第34話 妹との戯れ

 ヘレナとリリスはまず睨み合い、互いの距離を測る。

 ヘレナより頭一つ分は小さいリリスは、それだけリーチも短い。現在の距離は、ヘレナならばなんとか届くが、リリスには若干遠い位置だろう。

 だが、かといって徒らに攻めていくわけにもいかない。攻撃は最大の防御という言葉があるが、それが全てに通じるというわけではないのだ。攻撃を行った瞬間というのは、人間は限りなく無防備になってしまう。その瞬間を狙ってカウンターを打たれれば、こちらの攻撃した威力そのものが返ってくるに等しいのだ。

 だからこそ、現在の距離はヘレナにも攻め切ることのできない距離。

 かといって距離を詰めるには、リリスの構えに隙がない。


「……」


「……」


 無言で、睨み合う。

 現在はリリスも、距離を詰める機会を窺っているのだ。無手の戦いである限り、その体格そのものが互いのリーチとなる。リリスの方が体格的に負けている以上、不利なのはリリスなのだ。

 だからこそリリスも、踏み込めない。


 ゆえに――二人は、睨み合ったままで微動だにしない。


「……」


「……」


 だが、そんな均衡を、最初に破ったのは、ヘレナだった。

 目を見開き、気合いを入れる。そしてリリスへと向けて。

――吼えた。


「喝っ!!」


「――っ!?」


 咆哮というのは、己に気合いを入れると共に、敵に対しての威圧となる。そして長く戦場で生きてきたヘレナの威圧は、一般人のそれとは比べものにならないものだ。

 だからこそ、一瞬リリスが怯む。そして、その隙を逃すようなヘレナではない。

 瞬時に詰める、半歩の距離。それはヘレナにとって最善の距離であり、リリスにとってはもう半歩の足りない――ヘレナの領域。

 ふんっ、と気合いのままに右腕を突き出す。


「ふふっ!」


 だが――リリスは小さく軽いという、ヘレナに劣る部分こそあれど、それをただの弱点としない。

 前に構えた左手を、そのまま突き出すジャブ――全ての打撃攻撃の中で、最も鋭く速いとされるその攻撃を。

 リリスは、髪を掠めるだけで避けた。


 体格とリーチ、そして力はヘレナの方が上だ。

 だが、ヘレナの専門は戦場であり、武具全般を用いての戦い。どうしても徒手格闘というのは、その攻撃範囲を見誤ることがある。

 そして、リリスの専門は徒手格闘。

 幼い頃より何度となく徒手格闘の訓練を互いに行っていても、やはりリリスに一日の長があることは否めない。

 そして、何より――リリスは、ヘレナよりも速い。


「ちっ!」


 舌打ちをするが、状況は変わらない。

 リリスはそんなヘレナの攻撃から一瞬の隙を突き、肉薄する。それはリリスが半歩踏み出した、リリスにとって最善の距離。

 そして――その攻撃は、鋭く素早い。


 瞬間に、ヘレナへと向けられる三つの打撃。

 ヘレナはあまりの速度に反応できず、防御を選択する。

 突き出してくる神速の突きに対しては、半身を構えて肩で受け。後方に弓引く形で力を溜めた振り上げに対しては、手で捌いて逸らす。だがヘレナが反応できたのはそこまでであり、しなる鞭のように襲ってくる蹴りに対しては、無防備に脇腹を開けることとなってしまった。

