第36話 閑話:戦場のバルトロメイさん
「ぶぇっくしっ!」
「――っ!? ど、どうしましたか、ベルガルザード将軍!」
「いや、何でもない」
アルメダ皇国との最前線――グラム砦。
日々小競り合いは起こるが、現在は小康状態といったところだ。斥候を送ることは欠かしていないけれど、大規模な戦いはここ一月ほど発生しておらず、どことなく兵たちの間でも弛緩した空気が流れていた。
そんな兵士たちの間を、ガングレイヴ帝国八大将軍が一人、『青熊将』バルトロメイ・ベルガルザードは歩く。
巨人のような体躯に、熊と豚と猪、それに空想にしか存在しない鬼を混ぜて、人間で割ればこのような顔になるのだろう、と思える凶相をしている男である。ぎろりと睨みつけるだけで大の男を失禁させるほどの圧力を持つ彼は、まさに戦場に生きる存在だ。だからこそ齢四十が近くなった現在に至っても、嫁の来手はない。
戦いとなれば誰よりも先駆け、あらゆる敵将の首を取る。そして、そんなバルトロメイが先頭に立つことで、後塵の兵たちの士気も上がるのだ。ゆえに、バルトロメイを先頭とした突撃戦法を行うことで、八大騎士団の中でも最大の突破力を誇っている。
そんなバルトロメイは今、自身の率いる青熊騎士団の駐屯地ではなく、赤虎騎士団の天幕へとやって来ていた。
本来ならば、使いでもやって伝えるべきなのだろうが、生憎現在特に戦闘らしい戦闘も起こっておらず、手持ち無沙汰だったのだ。ついでに、バルトロメイがいない方が、青熊騎士団の幹部も休めるだろう、という考えで、最近はとくと会っていなかった『赤虎将』ヴィクトル・クリークを訪ねに来たのだが。
ただの生理現象でしかないくしゃみですら、バルトロメイは相手を驚かせるらしい。
「すまんな、ヴィクトルに用だ。通してくれるか」
「は、はい! どうぞ!」
天幕の見張りの兵へとそう述べ、中へと入る。
そこには、見知った顔――『赤虎将』ヴィクトル、それに補佐官が数人、またヴィクトルに従う近衛が数人、顔を見合わせていた。
「邪魔をする」
「おう、バルト」
「会議か? 忙しいならば時を改めるが」
「構いやしねぇよ。どうせ、今はアルメダが大人しいからな。今すぐ決めなきゃならねぇ案件じゃねぇ」
粗雑な口調で、そうバルトロメイへ座るよう促す。
ヴィクトルは三十過ぎであり、バルトロメイは四十近い。その年の差がありながらにして、このように仲良くしているのは、ヴィクトルとバルトロメイが同じ八大将軍の立場にあるがゆえに他ならない。
むしろ、バルトロメイの方から言ったのだ。同格であるのだから、先輩後輩、年上年下、そんなものは関係なく接して欲しい、と。
そしてヴィクトルはそれを忠実に守り、こうやって友人のように接してくれている。
「んで、何か動きはあったか?」
座ったバルトロメイを鋭い視線で射抜きながら、ヴィクトルがそう言ってくる。
それはどこか期待を混じらせながら、しかし諦観が半分を占めながら。
バルトロメイはいつも通りに、嘆息しながら告げる。
「帝都より使者が来た」
「んで?」
「専守防衛せよ、とのことだ。配置変更はない」
「――ったくあのボンクラ皇帝がっ!」
ヴィクトルがそう、口汚く吐き捨てる。
それもそうだろう。彼は何度となく、帝都に上申をしているのだ。現在の戦力では、騎士団を全力で動かすことはできない、と。
アルメダとの国境にあたるグラム砦は、必ず防衛しなければならない。だが、防衛戦において力を発揮する騎士団と、そうでない騎士団の二つがあるのだ。
防衛戦ならば。
『紫蛇将』アレクサンデル・ロイエンタールの紫蛇騎士団。
『銀狼将』ティファニー・リードの銀狼騎士団。
『白馬将』ルートヴィヒ・アーネマンの白馬騎士団。
突撃戦ならば。
『青熊将』バルトロメイ・ベルガルザードの青熊騎士団
『金犀将』ヴァンドレイ・シュヴェルトの金犀騎士団。
『碧鰐将』アルフレッド・ガンドルフの碧鰐騎士団。
両方を器用にこなすのが『赤虎将』ヴィクトル・クリークの赤虎騎士団、『黒烏将』リクハルド・レイルノートの黒烏騎士団だ。
だからこそヴィクトルは、再三の要請を帝都へと送っている。青熊騎士団と紫蛇騎士団の配置を変更し、バルトロメイの青熊騎士団とヴァンドレイの金犀騎士団により、三国連合の端であるダリア公国を攻め落とすべきだ、と何度も言っているのだ。
そしてグラム砦も、ヴィクトルとアレクサンドルが力を合わせれば、アルメダ皇国から砦を守ることは容易だろう。そして、そうして防衛をしている間に、電光石火が如く二つの騎士団でダリアを落とすべきなのだ。
そうやって、何度も何度も何度も何度も送っているのに。
「どうしろってんだ畜生!」
何一つ、状況は変わらない。
青熊騎士団という、敵国の防備に楔を打ち込める存在がいながらにして、それを何一つ有効的に使わないのだ。
「あまり怒るな、ヴィクトル」
「はっ! ったくよぉ……アイツらは上で命令してりゃいいのかもしれねぇが……死ぬのはこっちなんだぜ」
「それについては、分かっている。だが、俺の受けた命令はそれだけだ。本来、使いの者でも出せば良かったのかもしれんが」
