第94話 派閥
「一体、何だったんだ?」
「さぁ……わたしには分かりかねます」
無言で去っていったシャルロッテの姿が見えなくなると共に、そうアレクシアと顔を合わせる。
何故来たのか、全く意味が分からない。何かヘレナに対して思うところがあったのかもしれないが、それならば何か言ってくるのがいつものシャルロッテだ。そしてヘレナが相手にしなければ喚き立てる幼い子供。それがヘレナの思うシャルロッテである。
しかも、いつもならば数多くの取り巻きを連れているはずだというのに、侍女の一人も伴わずに、というのも尚更珍しい。
一体どういうことなのだろう、と首を傾げるが、アレクシアにも分からないことがヘレナに分かるはずがないだろう、とある種の諦めの良さを持って、気にしないことにした。
さて、続きをする前に少し喉を潤そう、とアレクシアの淹れてくれたお茶を飲む。
最近は大勢での訓練が多かったからか、少なからず寂しさを感じてしまうものだ。
「そういえばヘレナ様」
「ん?」
「先日、兄がわたしの宿舎を訪ねてきまして」
「ほう」
アレクシアの言葉に、そう僅かに驚く。
アルメダ皇国との最前線は、ヴィクトルとバルトロメイの両将軍により防衛されているはずだ。それを、バルトロメイが帝都に戻っているとは珍しい。
まぁ、以前にヴィクトルとヘレナの二人が戻ってきていたように、別段将軍が動けない、というわけでもないのだ。
「バルトロメイ様は壮健だったか?」
「わたしは生まれてこの方、お兄さ……兄が壮健でないところを見たことがありませんよ」
「それもそうか」
アレクシアの言葉に、ふふっ、と笑みを浮かべる。
バルトロメイが死ぬ姿など想像できないし、体調が悪い、という状態も想像できない。毒を入れられたお茶を飲んでも、ふんっ、と気合を入れれば全身の毛穴から毒素を出すのではないか、という人間離れした行動すら想像出来てしまうのだ。
それも、本人の色々と人間離れした存在感が示すものなのかもしれないが。
「何用で帝都に?」
「それが、どうにも陛下に呼ばれたそうで」
「ああ……」
それだけで、何の用なのか分かった。
そういえばファルマスも言っていたはずだ。先日、バルトロメイに初めて会った、と。
きっとフランソワとの縁談について言われたのだろう。出来ればフランソワを彼に見せて、どのような反応をするか見てみたいものだ。
「それで、兄から聞いたのですが」
「ふむ?」
「将来的に陛下は、後宮を解体するおつもりだ、と」
「それは当然だろう」
後宮は本来、皇帝が正妃を選ぶにあたって、側室を集めるための場所だ。
そしてファルマスが将来的に正妃を選んだ場合、後宮が解体されるのは当然である。
しかし、そんなヘレナの言葉に、アレクシアは眉根を寄せた。
「……ヘレナ様は、ご存知だったのですか?」
「いや……」
知っているか、と言われると当然知っている。
だが、アレクシアはファルマスの本性を知らない。少なからず、ファルマスのことを愚帝と考えているのではなかろうか。
これは口が滑ったか、と唇を舐める。
「これは個人的な意見なのですが」
「ふむ?」
「ヘレナ様のお部屋へお渡りになられる際、何度かご尊顔を拝見したのですけれども……陛下は、本当に世間で噂をされているような人物なのでしょうか」
「どういうことだ?」
「色に耽る皇帝なら、将来的にも後宮を解体などしません。そして、集められた美姫を独占するのも、世継ぎを安定して作るため、という理由が存在します。ですが……陛下はヘレナ様以外の側室を寵愛しておりません。純粋にそういう趣味なのだろう、と考えるのも、些か違和感がありまして」
「……」
アレクシアは頭がいい。
少なくともヘレナよりも遥かに。
そしてヘレナはファルマスから、どのような理由があって今の状態を維持しているのか、という話を聞いている。そしてヘレナを寵愛する理由も聞いている。
だが、アレクシアのように近しい者からすれば、そのように違和感を覚えるのも仕方ないことか。
「ふむ……」
「そのあたり、ヘレナ様ならご存知かと思うのですが」
「知らん」
「……………………そうですか」
激しく猜疑的な視線を向けられるが、ヘレナにも言えることと言えないことがあるのだ。
この場はとりあえず誤魔化すしかあるまい。
「大体、よく考えてみろアレクシア」
「はい?」
「陛下がどのようなお考えか、アレクシアにすら分からないことが、私に分かると思うか?」
「それもそうですね」
あっさり納得された。それはそれでなんだか悲しい。
