第56話

   ◆



「来たわねっ、暁斗!」

「……おう」



 階段を登ると、そこには腕を組み、仁王立ちをしている梨蘭の姿があった。


 腕を組んでるせいで胸が更に強調されて……いや、これ腕に胸が乗ってるな。

 薄いワイシャツ姿。夏服のせいで、そのデカさが際立つ。ヤバい。エロい。


 それにスカートから伸びる長い脚。

 梨蘭が階段の上、俺が下にいるから、自然と目線の高さになるが……これがまたヤバい。


 太すぎず、細すぎず。【梨蘭の脚】と言ったらこれしかないと言えるほど美しい。


 梨蘭は中学の頃から突出した肉体美を持ってた。学校内外問わず、有名になるほど。


 だけど当時の俺達は正に犬猿の仲。天敵。宿敵中の宿敵。

 こいつが側を通ると、必ずと言っていいほど目を逸らしていた。関わりたくなかったし、見てたのがバレたら絶対喧嘩になるから。


 だからこうして目の前から見るのは初めてなんだが……やっぱり梨蘭って、超が10個ぐらいつく美少女なんだよな……。



「? どこ見て……っ!?」



 あ、やべ。脚見てるのバレた。


 梨蘭はスカートを押さえて後ずさり、顔を真っ赤にして目尻を釣り上げた。

 まるでいきり立った獣のように牙を剥き、なんか口の端から煙が出ている。


 怖い怖い。ヒロインがしていい顔じゃない。


 梨蘭の迫力にドン引き。

 が、何かを思ったのかギュッと目を閉じて深呼吸した。



「に、逃げちゃダメ、逃げちゃダメ、逃げちゃダメ、逃げちゃダメ、逃げちゃダメ……!」

「え、どこの少年? 神話になるの?」

「違うわよ!」



 あ、よかった。いつもの梨蘭だ。

 梨蘭は押さえていたスカートから手をどけ、錆び付いたロボットのような動きで腰に手を当てた。


 その顔は今も赤い。顔だけじゃない。耳や首、そして恐らく鎖骨まで赤いだろう。



「わ、私、決めたのよ。もうアンタから逃げないって!」

「えっと……話が見えて来ないんだけど」

「私には見えてるの!」

当事者に教えてくれ」

「とにかく! そういうことだから!」



 えぇ……何が何だかわからないんだけど。

 困惑してる俺をよそに、梨蘭は自分の胸に手を置いて目を閉じた。



「ずっと思ってた……私って、どうしていつもこうなんだろうって。みんなはあんなに真っ直ぐなのに、どうして私だけ真っ直ぐじゃないんだろうって……」



 いや、梨蘭ほど真っ直ぐで律儀な奴もなかなかいないと思うけど。


 ふむ……よくわからないけど、何か言いたいことがあるってことか。

 じゃないと、こんな人気のない場所になんて呼ばないだろうし。


 なら、梨蘭が言えるようになるまで待つのも男というものか。



「だだっ、だっ、だだっ。だだっ、だっ、だからっ、その……!」

「おいバカやめろ。噛みすぎてターミ〇ーターになってるから」

「誰が猫型青狸よ!」

未来ロボ違いだ!」



 って、ついいつもの感覚でツッコんじまった。いけない、いけない。



「梨蘭、落ち着け。俺はここにいるし、お前が言ってくれるまで黙っててやるから」

「……うん、ありがと」



 梨蘭は覚悟を決めるため、目を閉じて深呼吸する。

 1回、2回。そして。



「……私ね、ひよりや安楽寺さんの件を通じて思ったの。2人は凄く真っ直ぐで、自分の気持ちに素直。ううん、2人だけじゃない。琴乃ちゃんも、寧夏も、倉敷も……アンタの周りにいる人は、みんな素直だって」



 素直……あれは素直と呼べるのだろうか。

 単に自分の欲望に忠実な野生児って感じしかしないけど。特に琴乃。


 あいつらの奇人変人ぷりを思い浮かべていると、梨蘭は胸の前で親指と人差し指をもじもじさせた。



「それでね、その……わ、私も、素直になりたいな……て、思って……」

「ああ……なるほど?」



 理由はよくわからないけど、あいつらを見ていて自分も気持ちを素直に表に出したいって思うようになったってことか。


 何でそれを俺に言うのかは疑問だが……あ。



「それがさっき消したメッセージってことか」

「あれは! ……いえ、そうね。暁斗の言う通りよ」



 階段を数段下り、そっと俺の服を摘まんだ。

 弱々しい、今にも振り払えそうなほど弱い力。

 それでも、何故かこの場に押さえつけておくだけの力を感じた。



「これは、私のわがまま。でも、私の本音」

「……」

「こんなこと言うと、何言ってんだとか思われるかもしれないけど……他の女の子に、もうああいうことさせないで」



 そう、だよな……俺達は『運命の赤い糸』、それも世界でも数例しか確認されていない濃緋色の糸で繋がってる。

 俺でさえ、この気持ちの変化に戸惑っていて、つい最近この気持ちを自覚した。

 そう考えると、もしかしたら梨蘭も同じで、気持ちの変化に戸惑っているのかもしれない。


 そんな不安定な状況で、俺が別の女の子と密着してるのを見せられたら、嫌だよな。

 もし梨蘭に親しい異性の後輩がいて、目の前でイチャイチャしてるのを見せられたら……多分俺は、耐えられない。



「……わかった。ごめんな」

「あ、謝らなくていいわよ。これは私のわがままなんだから」

「それでも、謝らせてくれ。ごめん」

「……ん。わかった、許してあげる」



 梨蘭は俺の横をする抜け、階下に向かって走るように下りていく。

 と、踊り場で俺を見上げた。



「今はまだ恥ずかしくて、これくらいしか言えない。でも私、まだ本音で言いたいこと沢山あるの。気持ちの整理がついて、覚悟が決まるまで時間は掛かると思うけど……もう少し、待ってて」

「……ああ。わかった」

「……じゃ、またね」



 小さく手を振り、階段を下りていった。



「本音で言いたいこと、か……」



 梨蘭は変わろうとしている。自分の気持ちを素直に吐露しようと、自分と向き合っている。


 なら俺はどうか。

 気持ち的には明確に変わっている。

 天敵と思っていた女の子を、好きになった。


 それを俺は、口に出そうとしていたか?

 梨蘭に告白して、自分の気持ちを梨蘭にぶつける覚悟はできているか?


 …………。


 いや、かっこつけるのはよそう。

 結局俺は、自分の気持ちを梨蘭に言うのが怖いんだ。


 俺は、臆病な卑怯者だ。

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