろにグレーディアは一応控えているが。


「一月の後には、また誘ってもよいか?」


「はい、是非とも」


「そうか。ならば、そなたと会えぬ一月も耐えられるというものよ。次は、そなたの作る鍋を食べさせてくれ」


「はい。そのときは腕を奮いますね」


 材料さえ用意してくれるのならば、ファルマスの舌に合う鍋は作れるだろう。さすがに、 野生の食材だけで作れ、とは言われないだろうし。

 鹿あたりは仕留める必要があるだろうか。そのときは弓矢を用意してもらうとしよう。


「……」


 だが、そんな風に鍋の内容を考えていると、昼食は食べたはずなのに、腹が減ってしまう。

 鍋を作る、ということは温かいうちに食べられる、ということだ。そして、「ヘレナの鍋は俺だけが食べる」とファルマスは言っていたが、ヘレナは食べられない、というわけではあるまい。

 戻ったら、アレクシアに頼んで軽食を用意してもらおうかな、と考える。

 だが、戻った頃にはもう夕餉が近いだろう。悩ましいところである。


「……どうした、ヘレナ」


「いえ……」


「何か憂うことでもあるならば、言うてみよ。そなたの望みならば、叶えるべく動こうではないか」


「ありがとうございます。ですが、大丈夫です」


「……そうか」


 さすがに、「ちょっとお腹が空きました」などと言うわけにはいくまい。どれだけ大食いなのだ、と思われてしまう。

 だが、そんなヘレナの憂い顔に、ファルマスは小さく嘆息した。

 ヘレナが考え事をするのは、基本的にどうでもいいことばかりなのだが、周囲からはそう思われないのが彼女の残念さを引き立てるのである。


「……そのような顔をするでない」


「え?」


「確かに、そなたの立場は特別だ。本来、後宮の側室は外に出ることなどできない。このように遠乗りに出かけることができるのは、ひとえに余がそなたを寵愛しているからだ」


「はぁ……」


 確かにその通りである。

 だが、ヘレナは別にそんなことを悩んでいるわけではない。まぁ、かといって「そうか、腹が減ったのか」とピンポイントに悩みを言い当てれば、どこの魔法使いだ、と思ってしまうけれど。


「あれらは、檻に閉じ込めておるようなものだ。貴族の権力欲のためにな。余の正室になることができれば、その家は皇族の縁戚となる。そこに執着する家も、少なからずあるのだ。まるで、余の我欲のために閉じ込めておるようにすら、民は思うておろうよ」


「ええと……」


「だが、今はまだ動くわけにはゆかぬ。物事には時期というものがあるのだ。余がしっかりと宮廷に根を張り、憂いなき立場を保つことができて初めて、粛清は成る。そなたの心苦しさも分かるが、今は耐えてほしい」


 何を言っているのだろう。

 ひとまず、ファルマスの言葉が何を指しているのかはさっぱり分からないが、彼にとって必要なことなのだ。そして、別段ヘレナに何かをしろ、という命令があったわけでもないため、わざわざ聞き返す必要もない。

 とりあえず、曖昧に頷いておくことにする。


「はい、ファルマス様」


「だが、そなたの入宮から、後宮は随分変わっておると聞く」


「そうなのですか?」


「ああ。ティファニー・リードから聞いたが、後宮の改造を『星天姫』と『月天姫』が共に行っていたそうではないか」


「まぁ……そうですね」


 あまり役には立たなかったが、一応そこにはいた。

 マリエルはまだ頑張っていたが、シャルロッテは不満ばかり言っていたのが際立っていたのを覚えている。


「あやつらが協力するなど、これまでの後宮ではありえなかったことであろうよ……これも、そなたの入宮をきっかけとした、良い気風が吹いているゆえだ」


「私は……特に何もしていないのですが」


「謙遜はよい。そなたでなければ出来なかったことだ」


 本当に、特に何もしていないのだが。

 後宮に入って今まで、頑張ったことなど一周忌の夜会でのダンスと、当時は敵対していたマリエルとの茶会くらいだろうか。それ以外は、基本的にマイペースに生きてきた結果がこれである。


「ヘレナ」


「はい?」


「一年間耐えてくれ、と、そう余は言ったな」


 言っただろうか。

 多分言ったはずだ。ファルマスが言うのだから、多分言っているのだろう。覚えていないけど。


「そうですね」


「余は必ず、宮廷より奸臣を粛清し、清廉なる政治を行う体系を作り上げてみせる。それまで待っていてほしい。そのときこそ、そなたを堂々と迎えに行こう」


 ああ、とそこで思い出した。

 確か、入ってすぐのお渡りのときに言われたはずだ。一年間は愚帝のふりをするから、それまで耐えてほしい、と。

 喉に刺さった小骨が取れたように、すっきりとした気分になる。


「はい。お待ちしております」


 とりあえず一年間後宮にさえいれば、あとは自由にさせてくれる、ということだろう。

 一年は長いが、鍛錬をしながら耐えていよう。一年後に復帰する戦場で、足手まといにならないためにも。

 そんなヘレナの返事に、ファルマスは笑顔を浮かべる。


「そうか……そなたも受け入れてくれるつもりだったか」


「はい?」


「いや、余の惰弱が随分と邪魔をしてな。小心者と笑っても良いぞ。そなたにいつ言うべきかと悩んでいたのだ」


「はぁ……」


 何をどう小心者なのだろうか。

 全く意味の分からない言葉に首を傾げるが、やたらと嬉しそうなファルマスに何も言えない。


「一年後は、国を挙げた宴になるぞ。そなたの麗しい姿を民に見せるのは妬ましいが、それも仕方あるまい」


「いえ、そのような……」


「はははっ、今から楽しみでたまらぬ」


 何だろう。後宮解放の宴とか開くのだろうか。

 ヘレナの姿を民に見せる、というのもよく分からない。


 まぁいいか。

 いつも通り、考えても分からないことは考えない。


「さて……もう着いたか」


「お帰りなさいませ!」


 そう話しているうちに、気付けば帝都の正門まで到着していた。

 既に日は傾いており、もう少しすれば沈むだろう。時間的には丁度いい。


 中央通りを歩き、宮廷へ向かう。そのまま厩へとシルバ、ファルコを返して、久しぶりに地面に降り立った。

 久しぶりに馬に乗ったからか、少しばかり内腿に疲れを感じている。屈伸不足だろうか。


「では、一月後までお別れだな」


「一月後のお渡り、お待ちしております」


 後宮の入り口。

 ファルマスはそこまでヘレナと共にやって来て、そして慣例、とばかりに口付けを交わした。

 何度やっても慣れないが、きっと慣れる日は来ないだろう。


「ではな。今宵はよく休め、俺のヘレナ」


「はい」


 そして、去ってゆくファルマスの背中を見送って、ヘレナも後宮へと戻る。

 楽しかったが、少しだけ疲れた。あとは夕餉の後に軽い鍛錬をしてから、横になって早めに休むとしよう。


 その前に、アレクシアに今日のことを話さなければ。

 この、麻袋でまだ暴れる大きな蛇と一緒に。

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