第39話 暴走少女の報告

 ひとまずフランソワと幾つか話した後、アレクシアと共に部屋へ戻った。どうか! どうか! よろしくお願いします! と最後まで声を張り続けていたフランソワの本気は、十分に見せてもらえただろう。

 アレクシアは本気で理解できない、といった様子で頭を抱えていた。

 それも当然――どう考えても、美少女と野獣である。


 そして冷めた夕餉を食べて、訪れるのは夜。

 そして、ファルマスである。


「ふむ……なるほど」


「陛下……ええと、ファルマス様は、後宮を解体されるおつもりはないのですか?」


「余が正妃を得れば、解体するつもりだ。同時に、後宮の側室には、相応しい夫をあてがう。先々代の皇帝は、お気に入りの側室を数名、そのまま残して妾としたらしいが……余には興味がないな」


 なるほど、とヘレナは頷く。

 確かに後宮に入っていた、と言われると、貴族の娘として必要な純潔が存在しない、と思われる。だからこそ、皇帝であるファルマスの方から相応しい夫をあてがう、ということか。

 ヘレナとしては、解体したらそのまま放っておいてほしい。自分が夫を迎える、という未来が想像できないし、 多分戦場に復帰するだろうからだ。


「しかし、レーヴン伯の娘か……」


「ご存知でしたか?」


「側室のことは、書面上は全員把握しておる。会ったことのない者が大勢だがな。しかしまさか、余の側室でありながら、余の寵愛がいらぬ、という者がいるとは思わなんだ」


 ここにもいる。

 だが、それは言わない。


「そういうことならば、事の次第が済み、後宮を解体した折にでも余が手配しようではないか。バルトロメイ・ベルガルザードは未婚であろう?」


「そうですね。少なくとも、女子に好かれる見た目ではありませんので」


「ならば、余が仲人として引き合わせよう。皇帝の命には逆らえまい」


「……ですね」


 ヘレナからすれば他人事だが、バルトロメイの胃痛が想像できる。

 少なくとも一年、とファルマスは言っていたが、仮に一年後に後宮が解体されたとして、フランソワは未だ十四。子供と言って良い年齢だ。

 そんな可愛らしい少女を、あの野獣が嫁に貰うなどと発表すれば、それこそバルトロメイに向く視線は胃に痛いものとなるだろう。


「しかし、随分と剣は馴染んだようだな」


「あ、はい。毎日振らせていただいております」


 ヘレナの側に置いてあった、帝家の紋章が入った大剣。

 滑り止めの布は、もう随分と汚れてしまっている。そろそろ洗わなければならないだろう。

 それだけ、ヘレナはこの剣を振ってきたのだ。


「ファルマス様には、非常に素晴らしいものを賜り……」


「そのような謝辞は良い。倉庫に放り込んであっただけのものだ。余は刃を潰すよう指示し、そなたへと持っていかせただけだ。そこまでの感謝を受けるようなことはしていない」


「ですが、私の望みを叶えていただきました。ファルマス様も、何かお望みとあらば、このヘレナにお伝えください」


 ファルマスから貰ったこの剣は、相当な価値を持つ美術品とさえ言える。

 恐らくヘレナの貯金を崩せば買えるかもしれないが、その八割は消えてしまうだろう。

 軍に入り、無駄遣いなど一切せず、俸給を貯め続けた結果の貯金が、だ。


「ふむ……そうだな。では、一つ頼まれてほしい」


「何なりと。この身は『陽天姫』、ファルマス様の正妃に等しい存在にございます」


「うむ。一週間後に、前帝の一周忌が行われる。その際に、余も一人ではなく、正妃を連れてゆかねばならぬ。そして、余が未だに正妃を娶っておらぬ以上、そこには三天姫のいずれかを連れてゆかねばならぬ」


 なんだか嫌な予感がする。

 だが、その言葉を阻むことはできない。


「ゆえにヘレナよ、そなた、余と共に一周忌の式典へ出席せよ」


「……」


 えぇー……と心の中では思い切り顔を歪ませる。

 しかし表情は取り繕ったままで、ファルマスに相対し。


「……承知いたしました」


「うむ。式典の後には夜会も開かれる。他国の重鎮も多々いるが、まぁ気にするな」


「それは……」


 なんだか、警鐘が走る。

 戦場で、なんとなく危ない、と思うときは、大抵罠があったり伏兵がいたりした。これはヘレナの第六感であり、その第六感に逆らい、とんでもない事態が引き起こされたことも何度かあるのだ。

