第81話 宮廷の夜会
夜会が始まると共に、ファルマスのもとへ次々と挨拶に来る貴族が多かった。
昼の式典以上に人でごった返す夜会は、式典が貴族家の当主や代表、また国賓のみの参加だったことと異なり、貴族の妻や令嬢など家族も参加している。その数は式典の軽く五倍はいるだろう。
参加すること自体は、別段問題ない。
どれほどの大勢であろうとも、ヘレナにしてみれば戦場で出会う敵兵の方が多いのだ。人数に気圧される、というのはまずないだろう。
だが、問題は。
ヘレナはこれから――この全員の目に晒されながら、ファルマスと踊らなければならないのだ。
「改めまして陛下、紹介いたします。我が家の縁戚でもあります、カトリーヌ・フランツでございます」
「……初めまして、陛下。フランツ子爵家の次女カトリーヌと申します」
「ふむ。余よりも随分と年上のようだな」
「カトリーヌは器量は悪くないのですが、もう二十六にもなるというのに夫の一人もいないのですよ。世間では嫁き遅れと言われましょうが、性格も良く見目も悪くないとは思うのですが」
「そうか。騎士団には三十を超えて、まだ嫁を迎えておらぬ者もいる。引き合わせてやろうか?」
「い、いえ……それは」
そして。
先程から、次々とファルマスのもとへ、親戚の令嬢とやらを連れた貴族が挨拶にやって来ている。
基本的にはファルマスから促されない限り、話をしないよう徹している。だからこそ、そんな会話を後ろで聞いているだけだ。
しかし、先程から紹介される令嬢が、皆ヘレナと同じ程度の年齢なのは、ファルマスが年上好きだと知ったゆえだろうか。
今紹介されているのは、ヘレナよりも随分と背の低い、ややふくよかな令嬢である。
決して見目麗しい、と呼べるような外見ではない。ヘレナが美姫ばかり集められた後宮にいるためにそう感じるのかもしれないが、十人並み、という評価が正しいだろう。加えて現在の表情も暗く、俯いてしまっている。
少なくとも、夜会で皇帝に紹介をするに相応しいとは思えない。
「しかし、その年まで何故嫁に行かなかったのだ?」
「そ、それは……その、色々と偶然が重なったと申しますか……」
「そうか。ではそなたに良縁があることを祈っておる」
「は、はい。ありがとうございます、陛下」
恐らく貴族としては、年上好きの皇帝に自分の縁戚の嫁き遅れを紹介して、興味を抱いてもらおうとしたのだろう。
しかし残念ながら、そんな風に紹介されたカトリーヌが、随分と気落ちしてしまっているのだ。
その理由まではヘレナには分からないが、嬉々としてこちらに向かってきていたというのに、ヘレナと目が合ってから一気に沈んでしまった。別段、知らない令嬢にまで恐れられる理由などないのだが。
先程から、こんなやり取りの繰り返しである。
貴族がファルマスよりも年上の令嬢を紹介するが、その本人が何故か気落ちしており、ろくに喋らないのだ。だからこそ話が盛り上がらず、適度なあたりで去ってゆく。
今回挨拶をしてきたカトリーヌも、また同じだ。
「……も、申し訳ありません、陛下。では、これにて失礼いたします」
「うむ。夜会を存分に楽しんでくれ」
「は、はい。ほら、カトリーヌ、ご挨拶をなさい」
「……失礼いたします、陛下」
そうファルマスに頭を下げて、二人が去ってゆく背中を見送る。
先程まで随分沈んでいたはずのカトリーヌが、背を向けて去りながら何やら言っているのが聞こえた。
「何を考えてるのよ、おじさま……」
「お前、もう少し喋らないか。陛下の気を引く機会だというのに」
「あのね……あんな美人と比べられるこっちの身にもなってよ……」
「むぅ……」
恐らくファルマスには聞こえていないだろう、と思われる小さい声音だが、そうヘレナを評しているのが聞こえた。
気恥ずかしい評価だが、ヘレナの地獄耳はそのあたりも捉えてしまうのである。
同じく去った貴族の背中を見ながら、ファルマスがこれ見よがしに嘆息した。
「どいつもこいつも、手が変わらぬな。そうは思わぬか、ヘレナ」
「……どういうことでしょう?」
「余がヘレナを連れているのを見て、余が年上が好きだ、とでも勘違いしたのであろうよ。見事にどいつもこいつも嫁き遅れの女ばかり連れてくるものだ」
