148.守って守られて、やっぱり守りたい存在

 昼食を挟んで午後の種目を迎える。


「暑いな……」


 午後になって日差しがさらに強くなってきた。朝は最高の天気で体育祭ができてよかったとか思っていたけど、ずっと外にいると汗が出てしょうがない。

 もう夏は過ぎたんだから暑さも控えてもらいたいものだ。その分自販機で買ったスポーツドリンクが美味いんだけども。


「葵も水分補給するんだぞ」

「うん、ちゃんと水分取ってるから大丈夫。午後からは二人三脚があるし万全だよ」


 葵が力こぶを作ってやる気をアピールする。そのか弱い二の腕で何をしようってんだろうね。


「よーし! トップの白組との差はあと僅か。逆転勝利するわよー!」


 小川さんもやる気に燃えている。

 彼女の言う通り、点数差はほんのちょっとでしかない。午後の競技で白組に勝ち越しさえできれば優勝できるだろう。

 あとちょっと、そう思うほどやるぞ! って気になるものだ。


「ここまできたら勝ちたいですね」

「僕らも応援気合い入れなあかんな」


 競技に出る人も応援する人も、みんなの気持ちが一つになっている。こういう気持ち、なんかいいなって思う。


「それじゃあ、気を引き締めて応援がんばるよー!」

「「「うおおおおおおおっおおおおおおーーっ!!」」」


 葵のかけ声で、男子達の野太い声が轟いた。

 午後一番に行われたのは応援合戦である。

 赤組の応援団長は、なんと葵だ。学ランに袖を通す彼女の姿は普段と違って凛々しかった。ちなみに学ランは俺が中学の時に着用していたものである。


「フレー! フレー! あ・か・ぐ・みぃーー!!」


 赤組の応援団は団長の葵以外全員男子である。葵に統率された応援団は息の合った振りつけで観客を魅了した。


「うわぁ……宮坂さんも格好いいですね……」

「さすがや。宮坂さん、さすがとしか言えへんわ」

「あおっちが前に出ると周りもすごくなっちゃうわよねぇ。存在感が別次元だわ」


 応援団長の葵を見ていると、とても運動が苦手とは思えない。むしろ迫力さえ感じ、周りからも感嘆の息しか聞こえてこないほどであった。

 かわいらしさだけじゃない。応援する姿さえ華がある。彼女の一番近くにいる自負があるけれど、傍で見ていてもそのすごさに圧倒されそうだ。


「ふぅ……私の応援、盛り上がったかな?」

「周りの声援すごかっただろ。みんな葵に見惚れてたぞ」

「トシくんは?」

「……見惚れすぎて目が離せませんでした」


 葵は満足そうに頷いた。

 一所懸命がんばっていたのだろう。かわいい顔が汗でキラキラ輝いていた。がんばる彼女は美しい。

 さて、葵の応援で赤組のやる気は最高潮だ。暑さにも負けず、闘志を燃え上がらせている。午後の競技も期待できそうだ。

 応援合戦が終わった後は二人三脚である。


「僕と小川さんがアンカーでええの?」

「何度も確認するなよ。佐藤と小川さんのペアが一番速いんだから自信持てって」


 佐藤はアンカーという大役に不安を隠しきれずにいた。逆に小川さんは「ゴールテープを切るのは私達ね!」とすでに勝った気でいるほど自信がある様子だ。

 佐藤と小川さんのペアは赤組の中で一番速い。というか練習を見る限りだと他の組含めても一番速かった。

 つまり、アンカーにつなぐまでにリードしていれば勝てるはずだ。


「真奈美ちゃんがんばってね」

「まっかせなさい! ていうか、あおっちもがんばるのよ。私にタスキを渡すんだから重要なんだからね」


 俺と葵がリードした状態で、佐藤と小川さんペアへとつなぐのが理想だ。そう考えると、俺達も最後から二番目というプレッシャーのかかる順番だった。

 整列して、各々ペアとハチマキで足を結んでいく。


「ふっ、ついに俺様の出番だな! 全国にエースストライカーとして名を轟かせた下柳様の出番がよぉっ!!」

「うるさい下柳。今結んでるんだからじっとして」


 美穂ちゃんが表情に出るほど嫌そうな顔をしていた。

 白組の出場者には美穂ちゃんと下柳もいた。しかもペアを組んでいる。

 足の速さを買われてのペアだったけど、練習を見る限りではあまり息は合っていないようだった。当日までにどれほど練習の成果が出せるのか、二人とも足が速いだけに気は抜けない。


「ふふ、美穂ちゃんのところもすごいやる気だね」

「下柳が調子に乗ってうるさいだけ。未だに自分が全国区の選手ってことばかり自慢しているの」

「ああ、サッカー部の」

「はい! 全国制覇を成し遂げたサッカー部の点取り屋! 下柳賢です!」


 葵と美穂ちゃんの会話に下柳が割り込んだ。身を乗り出したせいで美穂ちゃんがバランスを崩す。


「落ち着け下柳。黙れ下柳。こけたら責任取ってもらうからな下柳」

「す、すんません……」


 美穂ちゃんの冷たい視線に下柳が小さくなる。もう足結んでるんだから本当に落ち着こうな。


「下柳、今はお互い二人三脚に集中しよう。実力を見せたかったら競技で見せればいいだろ」

「おっ、言ったな高木。宮坂さんとペア組んでるからってこれ以上調子に乗らせないぜ」


 とか言っているうちにピストルが鳴った。

 あちらこちらから声援が聞こえてくる。BGMが競技を盛り上げてくれる。抜かし抜かされ、順位が目まぐるしく入れ替わっていた。

 段々とヒートアップしていくレース展開。順番を待っているこの緊張感って独特だよね。


「うっしゃあっ! 俺の番がきたぜ!」

「急ぎすぎないで下柳」

「任せろ赤城ちゃん! トップはもらったぁぁぁぁーーっ!!」

「急ぎすぎるなって言ってるだろ下柳」


 いきり立つ下柳を、美穂ちゃんがなんとかなだめながら走る。よくこけずに走れるもんだなってくらい動きがバラバラだった。

 あれを見ると、いかに息を合わせることの大切さがわかるというものだ。


「葵、俺達は自分達のペースを崩さないように気をつけような」

「……うん」


 何気なく振っただけなのに、葵の返事に間があった。


「もしかして緊張しているのか?」

「う、ううんっ。ごめんね、ちゃんと集中するよ」


 という割にはぼーっとしているように見える。ぼーっとしているっていうか、疲れてる? やけに顔が赤いし。

 それに、応援合戦が終わってから、葵の汗がまだ引いていない。

 葵への心配が大きくなってきた時、俺達の順番が回ってきた。


「練習通り、落ち着いていこう!」

「うん!」


 とにかく今は目の前の二人三脚に集中しよう。

 イッチニー、イッチニーとかけ声を合わせて走った。

 いい調子で走れている。練習の成果か息もピッタリだ。

 自然と力が入って、より密着した。汗ばんでいても気にならなかった。

 緩いカーブを曲がって、あとは直線のみ。アンカーの佐藤と小川さんの姿が見えた。


「うわっ!?」


 突然のことで何が起こったのかわからなかった。

 わからなかったけれど、体が反応してくれていた。


「痛ってぇ……。大丈夫か葵?」


 痛みを感じて、やっと転んだのだと理解できた。

 咄嗟に体が反応してくれたおかげで葵をかばうことができた。ぱっと見ケガはないように思えた。


「ごめん……トシくん……」

「謝んなって。立てるか?」


 しかし葵は立ち上がらない。その間に後続に抜かされてしまった。


「どこかケガしたのか?」


 首を横に振る葵。そんな小さな動きでさえ弱々しい。

 ほてった顔。止まらない汗。さらには力が入らない様子の今の状態。

 そこでようやく彼女の異常事態を悟った。もしかしたら熱中症かもしれない、と。


「悪い。じっとしてろよ」

「……ごめんね」


 足を縛っていたハチマキを外す。俺のいきなりな行動に観客からどよめきが起こる。

 ぐったりとしたままの葵を抱き上げる。いわゆるお姫様抱っこ。観客の、とくに男子から大きな絶叫が上がる。

 周りに構わずそのまま走り始めた。柔らかい感触も、今は気にしていられなかった。


「何かあったんか?」

「悪い佐藤。葵を保健室に連れて行く。後任せた」

「任せとき。高木くんも急ぎいや」


 途中、佐藤にタスキを渡した。全部を説明することはできなかったのに、頼り甲斐のある態度で見送ってくれた。

 スピードを緩めることなくそのまま突っ走る。周りから何か言われているが、葵を運ぶのが先決なので無視していた。

 一応競技を続けてくれたけど、俺のせいで赤組は失格になるかもしれない。責められた時は甘んじて俺一人で受けよう。

 保健室のある校舎へと向かう。生徒も教師もグラウンドに集まっており、校舎に近づくほど静かになっていった。

 靴を脱ぎ校舎に入る。上履きに履き替えるのも時間が惜しくて、そのまま廊下を走った。


「失礼します! って、誰もいない!?」


 ノックもせずに保健室のドアを開けた。けれど室内に保健医の姿はなかった。


「体育祭なんだからみんな外にいるか……」


 そういえば救護用のテントがグラウンドにあった気がする。俺も気が動転しているようだ。


「トシ、くん……」

「安心しろ葵。休めるところに来たからな。もう大丈夫だ」


 緊急事態だ。勝手だけど、無人の保健室を利用させてもらおう。

 まずは葵をベッドに寝かせた。

 冷蔵庫に入っているスポーツドリンクや氷嚢などを拝借する。タオルも必要だ。いくつか適当に持って行く。


「葵、スポドリ飲めるか?」

「……うん」


 ふらついてはいるけれど、ちゃんと渡したスポーツドリンクを飲んでくれた。重度の熱中症ではないと信じたい。


「体、拭いていくからな」


 タオルで顔の汗はもちろん、体中の汗を拭いた。……体操服をめくって腹や背中、胸の周りもだ。彼氏じゃなかったらアウトだったな。

 あとは氷嚢を額に乗せる。体中の熱を冷ますためにわきの下も冷やした。


「トシくん……ごめんね……」

「気にすんなって。先生呼んでくるからそのまま寝てろよ」


 立ち上がろうとしたら裾を掴まれた。


「葵?」

「ごめんね……私のせいで、トシくんケガしちゃった……」


 言われて体のところどころに痛みがあるのを思い出した。こけた拍子に擦りむいたのだろう。

 でも血が出ているのは膝くらいなもので、葵が気にするほど大したことではない。


「こんなもんケガのうちに入らないよ。むしろこっちこそごめんな。葵の体調のこと、気づいてやれなかった」


 首を横に振る葵。


「私が、これくらい大丈夫だって軽く見てたの。トシくんには無茶しないでって言っておきながら、自分ができていなかったよ」

「……葵も、がんばりたかったんだもんな」


 葵は運動が苦手だ。

 だからいつも運動が関わる行事は嫌がっていた。真面目に取り組みはするけれど、前向きなやる気を見せることはあまりなかった。

 なのに今回の体育祭は気合いを入れていた。小学生の頃の瞳子に勝つんだと意気込んでいた。


「葵ががんばってたのは知ってるよ。変わっていく瞳子を見て焦ってるのも知ってる。変わった自分を俺に見せたいってのも、知ってる」


 少しでも変われるように。少しでも近づけるように。その目標が近ければ近いほど、思いは強くなる。そのことを、痛いほど実感している。

 葵の頭を撫でる。触り心地の良い黒髪。サラサラして、根元から先端にかけて指を這わせるだけで心地良くなる。


「葵ががんばりたいってんなら、俺は尊重するよ。でもな、無理はしても無茶だけはすんなよ?」


 いつぞやに葵から言われた言葉。

 本人も気づいたのだろう。大きな目がパチクリと瞬きをする。それから彼女はぷっ、と噴き出した。


「それ、トシくんが言うの?」

「おうよ。葵に言われてから俺の心に刻まれているんだ。それに、無理と無茶をした経験者でもあるからさ。限界はやりながら覚えるもんだ」

「……うん。確かにそうだね。トシくんばっかり見ていたのに、私には経験がなかったみたい」


 葵が笑うと俺もつられて笑ってしまう。

 彼女の傍にいると胸が温かくなる。