 だが、かといってそれを頼りに、ファルマスからの要請を断ることなどできない。

 何故断るのか、と聞かれ、勘です、と堂々と答えられるほどにヘレナの面の皮は厚くないのだ。


「……私はこれまで社交の場に出たことのない素人ですので、どうかご教授ください」


「いいだろう。社交界に出る令嬢と、正妃としての立ち回りは異なる。そのあたりは……明日か明後日にでも、礼節の教師を遣ろう。その者の言葉に従い、一夜のみではあるが、正妃として振舞えるように」


「承知いたしました」


 ヘレナに詳しいことは分からないが、とりあえず教えてくれるのだと言うならば問題はないだろう。

 明日か明後日のどちらかということなので、そのあたりには鍛錬を入れないようにしなければなるまい。


「それで、ヘレナよ」


「はい」


「剣以外に欲しいものはないか? 別段何でも構わんぞ」


「剣以外、ですか……?」


 何が欲しい、と言われても特に何も浮かばない。

 元よりヘレナは物に執着する方ではなく、特に欲しいものがある、というわけでもない。他の令嬢のように、美しい調度品や細工品、髪飾りなどには全く興味などないのだ。

 どれほど高級なものを用意されても、「ふーん」という感想しか出ない自分がいることは分かっている。


「特にないのですが」


「ふむ……では、余の方から見繕っておこう。いらなければ放っておいても構わぬ」


「へ……? いえ、特に必要は……」


「いや、違うのだ。余が国費より、寵愛している側室へと贈り物をする、ということが重要でな。現在、ノルドルンドが様々な公共工事を行うよう働きかけておる。その言葉を止めるためにも、余からヘレナへ何かを贈る必要がある」


「……?」


 よく分からない。

 何故ファルマスがヘレナへと物を贈ることが、ノルドルンド侯爵の専横に対する働きかけになるのだろう。


「まぁ、一時凌ぎにしかならぬ、ということは分かっている。余は寵愛する側室のために金を使いたいのだ、という姿勢を見せようとも、国費が揺るぐほどのことは出来ぬ。まぁ、今は余も愚鈍な皇帝を演じねばならぬからな」


「……そうですね」


 全く分かっていないが、そう返す。

 そして、それを表に出さない限り、気付かれないのがヘレナという女だ。


 ちなみに、ヘレナ非公認ファンクラブ『ヘレナ様の後ろに続く会』では、ヘレナが本当に残念な頭をしているのか、そう演じているのか、という意見で真っ二つに分かれている。前者は「そんなのーきんヘレナ様が可愛いんじゃないか!」と主張し、後者は「演じているだけの実は、って方がギャップあるだろうが!」と主張している。


「だが、最近は少々問題が出てきてな」


「はい?」


「余がヘレナを寵愛している、という噂は十分流れた。だが、今度はそれでノルドルンドの勢力が少々押されている。現在は宮廷の均衡を保たなければならないのだが、アントンの派閥の方が発言力が増しているのだ」


「……はぁ」


 ファルマスからすれば、アントンの方が政治的には清廉な人間なので、その勢力が増すことは良いことではないのか、と思える。

 だが、それはあくまでヘレナが素人だからだろう。政治の闇の側面など、ヘレナには分からないのだから。


「ゆえに、気は乗らぬが、後宮全体に目を向けなければならぬ。以前、余は言ったな。後宮の警備を見直す、と」


「はい。仰られました」


 別段、警備を強化された気はしない。

 侵入口の方を強化したのかもしれないが、警邏の者などは見ないため、内部の警備は強化されていないのだろうか。


「ようやく、明日から実施できるのだ」


「そうなのですか?」


「ああ。やっと『銀狼将』ティファニー・リードが承諾してくれた。銀狼騎士団の女騎士を一個中隊、後宮の警備に派遣してくれる」


「まぁ!」


「うむ。これでヘレナも安心できるだろう」


「はい、ありがとうございます!」


 そう、ファルマスは頷いて、喜ぶヘレナを見る。

 だが、残念なことに。

 ファルマスの目の前にいるヘレナは、暗殺者が来たところで己の領域で判断して逆襲できるほどに強い女であり、恐らく帝都においても並ぶ者のない強者である。

 そんな彼女が喜ぶ最大の理由は。


 銀狼騎士団の女騎士と、模擬戦ができることなのだから。

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