「……はぁ」
「しかし、何一つ魅力を感じぬな。誰一人、意味のある年の重ね方をしておらぬ」
やれやれ、と肩をすくめるファルマス。
年上好き、というのはルクレツィアも評していたことであるため、勘違いではないだろう。
だが、あくまでファルマスは、『己より優れた女性』にのみ食指が動くのである。ただ怠惰に年を重ねてきた貴族令嬢に、魅力を感じないというのも仕方ないことだろう。
「あの……魅力的な女性とは、どのような方なのでしょうか?」
ふと、疑問に思ってそう尋ねる。
少なくともヘレナは、ファルマスに気に入られていると思っている。正妃うんぬんはさておき、後宮のヘレナの部屋へよく訪れてくるし、口付けをしてくる程度には好まれているはずだ。
ルクレツィアは、『一つでもファルマスより優れている部分があれば気に入る』と言っていたが、現状でヘレナがファルマスより優れているのは戦闘力くらいのものである。
「ふむ」
ファルマスは、そこで考えるように顎に手をやった。
「まぁ、余も別段変わった趣味を持っている、というわけではない。醜女よりも美姫を好むのは、男として当然であろう」
「……まぁ、そうですね」
ヘレナに女性の美醜はよく分からないが、少なくともシャルロッテやマリエルが美人であるのは分かる。
フランソワやクラリッサも、まだ幼いが将来的には美しくなるだろう。
ヘレナ自身がどうなのか、というのは自分で評価しにくいが、それなりに悪くはないと思っている。
「それと、ただの女ではなく、余が何か尊敬できるものを持っていなければなるまい。例えばその強さであったりな」
「なるほど……」
ヘレナを超える武力の女性は、そう存在しないと思う。
恐らく国内全てを探しても、ヘレナの次に強いのはティファニーになるだろう。国外までは分からないが、軍に所属している女性とは大抵模擬戦を行っており、そしてヘレナは全勝である。
「あとはやはり、頭の回る女が良い。己の立場をしっかり分かっており、その上で問題なく振舞える女はいい女だ」
そして、ここでヘレナは脱落である。
ヘレナは自分の頭の回転が、人よりちょっと悪い自覚がある。考えることは嫌いだし、思考を放棄することも多々あるのだ。
挨拶に来る令嬢を見ながら、次の鍋パーティーはいつにしようかな、とか考えていたくらいなのだ。
しかも、そのせいで空腹感が湧いてきてしまっている。
「まぁ端的に言えばヘレナ、そなただ」
「……はい?」
「む?」
思わぬファルマスの言葉に、そう首を傾げる。
見た目、強さならば問題ないが、頭が回る、という条件がついた時点で、もうヘレナは脱落しているはずだ。
もしかして、ヘレナの頭が悪い、ということを知らないのかもしれない。
「あの、陛下……」
「ヘレナ、二度同じことを言わせるな。余のことはファルマスとそう呼べ」
「し、しかし、ここは公式の場ですし……」
「構わぬ。現在のそなたは正妃に準ずる存在だ。その仲を誇示するのも、他国に対して有効なのだ。いつも通りにそう呼ぶことは何も問題がない」
「はぁ……」
それはどうなのだろう、と思うけれど、しかしファルマスの言葉に逆らうわけにはいかない。
このように人が集まっている中で、そう呼ぶのも気恥ずかしいのだが。
「……え、ええと、ファルマス様」
「うむ。それで良い。恥ずかしがるそなたも愛いぞ」
「か、からかわないでください」
顔に熱が走る。
きっと、今ヘレナの顔は真っ赤になっているだろう。
「さて、ヘレナよ」
「はい?」
「そろそろ時間だ。行くぞ」
そういえば、先程からずっと来ていた貴族の来訪がない。
挨拶は終わったのかな、などと思っていたのだが、まだまだ挨拶に来ていない貴族は大量にいる。
だというのに、誰一人来なかったその理由。
厳かな音楽が、そこに流れる――。
「さぁ、ヘレナ。手を」
「し、失礼いたします……」
おずおずと手を伸ばし、ファルマスにその手を引かれ。
夜会の中央――その空間に、二人で立つ。
これより迎えるは、ファルマスとヘレナの舞踏。
衆人環視のダンスが、始まる――。
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