第52話

   ◆



「つ、疲れた……」



 時刻は深夜ゼロ時過ぎ。

 さっきまで2人とゲームしていたが、ようやく解放された。


 20時頃までは真面目に勉強してたらしいけど、遂に我慢の限界が来たらしい。

 そこから4時間、ぶっ通しでゲームをやり、俺も巻き込まれた。


 たまには息抜きしないといけないのはわかる。

 そうでもしないと集中力が続かないし。

 でも、つい数分前まで元気にはしゃいでたと思ったら、次の瞬間電池が切れたみたいに寝るんだよ、あいつら。


 いや幼稚園児か。


 ベッドに横になり、目を閉じる。

 あぁ……いい感じの疲労感だ。

 睡魔が俺の意識を刈り取りにやって来る。


 俺はそんな睡魔に抗うことをせず、ゆっくりと意識を手放して行った──。


 …………。


 ……………………。






「センパイ」






「ッ!」



 耳元で囁かれた、聞き慣れた声。

 反射的に目を開けると、薄暗い部屋の中ぼんやりとした影が俺にのしかかっていた。


 壁ドンならぬ床ドン。

 いや、この場合はベッドだから、ベッドドン? 何それ語呂悪い。……じゃなくて!



「の、乃亜……か……?」

「はい。センパイの大切なこーはい、乃亜ちゃんです」



 梅雨の合間の晴れなのか、窓から月光が射し込む。


 闇夜に浮かぶ乃亜の姿は、琴乃に借りたのか、若干袖が余っている水色のパジャマを着ていた。

 パジャマの第3ボタンまで開けているらしく、僅かに開いた隙間が扇情的だ。


 さすがの俺でも、こんな美少女が深夜に夜這いしてくると……それなりに思うところはある。


 壁掛け時計の時間は、2時。

 草木も眠る丑三つ時だ。


 服をちゃんと着ろとか、なんでこんな時間にとか、色々と言いたいことはあるが……とりあえず一つだけ。



「なんでお前がここにいる?」

「夜這いです」

「……マジで言ってんのか?」

「冗談でこんなことしませんよ」



 四つん這いのようになっていた乃亜が、ゆっくりと体を起こす。

 下っ腹に座り込んで、俺の大胸筋をゆっくりと撫でた。



「やめろ馬鹿。お前、こんなことする奴じゃ──」

「こんなことする奴なんです。ウチは」



 食い気味に言葉を遮られた。

 乃亜の目は真剣そのもの。有無を言わさない、真っ直ぐなものだった。



「センパイ、昼間に言ってたじゃないですか。センパイと久遠寺先輩が赤い糸で繋がってるって」

「……ああ、言った」

「……それを聞いた時、ウチ思ったんです。なんでウチじゃないんだろうって。たった1歳、歳が違かっただけで、好きな人と結ばれないのはなんでだって……」



 俺の頬をそっと撫でる乃亜。

 その顔は、慈愛に満ちていて──いつもの乃亜とは違い、美しいものだった。



「ウチ、センパイが好きです。異性として……あの時、助けてもらった時から」



 あの時。

 今から3年前の夏。

 あれは今でも思い出す。


 当時の乃亜は今よりもギャル度が高く、性格も若干ひねくれていた。

 最初、琴乃が乃亜を連れて来た時は何事かと思ったくらいだ。


 琴乃の前では愛想のよかった乃亜。

 それが、2人きりになった瞬間。



『おにーさん、筋トレばっかしてんだって? キモ(笑)』



「……あの時のお前、ほんっと生意気だったよな」

「あの、マジであの時のウチは忘れてください……」



 いや、あれは忘れようにも忘れられないだろ。



「生意気で、年上を舐めてて、勉強クソ喰らえ、今が一番楽しいと思ってて、自分の可愛さに自信を持ってて、何でも自分で手玉に取れると思い込んでて……結果、あんなことになった」

