第35話 姉妹の語らい
ヘレナとリリスの手合わせは、その後二時間ほど行われた。
とはいえ、ヘレナの最後の一撃で肋骨を折ったために、それほど激しい戦闘はそれ以降行わなかったが。
それでもアレクシアやイザベルの目から見れば、十分すぎるほどに人間を超越した戦いだったのだが、残念ながらその事実にヘレナは気付いていない。
そしてようやく、姉妹の語らいの時間が訪れる。
「まぁ……素敵ね。見ただけで一級品だと分かるわ」
「だろう? 私も気に入っている」
「ええ。この細工の一つ一つに、職人の技術の粋が詰まっているわ。こんな素晴らしい品を陛下から賜ったなんて、うらやましいわね」
まるで上等な細工品を見ながら話している二人の間に置かれているのは。
剣である。
ヘレナの身の丈ほどもある、細かく丁寧な細工のされた大剣。それはヘレナのみならず、リリスのように見る目がある者からすれば、宝石の塊よりも美しいものだ。だからこそ、ヘレナもこうして自慢しているのだが。
「こんな素敵なものを頂くなんて、姉さんは陛下に気に入られているのね」
「まぁ……そうだな」
さすがに、父アントンにも隠しているファルマスの真意を、妹に話すわけにはいかない。だからこそ、ヘレナはそう肯定する。
気に入られているのは間違いないのだろうけれど、きっとリリスの考えている気に入られ方とは、違うだろう。後宮という存在自体が、男女であれやこれをする場だ。そしてそんな場所にいて一週間、ファルマスと夜を共にしながら、未だにしてくるのは朝の口付けくらいのものである。
ヘレナから仕返しをしたのは一度だけで、それ以降はやっぱりファルマスに振り回されているけれど。
「そういえば、今日はアルベラは?」
「墓参りのときには一緒にいたわよ。姉さんに会いに来たのは私だけ」
「ふむ。顔くらい見せに来てもいいと思うのだがな」
「今、小姉さん、子供がお腹にいるんだって」
「なんだって!?」
幼い頃からの婚約者と結ばれた、次女のアルベラ。
ヘレナもここ最近は戦場にばかり行っていたため、二年ほど会っていない。だが、アルベラも現在は二十五になるはずだし、ようやく子供を作ることができたのだろう。
良かった、と胸を撫で下ろす。二年前は、嫁いでからずっと子供ができる気配がなく、落ち込んでいたのだ。ようやく子宝に恵まれたとなれば、それはヘレナにしても嬉しい事実だ。
「だから、姉さんには会いに来れないって言ってたわ」
「……話くらいはしてもいいだろうに」
「姉さんと会ったら、戦いたくなっちゃうから、って。実際、私だと小姉さん相手じゃ剣を持ったら勝てないから、そもそも相手できないし。それで姉さんと戦って、お腹の子供に何かあってもいけないからね」
「むぅ……」
さすがに、そういう理由なら仕方ないだろう。
アルベラとは、ここ二年会っていない。つまり、ここ二年手合わせをしていないのだ。
ヘレナも、できれば手合わせをしたい、と思ってしまうだろう。だからこそ、敢えて来なかったアルベラは正しいのかもしれない。
「父さんも心配してたわ」
「父が?」
「うん。私も詳しく話は聞いてないけど、なんか、父さんが無理やり後宮に入れたようなものなんでしょ? さすがに十八歳の陛下を相手に、二十八歳の姉さんが気に入られるなんて思ってなかったみたいだけど……今、後宮で一番寵愛されてる側室って、姉さんなんでしょ?」
「……まぁ、そうなるな」
むぅ、と少しばかり唇を尖らせる。
改めて年齢差を他者の口から語られると、どことなく物悲しくなってしまうものだ。
「まぁ、父さんとしては、そのおかげで動きやすくなった、とか言ってたけど。でも、あんな年増のどこが良いのだろうな、って首を傾げていたわよ」
「次会ったら殴る」
「手加減しなよ、姉さん。父さんは母さんみたいに強くないんだから」
リリスの言葉に、思い出す。
それはヘレナ、アルベラ、リリスの母――レイラ・レイルノート。
ヘレナが未だに到達できていないと思える、最強の母だった。
「母さんか……私も随分強くなったと思うが、まだ母に勝てる気はしないな」
「私もよ、姉さん。母さんは強すぎたもの」
「私たち三姉妹を同時に相手にして、完封できる女性なんて母さんくらいだろうな」