 めりめり、と蹴りが脇腹へ突き刺さる。


「ぐっ……!」


「さぁ、次いくわよ!」


 だが、一撃を加えたところでリリスは止まらない。

 リリスにも分かっているのだ、己の弱点が。そして、ヘレナの強みが。

 リリスは軽い。それゆえに、攻撃も軽い。

 そしてヘレナの鍛え上げた体は、ただの攻撃程度では揺るぎもしないのだ。


 ヘレナはさらに距離を詰める。

 それはリリスの最善の距離よりも、更に詰めて。

 お互いの攻撃が、意図せずとも当たってしまう、まさにドッグファイトの距離――。


「はぁっ!」


 ヘレナは瞬時に、攻撃を叩き込む。

 距離を取る戦いならば、有利なのは速度の勝る方だ。だが、接近戦ならば膂力のある方が有利となる。

 ヘレナの強みは、その膂力と体格。

 つまり、限りなく接近する戦いならば、ヘレナが有利に立ち回ることができるのだ。


 ヘレナの繰り出した突きが、リリスの肩に突き刺さる。

 さすがに接近しているとはいえ、反応速度は一流。顎を狙った攻撃を見事に逸らされたその速度には、賞賛の言葉しか浮かばない。

 だが、その一撃では終わらない。

 次々と、ヘレナは攻撃を叩き込む。


「おおおおおおっ!」


「う、ぐっ!」


 防御一辺倒となるリリスを、更に攻め立てる。

 ヘレナの強みは膂力であり、それは即ち、リリスの防御の上からでも十分なダメージを与えることができる、ということだ。

 だからこそ、連打こそがリリスを倒す最善――。


 だが、それでやられてばかりのリリスというわけではない。


「ぐっ!」


「甘いわよっ!」


 連打――その一撃が、リリスにより捌かれる。

 体重を乗せた攻撃は、逸らされたその瞬間に限りなく無防備となるのだ。そして体勢を崩したヘレナの隙を見逃すほど、リリスは優しくない。

 弓引くように、力を乗せた。

 リリスの振り上げた右拳が、ヘレナの顎へと直撃する。


 くらり、と世界が揺れる感覚。

 まさか、これほどまでに綺麗な一撃を喰らうとはーー後悔するが、しかし体はそう簡単に反応してくれない。むしろ、顎への一撃を受けておきながらにして、意識を手放さなかったヘレナを褒めるべきだろう。

 しかし顎への一撃は的確に脳を揺らし、ヘレナの視界へ靄をかける。

 今度は、ヘレナの方が防御一辺倒になる番だった。


「はああああああああっ!」


「ぐ、うっ……!」


 先程と真逆の、リリスの連打に対して防ぎ続けるヘレナ。

 そして速度がリリスの方が優れている限り、その優位性はリリスから揺るがない。防御ならばヘレナの方が優れているが、防いでばかりでは戦いに勝つことなどできないのだ。

 だからこそ、隙を見つけなければならない。

 その動き、その拳の軌道、全てを読み切って。


「くっ!」


「おおおおおおっ!」


 ヘレナはようやく明瞭な視野を取り戻した眼で、リリスの動きを感じ取る。

 リリスの拳が、どこを狙っているのか。

 リリスの蹴りが、どこへ送られてくるのか。

 それを的確に読み切る――それを、ヘレナの領域において。


 研ぎ澄まされた第六感が、その攻撃を教えてくれる。

 ヘレナは素早くそれを捌き。

 そして、拳を弾かれ、胴を剥き出しにしたリリスの体を、その眼で捉え――。


「は、ぁっ!」


「がはっ!」


 思い切り、体重を乗せた一撃を放つ。

 それは間違いなくリリスの胸へと刺さり、そのままリリスを吹き飛ばす。

 鍛え上げたヘレナの膂力は、軽いリリスに真っ向から当たれば、一撃で仕留めることができるのだ。

 リリスの体が壁に当たり、そして、けほっ、と赤い咳が出る。


 間違いなく、手応えはあった。リリスを相手に手加減などできず、恐らく肋骨を数本折ったであろう手応えがした。

 だが、どうせ年に一度の戦いなのだ。

 どれだけ傷を負おうとも、リリスにとって、この時間は歓喜の時間なのだから――。


「……さすがね、姉さん」


「お前も、全く腕が落ちていないな、リリス」


「姉さんこそ、後宮の側室に、そんな力は必要ないと思うんだけど」


「有事の際には、私も戦わねばならないからな。常に鍛えている」


 倒れたリリスへ、ヘレナは手を差し出し。

 そして引き起こす。


「さて、リリス」


「ええ、姉さん」


 再び二人は距離を取り。

 そして、構えて、睨み合う。

 最初と異なるのは、お互いの唇から、僅かに血が流れていることか。


「アバラは大丈夫か?」


「この程度で動きが鈍るほど、柔じゃないわ」


「それは重畳。行くぞっ!」


 そして。

 姉妹の戦いは終わることなく、繰り広げられる――。


 ただし。


「……アレクシア、私は一体何を見ているのでしょうか」


「わたしにも分かりません。ただ、人間をやめている戦いというのが存在するならば、きっとこのような戦いなのだと思います」


 そこで立ち尽くしている、女官二人を置き去りにして。

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