巨星と鏃

 自分が何かをしている。

 何かを貪っている?

 自分を、肩の後ろから見下ろす自分。

 声がする。

 いたい、いたいよ。

 幼子の声。

 その声にどこか聞き覚えを感ずる。

 そして、思い出してしまう。

「いたいよ……ご主人様マスター

 

 炊飯の煙がいくつも立ち昇り、ゆるやかに東に流れてゆく。過去の時間軸から開放され、自分がいつのどこにいるかを思い出す。まどろみの見せたものが遠い過去であることを安堵するとともに、忸怩じくじたる思いになる。空を見上げ、今日はずっと微風だな、とハインは思った。

 木陰から立ちあがり、軽く伸びをする。わずかな仮眠だが、取らぬよりはマシだったらしい。冷たい山からの風と強まりつつある陽光が心地よい。隣でリタは、まだぷうぷう鼻を鳴らしながら寝ている。その姿にハインは胸休まる。

 座って煙草けむりぐさに火をつける。ハインは森の裾野を見やった。同盟の軍勢は千と百足らず。これでも止水卿はできうる限りのことをやってくれたのだろう。同盟は確かに皇国の脅威にあらがうために創立された。だが、人間を忌み嫌う石ころや雑草と手を取りあうなど論外、ととりあわなかった者も多い。ハインは末端ゆえ政治にはとんと疎いが、止水卿の手腕には頭の下がる思いがする。

 川ひとつ隔てた平野を見る。

 ところどころに残る林に遮蔽され、敵陣をうかがい知ることはできない。

 ハインは、これから自分が剣を交える国について思いをはせた。軍備こそあれ、争いを絶やすと崇高な誓いを立てていたラインハルト殿下を思い出す。殿下とは良好な関係と言いがたかったが、自分が捧げていた剣は本物のはずだ。

「必ず、一緒に帰ろうな。リタ」

 ふと、ひくり、とリタが鼻を鳴らす。目を覚まし耳を張り、振り返る。ハインは短剣に手をやりそちらを見たが、無用だと手を離し、ただ不快そうな顔をする。

「お、いたいた。元気にしてたかよ、リタ」

「おっしょうさま!」

 リタはうーん、と前足、後ろ足を伸ばし、次には飛びかかった。現れた小人ヘルテフースはリタの体格に負けて押し倒され、笑ってその頭をなでた。

「糧食でも乞いに来たのか、オルゼリド」

「ヘッ、いつまで経ってもお前は食えねえなあ、ハイン。

 それに比べりゃ、リタは天使みたいだぞ?」

「そうかな?」

 リタの得意げな声にオルゼリドが顔をあげると、あっと声を漏らし、腰に手をやる。リタの口には、使いこまれたナイフがあった。

 やったな、という相手のつぶやきに、リタはナイフを差しだす。オルゼリドはにっかり笑って、リタの頭を両手で何度も何度もなでまわした。

「オレからるたぁ、ずいぶんやるようになったじゃねえか、リタ!

 お前は本当に出来がいい、オレも誇らしいぜ!」

「えへへ、わたしもうれしい!」

 ハインはどう声をかけたものか、と犬と小人を見比べている。

「それで? 今日はどんな用だ。飯が欲しければ、それなりの対価を出すことだ」

「だーから、そういうんじゃねえっつってんだろうが。食うもんには困ってねえ」

 オルゼリドはこれみよがしに腰の袋から藍色の細長い実を取りだすと、弾いて口に入れた。リタも食うか、と手のひらを出す。

「わあい! ……すっ、すっぱぁい!」

「おい、リタに変なものを食べさせるな」

「変なもんじゃねえ。草人も食うさ。エノミタンだかユノミだかいうんだ。そら」

 ひとつ投げわたされて、ハインはそれをじろじろと見つめた。ブルーベリーに似ているが、それと違って花のあとがない。ハインはこれみよがしに呪文で毒がないか調べてから口に運んだ。確かに鋭い酸味があり、初夏にはかえって爽快だ。

「だが、腹は膨れないだろう」

「まあ、な。飯はいらねえと言ったが、メシ時にはダチが増えるもんさ。

 先遣隊の話、お前も耳に入れておきたいだろ?」

「盗賊が、すっかり情報屋気取りだな」

「要るのか、要らねえのか」

 ハインはいぶかしげにオルゼリドを見る。

「分隊のひとつが反旗を翻して、総崩れになったんだろう? おかげで俺は胃に穴があきそうだ」

「それだけか?」

 ハインは黙りこむ。そして「何を知ってる」と先を促した。

 まあ座れよ、とオルゼリドは腰を下ろす。

「ま、生意気な傭兵団の寄せ集めだった。同盟直下の督戦隊を置きたかったのは分かる。だが、あんな部隊に後ろからにらまれちゃ、恨みも買うだろうさ」

「あんな?」

「女子供が混ざってたのさ。しかも、副官はまだ小便臭いガキだった。

 大方、貴族のハク付けなんだろうがな。命を張る側としちゃ大問題だ」

 ハインは座りこむと眉をひそめ、口元をきっと結ぶ。そんなハインの顔を見たリタが口を挟む。

「そんなちっちゃな子がいて、ちゃんと指揮できてたの?」

「それが、恐ろしく仕事ができた。同盟側の総大将より信頼感があるくらいにな。

 ――それがなお、気味が悪かった」

「その結果、司令部である督戦隊が攻撃されたのか。そして頭を失ったとみるや、他の傭兵団も敗色濃厚とことごとく撤退、と。

 だがオルゼリド。おまえはまるで見てきたように言うんだな」

「見てきたのさ。まさしく謀反を起こした隊にいたからな」

「なんだと?」

「落ち着け。オレは正式な人員じゃなかった。お前のリタみたいなもんさ。

 それに、オレみたいな小人に人間何十人を抑えられると思うか?

 迷わずトンズラしてきたさ。だから、造反の後は俯瞰した戦況しか知らねえ」

 オルゼリドの言葉に、ハインは不審そうに目を細める。

「同盟軍の壊滅からどれだけ経ったと思っている。お前はその間も泥沼の戦場にいたというのか? 領民から略奪でもしていたんじゃないだろうな」

 オルゼリドは険しい表情をすると、服をめくり脇腹を見せた。まだかさぶたの残る大きな切創が、へそ近くまで這っている。

 ハインは息をのみ、すまない、と謝罪した。

「オレはその日暮らしからは盗まねえ。まあ、いいさ。前座はここまでだ。売りに来たのは向こうの情報だ。どうせドーファは口を閉ざしてんだろ?」

「兵力が分かるのか?」

「何度も交戦したからな。とはいえ、こっちは森賢者ドルイド、向こうは秘術師ウィザードとおたがい魔術師を抱えてる。にらめっこしてる期間のほうが長かったがな」

「ベルテンスカは秘術師を多く抱えているからな。何人いたか分かるか?」

「向こうは塹壕、こっちは林を広げて戦ったんだ。んなもん見えやしねえ。だが、歩兵の数はだいたい五千ってとこだな。ただ、倒しても減ってない気がするって話もあった。逐次追加されてたかもしれねえ」

 ハインは川向こうを見やった。実戦投入できるベルテンスカの秘術師は、元がおおいとはいえ十を越すものではないだろう。総力戦ではないことを考えるに、派遣できて五人程度か。

 兵力についていえば、敵は得てして多く見えるものだ。命を賭せば恐怖が敵を育てる。劣勢を巻き返しての勝利と伝わる歴史上の戦いも、後の歴史家によって実際は数でまさっていたと明らかになることもある。五千という数字は、皇国が出せる兵力としては限界に近い。いくら一年を越す戦さを続けているとはいえ、まだベルテンスカに疲弊の色は濃くない。前回の同盟軍が千五百だったことを考えるに、実際には三千強といったところか。

「木々の狭間から狙い撃ち、敵の消耗を狙うウォーフナルタ。かたや呪文で一網打尽にしたいベルテンスカ、か。後から言っても仕方ないが、開戦のもっと初期に突破できていれば、これほど長丁場にはならなかっただろうに……」

「そりゃあ無理だ。岩人どもにとって防衛戦は得意だが、攻勢は乗り気じゃない。奴らはベルテンスカを侵略したいわけじゃねえからな」

「長年、エクセラードと小競りあいをしてきた国柄か」

「それだけじゃない。奴らは“混ざりもの”を尊ぶ。“純粋な”鋼を作る皇国の土地なんて、奴らにとっては穢れそのものなのさ」

「へえ! だから、ハインがけんもほろろに追い返されたんだね。ヴェスペンもベルテンスカとかわんないって」

 リタが納得した顔でいうと、相変わらず苦労人だな、とオルゼリドはその頭をぽんぽんとたたく。

「けど、たぶんそれはオレらの責任だな。先の同盟軍も歓迎とまではいかねえが、それなりに受け入れられてたぜ」

 ハインはあの陶磁のような肌を思いだす。草人たちとどれだけ連携がとれるか、それがこの戦いのキモになる。

「情報、感謝する。俺の名で食っていけ。内地へは……」

「いらねえよ。自分の足で帰らぁ」

 オルゼリドは立ちあがりかけ、おっと、とリタと鼻をあわせた。

「気をつけろよ、リタ」

「うん、ありがとう! 次に会う時までに、ハインくらいの魔術師からも盗めるようになっとくからね!」

 おいおい、とハインはたしなめる。

「おう、その意気だ。じゃ、またな」

 そう言い残して、オルゼリドは丘を下っていった。

「リタ、そんなふうに俺を思っていたのか」

「だって、ハインってばいつも呪文で警戒してるでしょ。わたし、呪文の“糸”だってかいくぐれるようになりたい! だって――」

 そんな盗賊ローグになれたら、魔術師をハインに任せきりにしなくてもいいでしょ?

 ハインはなんとも言えなくなって、その首を抱きよせた。

「リタ。おまえは俺からは盗めないよ。共有感覚フィールリンクで罪悪感が丸わかりだからな」

 あっ、とリタは目を丸くする。

 

 温かいスープとパンをかきこみながら、オルゼリドはいぬいぬした二匹を見上げていた。食事を終えると、口元をぬぐい、懐中に手を入れる。

「リタを挟むと隙だらけだぜ、ハイン」

 取り出したのは、一房の髪の束。

 それを飯炊きの火に放りこむと、小人は立ち去った。

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