 守って守られて、やっぱり守ってやりたくなる。出会ってから今に至るまで、葵はそういう存在だ。


「私はもう大丈夫だよ。たぶん保健室の先生が来てくれると思うし、トシくんは競技に戻って。まだリレーが残ってるでしょ?」

「いや、でも……」


 先生は呼びに行くつもりだけど、葵の傍にいたい。体調によっては病院に行かなきゃならないかもしれないし、かなり心配だ。


「トシくん」


 真っすぐな瞳。視線だけで人を魅了してしまう目に見つめられ、ドキリとさせられる。


「な、なんだ?」

「赤組、優勝するといいね」


 そう言って、葵は輝かんばかりの笑顔を見せてくれた。


「……そうだな。優勝できたら最高だ」


 今度こそ立ち上がる。もう裾から手が離されていた。


「葵っ! 大丈夫なの!?」


 ドアに向かおうとしたら、瞳子が飛び込むような勢いで保健室に入ってきた。


「私は大丈夫だよ瞳子ちゃん。トシくんが助けてくれたからね」


 瞳子は瞬時に状況を把握したようで、ふぅと安堵の息を零す。


「何が起こったかわからなかったけれど、大事にならなくてよかったわ。先生を呼んだから、すぐに来てくれるはずよ」


 その先生といっしょに来なかったってことは、心配でいてもたってもいられなかったんだろうな。


「何笑ってるのよ俊成。葵の体調のことだから仕方ないけれど、周りを見なさすぎよ。競技そっちのけで葵をお姫様抱っこして姿を消すものだからあの後大騒ぎだったんだからねっ」

「ご、ごめんなさい……」


 俺も人のことは言えない。どんな状況でも冷静にならないと周りに迷惑をかけてしまう。わかってはいるつもりでも、咄嗟の事態ではこの様だった。


「まあいいわ。葵にはあたしがついているから。俊成はさっさと戻りなさい。まだリレーが残っているんでしょう?」


 葵と同じことを言われてしまった。

 ここで俺が残っていても仕方がない。むしろ早く戻らないと余計迷惑をかけてしまうか。


「わかった。じゃあ後は任せるからな瞳子。葵も、ゆっくり休むんだぞ」

「うん。トシくんのリレーの出番までには元気になるよ」

「「ちゃんと休みなさい」」


 俺と瞳子に注意され、さすがの葵もしゅんとなった。



  ※ ※ ※



 二人三脚では俺と葵が転んで最下位になったものの、佐藤&小川さんペアの追い上げで二位を取った。

 俺が葵をお姫様抱っこして勝手に競技から抜けてしまった件だけど、新生徒会長の「ロマンチックで素敵でした」の一言で反則にはならなかった。俺が言うのもなんだけれど、それでいいのか?

 まあ俺が佐藤にタスキを渡した時には最下位になっていたからな。ズルをして順位を上げた、ということではなかった事実が大きかったのだろう。あと垣内先輩の緩い判決に助けられた。これが野沢くんだったら問答無用で退場処分されていてもおかしくなかった。

 その結果はよかったのだけど、周囲の波紋はまた別の問題である。


「まあ緊急事態やったし仕方あらへんよ。宮坂さんを放っておく方が危なかった思うし」

「フォローありがとうな佐藤……」


 俺の周りを誰かが通りかかる度に「ほらさっきの……」と意味深な会話が聞こえてくる。男子連中なんかは殺気を隠すことすらしない。

 葵はすでに学校中で認知されているほどの美少女だ。学園のアイドルと言っても素直に頷けるほどの人気っぷりだ。

 そんな誰もが憧れる美少女を衆目の場でお姫様抱っこしたのだ。目立つなという方が無理がある。


「人のうわさも七十五日って言うからな。別に気にしないよ」

「でも二か月半ってけっこう長いんやで」


 佐藤……。せっかく気にしないようにしてんだからそういうこと言うんじゃねえよ……。


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