しかしアレクシアはしきりに、なるほど、と呟いていた。これ以上ない説得力があるようだ。悲しくなるが。
まぁ、ひとまず鍛錬の続きでもするか、とヘレナは立ち上がる。
ファルマスより賜った大剣を持ち、中庭の中央へ向かう。
母には未だ遠いということが分かった。少なくともバルトロメイを相手に、イメージで勝てるようにならなければ母の足元にも及ばないだろう。
何せ、母レイラがその生涯で二度しかないという敗北。
その一度が、かのバルトロメイ・ベルガルザードなのだというのだから。
そして、その位置に至るまでにヘレナに必要なのは、限りない鍛錬である。
鋭い攻撃は、より鋭く。
的確に狙い、的確に捌く。
結局のところ、戦いとは積み重ねてきた鍛錬の成果こそが、勝敗を分けるのだ。
と。
そこで、ふと視線に気がついた。
普段と異なり、大勢の視線である。
ヘレナがそんな視線の方向へと目を向けると、そこには何故か大勢の令嬢――恐らく、十五人程度揃っていた。
全く見たことがない姿――ではなく、いつもシャルロッテの後ろについて回っている令嬢である。名前は知らないが、何度か顔は見たことがあった。
中には剣を振っているヘレナへ、「野蛮ですこと」などと分かりやすい嫌味を言ってきた者さえいる。
そんな連中が、一体何の用なのだろう。
「失礼します、『陽天姫』様」
恐らくリーダー格なのであろう、真紅の髪を随分と頭頂で盛り上げたような髪型をした、若い令嬢が一歩前に出る。
美しさはシャルロッテには及ばないものの、十分に美姫と呼んでいいだろう。年齢は二十歳前といったところか。
「わたくしは、カトレア・ランバートと申します。ランバート伯爵家が次女にございます」
「ヘレナ・レイルノートだ」
「このように、三天姫のお一人である『陽天姫』様に、九人の一人である『麗人』でありますわたくしがお声かけすること、まずお許しを願えればと存じます」
「許そう」
面倒な言い回しをするものだ。
ヘレナからしてみれば、鍛錬の邪魔だからさっさとどこかに行ってほしい。
だが、かといってそのように告げれば、角が立つだろう。だからこそ、ひとまず用件を待つ。
「実を言いますと、ご相談があるのですが……お時間はよろしいでしょうか?」
「手短に言ってくれ。まだ私は鍛錬が残っているのでな」
「それは鍛錬の途中にお邪魔して、申し訳ありません。ですが、決して『陽天姫』様に損のないご相談だと思っておりますわ」
「言ってみろ」
ヘレナは無駄を嫌う。
だからこそ端的に返し、向こうから用件を言い出すのをただ待つのみだ。
そして、これほどまでに無駄な言葉回しは、ヘレナにとってあまり好ましくないものだ。
「はい。先日は、『陽天姫』様が前帝の一周忌の式典に参加された、というお話を聞きました」
「そうか」
「改めましてお祝いを申し上げます。そのように陛下にご寵愛を受けておられる『陽天姫』様が実に羨ましい、とわたくし達は常々思っておりましたの。ですが、『陽天姫』様のようにお美しい方だからこそ、そのように陛下も寵愛されているのでしょうね」
「……」
だから何だ。
そう言いたいのを堪えつつ、令嬢――カトレアの、次の言葉を待つ。
「わたくし達も、『陽天姫』様と仲良くさせていただきたいと思っておりまして」
「……ほう?」
「聞けば、既に『陽天姫』派はかの『星天姫』派を取り込み、『才人』、『歌人』も擁しておられるとか。是非、わたくし達も『陽天姫』様の派閥に参加させてくださいませ」
それは、派閥の移動。
かつて『月天姫』派として、シャルロッテに阿っていた彼女らが、一斉にヘレナを支持する、ということ。
「勿論、ただ派閥に入れてください、と言うのもおこがましい願いかと思っておりますが、わたくし達を『陽天姫』様が派閥に取り込むことで、後宮においては最大勢力となるでしょう。決して、損にはならぬお願いと考えておりますが」
カトレアは、薄目で笑う。
カトレアの提案は、まさに渡りに船、と呼ぶべきものだ。『月天姫』の派閥が力を失い、後宮にシャルロッテが孤立するようなことになれば、それこそ表の宮廷においても、ノルドルンドの力が失われることとなる。そしてヘレナが最大勢力になれば、アントンの発言力は更に増すことになるだろう。
だからこそ、カトレアは自信満々に告げたのだ。
目の前にいる『陽天姫』ヘレナ・レイルノートという女を、何一つ知らずに。
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