「────っ」



 こいつが中学1年の時だ。

 当時付き合っていた大学生を含めた5人に、集団で襲われそうになった。

 ナイフで脅され、人気のないアパートに連れ込まれていったんだ。


 そこを間一髪助けたのが、俺だ。



「琴乃に感謝しろよ。あいつが偶然、お前が連れて行かれるのを見なかったら、今頃お前は……」

「わかってます。だからウチは琴乃に絶対の信頼を寄せていますし……あの時助けてくれた暁斗センパイに、恋したん……ですっ……」

「……乃亜……?」



 乃亜の目から零れる涙。

 それが俺の頬に落ち、ゆっくりと流れる。



「……どぉじで……どおじで、歳が違うの……? どおじで、どじがちがうだげで……好きな人と繋がれないの……?」

「…………」

「うぢ、あぎどぜんばいのごど、すき……大好きなのっ。ウチをだすけてぐれた、ウチのヒーローなんだよ……!」



 ……まさか、こいつがこんなに俺のことを好きでいてくれてたなんて、な。

 そう考えると、今までのこいつの行動に全て納得がいく。

 あれは、こいつなりのアピールだったんだろう。俺のことが好きっていう、アピールだったんだ。


 それを俺は……最低だ。


 …………。


 でも、俺は……。



「乃亜、聞け。……あの時お前を助けたのは、偶然だ。あれがお前じゃなくても、俺は助けにいった。……お前の感情は、あの時助けた俺が見せてる幻影にすぎない」



 ……俺は、最低のままこいつを振る。


 こいつがこのまま俺を想い続けたら、不幸になるのは乃亜自身だ。

『運命の赤い糸』が見えるこの世界で、一人と結ばれるのはたった一人。

 なら、わからせるしかない。


 こいつが俺に向けている感情は、あの時の幻影にすぎないということを。



「お前は、俺と言う人間に対してずっと勘違いしている。だから──」

「センパイ、わかっていませんね」

「……何を?」



 涙を拭いた乃亜は、辛そうな笑みを浮かべた。



「ウチらは、人間です。様々な感情を持っています。センパイの言葉がどれだけ正論でも、今のウチの感情は変わりません。確かに将来的にはウチにも赤い糸が現れて、この感情は薄れていくのでしょう。……それでも今現在のウチは、センパイを心から愛しているんです。この気持ちは偽物だから諦める。この感情が薄れるから諦める。この想いが伝わらないから諦める。……そんなことはできません。ウチは人形でもロボットでもない。あなたに恋する、一人の女の子なんです。……だからウチが今一番欲しい言葉は、センパイの本当の言葉です」



 乃亜は俺の上からどくと、ベッドの側に立った。

 背後から射した月光が、まるで包み込むかのように乃亜を照らした。

 ……俺の、本当の言葉……か。

 俺もベッドから立ち上がり、乃亜を見つめる。


 ……俺の赤い糸に繋がれているのは、梨蘭だ。だから……。


 ……いや、違うな。

 目を閉じ、一呼吸置く。



「……俺は梨蘭が好きだ。だから、お前の気持ちには応えられない」

「……わかりました。ご迷惑をおかけして、すみませんです」



 今にも泣きそうな笑顔を見せ、乃亜は足早に部屋を出て行った。


 ……ごめんな、乃亜……。



   ◆



「あー! センパイ、遅いですよー!」

「お前何で今日もいんの?」



 月曜日の放課後。

 いつも通り家に帰ってくると、乃亜が家の前にいた。


 乃亜はあれから、一言も会話することなく帰っていった。

 そりゃそうだ。あんな気まずい時間を過ごしたんだから、顔を合わせづらいのは当然だろう。

 なのに……なんで今日もいるんだ、こいつは。



「むふふ~。センパ~イ、まさかウチが傷ついちゃったと思いました~? ざんねんっ! こと恋愛においては酸いも甘いも知ってる乃亜ちゃんですよ! あんなことで諦めるほど、ウチは大人じゃないんです!」

「いや諦めろよ」

「ぶぅ、センパイつめた~い」



 つめた~い、じゃないわ。



「ウチ、あの後調べたんですよ。この世界に赤い糸で結婚した人達と、そうじゃない人の割合を。そしたらっ、なななんと! 赤い糸同士で結婚した人は9割、残りの1割は繋がってない人同士での結婚だったんです!」

「ああ、そう……え、結婚?」



 なんか物凄く話が飛躍してません?



「1割の人のほとんどは、『元から好きな人を諦められなかった』とか、『本当に好きな人と結婚したかった』などのコメントがあったのです! ウチはそれに、勇気をもらいました! だ、か、ら」



 乃亜は俺の胸に指を突き付け、至近距離で可愛らしくウインクして来た。



「センパイ、ウチはまだ、諦めませんからね♪」



 …………。

 安楽寺乃亜。

 こいつは俺が思った以上に……強かな女の子だった。

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