「あー……まぁ、お前がいねぇ方が愚痴言えるだろうしな」
バルトロメイは実直な軍人だ。
ガングレイヴでも最強と呼ばれているが決して慢心せず、ただ己の職務を果たすことだけを忠実に行っている。だからこそ戦果を上げていることは勿論、軍規違反による降格や減俸なども全くない。
だが、決して人の機微が分からない人間というわけでもなく、いつまでも上官がその場にいては、言える愚痴も言えまい、という程度の気遣いは持っているのだ。
「ったく、ボンクラ皇帝はいつも通りのクソッタレな命令ばっか出しやがるし、ろくな戦いも起きてくれねぇから欲求不満だしよぉ……ったく、さっさとヘレナが帰ってくりゃいいのにな」
「む?」
「アイツ一人いりゃ、騎士団が締まるからな。やっぱ八大将軍には絶対に上げてやらねぇ。俺の副官のままババァになってもらうとするか」
そんなヴィクトルの呟きに、バルトロメイは眉根を寄せる。
ヘレナの上官は、ヴィクトルだ。
そんなヴィクトルが、何故知らないのか。もしかすると、知らない演技でもしているのか、と思ったけれど、そのような演技をする必要はないだろう。
だが――何故、直属の上官が知らないのか。
「ヴィクトル」
「ん?」
「お前……へレナ嬢のことを、知らないのか?」
「はぁ?」
ヴィクトルは、そんな風に意味が分からない、という様子で返す。
バルトロメイとて、知った相手は腹違いの妹からなのだが、まさか直属の上官が知らないなど思いもしなかった。
ちなみに最大の理由として、「私から文を出して伝えます」とヘレナが言ったことで、ヘレナから伝える方が良いだろう、とアントンが気を利かせて伝えなかったこと。そして、ヘレナが文を出すことをすっかり忘れていた、という二つが重なった結果として、ヴィクトルに伝わっていなかったのだ。
「……へレナ嬢は戻って来ないぞ」
「あん? 何言ってんだバルト」
「俺も腹違いの妹からの文で知ったのだが……へレナ嬢は、後宮に入ったらしい」
「なぁっ!?」
思い切り、そう叫んで立ち上がるヴィクトル。
後宮。
それは、皇帝が数多の美姫を集め、色事に耽る場所だ。このような戦時中であるけれど、そこに数多の美姫が集められている、というのは噂で知っている。
だからこそ尚更、皇帝という存在に苛立ちを覚えている者も多いのだが。
「なんでヘレナが!?」
「俺に聞かれても困るが……へレナ嬢はレイルノート宮中候の息女であろう。貴族の娘であるがゆえに入ったのではないのか?」
「な……なっ……!」
「それに、お前の副官は先日、リチャードに変更されただろう。その辞令は届けたはずだが、届いていなかったのか? おい、ヴィクトル?」
ヘレナからリチャードへの、副官変更の報告は、確かに数日前に行っていたはずだ。そして現在、この天幕にいるのは副官リチャードと補佐官数人、それに近衛数人のみ。
まさに、現在の赤虎騎士団幹部なのだが。
「……リチャード」
「はい、将軍」
「今すぐ動かせる兵は何人だ」
「今すぐでしたら、三千です。明日の朝まで待っていただければ、もう二千は動かせます」
「明日の朝に出立する。準備しておけ。全軍だ」
「承知いたしました」
「……おい、ヴィクトル、どうした」
何故かゆらり、と生気のない動きで、そう命令を下すヴィクトル。
そして、その命令を根拠を確認することもなく承諾したリチャード。
バルトロメイの頭を、警鐘が走った。
「決まってんだろうが、バルト……敵は帝都にあり!」
「何を考えている!?」
「ヘレナを奪いやがったボンクラ皇帝なんざもう知るか! 謀反だ謀反!」
「何を言っているのだ! おい、リチャード! お前も止めろ!」
「我々は将軍に従います!」
「何故!?」
ガングレイヴ帝国八大将軍の一人である『赤虎将』の、突然の翻意。そしてそれを、止めることもなく肯定する副官。
バルトロメイには、彼らが何を言っているのか分からない。
「決まっています、バルトロメイ将軍。ヘレナ様は、我々にとって女神が如き存在でした」
「ここにいる全員、『ヘレナ様の後ろに続く会』の幹部会員なのです」
「ヘレナ様がおられない赤虎騎士団など、いえ、ガングレイヴ帝国など、所属する意味がありません」
「本当に何を言っているのだ!?」
何故か補佐官までもそう乗ってくることに、バルトロメイはそう叫ぶことしかできない。
「ヘレナ様を我らのもとに!」
「ヘレナ様の後ろに続くために!」
「ヘレナ様と共に戦うために!」
「ヘレナ! 待っていろぉーっ!」
「止まれぇーっ!」
ここにいたのがバルトロメイでなければ、もしかするとガングレイヴ帝国の歴史は変わっていたかもしれない。
だが、この場にいたのが最強の将軍バルトロメイ・ベルガルザードであり、謀反を起こそうとしている友人に対して、叱責をする程度に良識のある人間であったことが幸いだったのだろう。
そうでなければ。
ヘレナ非公認ファンクラブ『ヘレナ様の後ろに続く会』の会員たちによって、帝都は蹂躙されていたかもしれない。
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