現在の八大将軍には、女性が一人いる。『銀狼将』ティファニー・リードという、四十過ぎの女将軍だ。とはいえ、卓越した武勇を持ちえるわけではなく、恐らく一対一の戦いならばヘレナの方が強いだろう。
だが、ヘレナが『赤虎将』の副官であり、ティファニーが『銀狼将』となっている最大の理由は、ティファニーのその智謀だ。
防衛戦に強いと呼ばれるティファニーは、十倍の数の敵軍が砦に攻めてきたとしても、一月は耐えられるとされる。
そして――。
「元『銀狼将』だからな」
レイラ・レイルノート。
彼女は、ティファニーの前任である『銀狼将』であり、歴代の『銀狼将』の中でも最強と呼ばれていた人物なのだ。
女性騎士団と呼ばれている『銀狼騎士団』は、その幹部が女性で構成されている。そして『銀狼騎士団』の近衛は、皇族に連なる女性の護衛などを行っている。女性ならではの仕事を多く引き受ける『銀狼将』は、騎士団に所属する女性の憧れなのだ。
アントンとの結婚を経て妊娠をしたために戦場から退くこととなったが、その引退を惜しむ声は多かった。
病に体を冒されなければ、子供が独立した現在は、戦場に復帰していたかもしれない。
「全く、母さんの訓練ほどきつかったものは他にない」
「あら、『赤虎騎士団』での訓練はどうだったの?」
「生ぬるい。男連中の貧弱なこと極まりないな」
「……まぁ、姉さんならね」
グレーディアやヴィクトル、バルトロメイなど例外はいるが、ヘレナにとって男は弱い相手だ。
特にそれが、こちらを女として見下す輩なのだが。
そして、戦場でヘレナはそんな男連中を、何人も斬ってきた。
「そういえば……こっちも聞きたかったんだけど」
「ん?」
「兄さんは元気?」
「私も風の噂でしか聞かないな。『赤虎騎士団』は、基本的にアルメダ皇国との最前線にいたんだ。兄さんは三国連合との最前線にいる」
「そうなの?」
「ああ。私も詳しくは知らない。だが、そう簡単に決着はつかないだろう。少なくとも一年は、この二正面……いや、三正面か。戦争は続くだろう」
少なくとも一年。
ファルマスは一年、宮廷を混乱させると、そう言ったのだ。
だからこそ、一年は戦争が長引き、そして多くの兵が死ぬことになる。
隣国に嫁いだリリスは、まだ安全だ。リリスの嫁いだ国――ダインスレフ王国と、ガングレイヴ帝国は同盟関係にある。
だが、帝都に住んでいる伯爵家に嫁いだアルベラは、もしも帝都まで攻め込まれる事態となれば危険が迫るだろう。
そうならないために、ヘレナは有事の指揮を行うため、鍛錬を怠ってはならないのだ。
「……父さんが嘆いていたわよ。宮中候の座を、継がせる相手がいない、って」
「それも……仕方ないだろう。現状で、兄上を帝都に戻すわけにはいかない。八大将軍全てが出張っているのだ。兄上だけを特別扱いはできまい」
「ええ。だから、もし小姉さんの子供が男子なら、レイルノート家の養子になるかもしれないわ」
「この年にして弟ができるのか。面白いな」
くくっ、とヘレナは笑う。
レイルノート家の子供は、四人。
長女のヘレナ、次女のアルベラ、三女のリリス。
そして――長兄、リクハルド・レイルノート。
「まぁ……思わないわよね。宮中候の令息が、『黒烏将』だなんて」
「ああ。だからこそ、私が上がれなかったのだがな」
彼は――『黒烏将』リクハルド・レイルノート。
ガングレイヴの誇る八大将軍が一人なのである。
元々、八大将軍が定められたのは、武力を一箇所に集めず分散させるためだという。全体の戦力を統括する者は皇帝のみであり、それぞれ配下の騎士を率いての統率権を与えられているだけだ。
そして――八大将軍に、同じ家の者が入ることはない。
ヘレナが八大将軍に次ぐ力を持ちながらにして、副官止まりである、最大の理由だ。
「さーて……それじゃ帰るわ。姉さん、元気でね」
「ああ、壮健で。来年と言わず、暇があればまた来い」
そう、握手を交わす二人の姉妹。
それはきっと、内情を知らなければ、微笑ましい光景に見えるかもしれない。
だが、そうは見えない女官二人は。
「……何なんですか、この一族」
「しっ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます