赤き衣

 柔らかな若草の茂る草原くさはら。罵声とともに簡易テーブルの上で銀食器が踊った。

「この役たたずめ! それでおめおめ帰ってきたというのか!」

 狩りの装いに身を包み、赤髪の指揮官はハインに吠えた。リタより犬らしいな、とハインは面従腹背の顔をしている。

「あちらも一枚岩ではないようです。総帥であるドーファ氏には理解されませんでしたが、副将との連携は確約できました。ドーファ氏もそれは黙認しています。彼女がその証です」

 目配せされ、スアイドは長い耳を上下させた。

「副将だと? 副将に指揮され、総帥に放逐される軍がどこにいる!」

 青筋を立てる総指揮を前に、後ろから「ご機嫌ナナメだな」と犬人コボルトの声がする。ハインと一緒に怒られてくれている義兄弟だろう。そんなにいうなら自分で交渉すりゃいいのにな。あたしは嫌だね、あんな偏屈。

「ともかく、ドーファ氏は近く総攻撃をしかけるとみて間違いありません。

 我々も全軍を挙げて補佐すべきかと」

 ハインの進言を、大将は鼻で笑った。

「わざわざ、このヴァルター・オッペンハイム自ら出てきてやったのだぞ。岩男がそのようにあしらうのであれば、士気も上がるまい。ドーファの玉砕攻撃の後、趨勢すうせいを見極めればよいだろう」

 リタとハインはぎょっとした顔をする。

「お言葉ながら。仮にドーファ氏が戦死すれば、もはや防衛戦にもなりますまい。戦線を構築する草人の大半がドーファ氏族の者なのです。

 フェルゼン氏族と我々では、とても勝ち目はありません」

「あのデカブツが玉砕すれば、皇国にも相応の被害が出るはず。魔術師ひとりは百人隊数個として数えられるというではないか。貴様とフェルゼンとかいう岩の森賢者ドルイド殲滅せんめつできるのではないか?」

 そんな簡単なものではない。ハインは歯噛みする。岩人と草人はいわば根と枝葉えだはの関係だ。岩人はこの世に二十人といないが、それぞれに膨大な数の草人が絶対の忠誠を誓っている。岩人はその草人を使い、仇敵エクセラードを警戒しているが、ベルテンスカは警戒してこなかった。今、このナズルトーを守れる岩人はふたりしかいないのだ。

「魔術師は脆い弩弓バリスタに過ぎません。確かに長期的には百人力ですが、その真価を発揮するためには条件を整えねばなりません。そのために歩兵は必須なのです。そもそも、敵軍にも魔術師が残って――」

「なるほど? つまり貴様は、自らを無能と自白するのか?」

 この期に及んで挑発するヴァルターに、ハインは冷静に言葉を探そうとした。白い義姉が見かねて「まま、ハインもアツくならずに、仲良く作戦会議しましょ?」と割って入った。ハインは自らの表情を知り、恥じた。

 その時、一歩前に出る者があった。

「総指揮どの。どうかハイン殿を責めず、今の戦況だけを見てくださいませんか。事実、部分的とはいえ我々の参戦は容認されたのでしょう。であらば、我々が剣をとらぬ理由はありません。

 我らはひとえに、唯一の神の代行としてここにいるのです。オッペンハイムの者はみな、信仰の篤さを示す機会を求めております。どうか、ご決断を」

「アーレント……!」

 赤い僧衣に身を包んだ、初老の男。彼の言葉にだれもが静まりかえり、視線はヴァルターに集まった。彼は額に手をやり、考えこむ。

「……はは、失礼した。私も大人気なかったな。無論、我らはあのベルテンスカに天罰を下すため推参したのだ。今さらだんまりを決めこむような真似はせぬとも。おい、兵站部隊の長はいるか。兵に食事を取らせろ。疲弊しているならば、休息をとらせても構わん」

「りょうかい! ダン隊長、メシ炊き任務に向かいます!」

 ダンが敬礼しながら走り去る。では解散、と声が飛び、ハインたちの緊張の糸が切れる。ハインはアーレント司祭に耳打ちする。

「助かりました、司祭どの」

「なんの。私は聖職として当然のことをしたまで。ヴァルター様をこれくらいの時から存じあげておりますがね、あの方は一陣の御風から多く才知を授けられておられながら、ひとたび頭に血がのぼると意固地になられる」

 手を腰の高さにやりながら、アーレントは微笑む。

「敬愛されておられるのですね」

「おそれながら、我が子のように感じているのかもしれません。

 でなければ、従軍司祭になどなろうと思わないでしょう?」

 ハインは傘十字を切り、右手を差しだした。

「ハイン・ギエムリョースリ。ギルドより派遣されたコボルト兄弟のひとりです。これからも、どうぞよろしくお願いします」

 アーレントはこころよく、その握手を受けた。

 彼は人柄も愛想もいい、絵に描いたような僧侶に見えた。

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