114.余計なお世話
中学生になった品川ちゃんは美術部に入部した。
同じく美術部だった葵は彼女をかわいがった。先輩としてちゃんと指導もしていたのだそうだ。得意げに胸を張っていたから覚えている。
とはいえ、もともと漫画を描いていたのもあり、品川ちゃんの絵は上手かった。上達していた葵だったが、品川ちゃんの実力には先輩の面目がないと愚痴っていたっけか。
それでも信頼される先輩にはなっていたようで、漫画についての意見を求められるようになっていた。
そのついでというわけでもないが、俺と瞳子にも意見を求められた。
「風景はもっとこう、自然なのがいいわ」
試しにと、瞳子が背景の一つを描いた。それはとても上手で、背景だけなら品川ちゃんよりも上手かったように感じた。
「すごいです木之下先輩! こっちも描いてもらっていいですか?」
それは品川ちゃんも同じだったようだ。いつもは見られない目の輝きをしていた。
これが彼女の俺達に対する態度の変化の始まりだったかもしれない。大人しかった品川ちゃんが恋しいなぁ……。
「私も手伝うよ。私が、秋葉ちゃんの先輩なんだからね!」
部活の先輩の意地として、葵は瞳子に対抗するように背景やキャラクターを描いてみせた。葵の絵が急成長したのはこの頃からだったろうか。
「あっ、高木先輩暇してますよね。よかったらベタ塗りしてみます?」
……この頃からだろうか。品川ちゃんが俺に対して悪い意味で気さくになったのは。
彼女にはベタ塗りやトーン貼りなどを教え込まれた。俺に背景を頼まなかったのは、きっと俺の実力を正しく把握していたからなのだろう。瞳子と葵の方が何百倍も上手かったしな。
「ども。先輩方、差し入れです」
俺達はたまにだけど、品川ちゃんの漫画を手伝うようになった。その頃からというか、初めて彼女の部屋に入らせてもらった時から森田はいた。
最初、森田は差し入れという名目で品川ちゃんの家に訪れていた。いつしかアシスタントの技術を身につけ、品川ちゃんの手伝いをするようになっていた。
森田も部活があって忙しいはずなのに大したもんだ。俺達三人は気を利かせ、品川ちゃんの家に訪れる回数を減らしていった。
品川ちゃんと森田。二人の間に流れる暖かくも甘い空気を感じ取れないはずがない。
わかっていたからこそ、二人の仲はとっくに進展していると思い込んでいた。森田があれほどの負い目を感じているだなんて思ってもみなかったのである。
※ ※ ※
「そっか……。森田くんは自分がしたいじめのこと、気にしていたんだね」
俺は昨晩の森田とのやり取りを葵と瞳子に話した。
二人は俺と同じで、品川ちゃんと森田はとっくに付き合っているものだと考えていたのだろう。葵はぽつりと残念そうに呟き、瞳子は唇を噛んでいた。
確かに森田は品川ちゃんをいじめ、俺達はその間に入った。だけど今は二人ともが俺達にとってかわいい後輩になっているのだ。
二人が納得したことならば、俺達が口を挟める余地はないのかもしれない。しかし、そうは思えなかった。
「なんとか……できないかな?」
頭をかきながら情けないことを吐き出してしまう。
一晩考えたが、俺にはどうすべきかという答えを導き出せはしなかった。今回は力づくでなんとかできる話でもない。
葵と瞳子は真剣な面持ちで俺を見つめていた。おもむろに瞳子が俺に向かって手を伸ばす。
「ふぉ……? はひふふんふぁ?」
瞳子の白い指は俺の両頬を引っ張っていた。あまりにも自然な動作だったので反応できなかった。
あの……言葉にならないんですけど。抗議の目を向けてはみたが、意に介することなく、くすくすと笑われた。
「ふふっ。変な顔してるわよ俊成」
いや、それやってる張本人が言うことじゃないからね?
だけど……瞳子の笑顔につられて、俺の肩の力が抜けてきたのがわかる。そこでようやく肩に力が入っていたのだと気づかされた。
「まずはトシくんだね。変に責任を感じないこと。あの頃は確かにいじめに関わっていったけれど、それとこれとは話が別。トシくんが気に病む必要なんてまったくないよ」
「でもね」と葵は続ける。
「トシくんがこうやって余計なお世話を焼くのって久しぶりだね。私はいいと思うよ」
余計なお世話……ですか。でもそうかもな。
人の恋路に関わってやろうだなんて、まるで親戚のおばさんみたいだ。親戚ですらないお節介は確かに余計なことなのかもしれなかった。
「俊成らしく、ね。あの二人だって、今さら俊成のお節介を迷惑だなんて思わないわよ」
だから自信を持てと。瞳子は俺の頬をぐにぐに揉みながら言った。
なんだか背中を引っぱたかれた気分。それで元気が出てしまうだなんて、俺もけっこう世話を焼いてもらっているんだなと実感する。
「ふん。ふはひひはひょうひょふをおへはひふふほ」
「トシくん……何言ってるかわからないよ」
「ちゃんとしゃべりなさいよ俊成」
だったら手をどけてくれないかなぁ。俺は恨みがましい目を瞳子に向けた。
※ ※ ※
昨日に引き続き、本日も品川ちゃんの家に訪れていた。
俺はアシスタント業に没頭する。それは森田も同じだった。
「手伝ってもらってて言いにくいんですけど……宮坂先輩や木之下先輩といっしょにいなくていいんですか? 先輩方の時間を奪っているようで申し訳ないです」
品川ちゃんが今さらなことを言う。眼鏡の奥の瞳から、彼女の魂胆が透けて見えた。
「……それは、なんで今日も二人をアシスタントにつれてこなかったのか、って言いたいのか?」
「いつでもアシスタントデートしてくれても構いませんからね。私は歓迎します」
この後輩は……っ。本当にいい性格になりやがったな。
とか思いつつも手を動かしてしまう俺。社畜根性とは思いたくないものだ。
しばらくカリカリと作業の音だけとなる。一ページ分のベタ塗りが終わったタイミングで口を開く。
「でもさ、もし品川ちゃんが新人賞を取ってプロデビューしたらさ……俺達がこうやって手伝いにくることもなくなるんだろうな」
俺の言葉に森田の手が止まる。品川ちゃんの手も止まることはなかったが、見てわかるほどに遅くなる。
俺は手を動かしたまま続ける。
「だってそうだろ? プロの漫画家ならプロのアシスタントを雇うんだからさ。そうなれば俺達の出番はなくなる。今のうちにサインとかもらっておいた方がいいかな?」
「あ、あはは……。高木先輩ってば何を言うんですか。冗談ばっかり」
「いやいや、現実味はあると思うよ。今描いてるこの漫画は面白い。俺は漫画雑誌に載っていたとしても不思議じゃないくらい面白いと思ってんだよ。だからこそ、品川ちゃんがプロになった時のことを考えるんじゃないか」
品川ちゃんがどこまで先のことを考えているかは知らないが、もしプロとしてやっていくのなら環境の変化は避けられない。こうやって友達感覚で作品に関わっていくだなんてもうできなくなるかもしれない。
「……」
森田は何も言わなかった。品川ちゃんの手は完全に止まっていた。
夢に向かっていく未来図は明るいものなのだろう。そうあるべきとも思う。
でも、期待は不安と隣り合わせでもある。思い描いているうちは楽しくても、実際に飛び込んでいくのには勇気が必要不可欠だ。
だからこそ、今しかできないことがある。
「で、でも……先輩が言うほど甘い世界じゃないですから……。そう上手くはいきませんって」
「そっか……まあそうだよな。俺達はあくまで素人だし、わかんないよな」
「そうですよ。初めて賞に応募して、いきなり上手くいくだなんてデキすぎですってば」
謙虚な態度を崩さない品川ちゃん。でも、その態度は自分の不安に気づいたからじゃないのか。俺は年下の女の子の目を見つめた。レンズ越しの目は、少しだけ揺らいでいるように見えた。
「でもさ、森田も覚悟しとけよー。品川ちゃんが先生って呼ばれるようになったらさ、こうやって作品に関われることなんてなくなるぞ」
「……うっす」
短い返事。しかし、その中に込められた想いはどれほどのものなのか。そんなのは俺が思っている以上のものに決まっていた。
それだけの真っすぐした気持ちがありながら、後悔なんてしてほしくない。年上として、そんな余計なお世話が先立ってしまうのだ。
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