108.今日はパンの日

 六月は衣替えの季節でもある。あたしは新品の制服に袖を通していた。

 梅雨入り前のわりと快適な気候。雲が少なく青空がこれでもかと顔を出しているというのに、あたし達がすることといえば教室内での雑談だった。


「あーもうっ! もう少しで球技大会で優勝できたのにー」

「ルーカス、まだ言ってるの。もうとっくに結果が出たこと。それに準優勝だって立派だと思うよ」

「でも本当に惜しかったですよね。あんなに競った試合なんてそうないですよ」


 話題はこの間行われた球技大会のことだった。準優勝は良い結果でもあれば、悪い結果と捉えることもできる。なかなかに振り返りやすい結果を残してしまったものだ。


 高校に入ってからはルーカスと望月といっしょにいることが多い。最初は二人とも初対面だし、性格的にも合わないだろうと思っていたのに、気づけばいつものメンバー扱いされるようになっていた。

 夏服となったルーカスはポニーテールがよく似合っていた。スタイルの良さも相まってモデルのような立ち姿だ。

 望月も夏服になって人懐っこい明るさが増したように見える。背は低めなくせして、それなりなものを持っている……。

 女の度胸は形に現れるものじゃない。そう心の中で結論づけた。


「ミホ? ぼーっとしてどうしたの?」

「なんでもない。未だにぐちぐち文句言ってるルーカスが小さい女って思っただけ」

「まあ。わたしは平均よりも大きいわ」

「なんかツッコミづらいですねー」


 おっと、咄嗟だったから変なことを口にしてしまった。反省しよう。

 ルーカスは無邪気に笑っている。そんな表情でさえ綺麗だ。本当に純真無垢なのではないかと思えるほどに。

 チラリと高木を見る。彼は佐藤と下柳の二人と何やら会話しているようだ。無邪気に笑っていたりなんかしている。もちろん綺麗だとは思わなかった。


「それにしたってトシナリがトウコの応援をするだなんてひどいわ。わたし達クラスメートなのよ。ミホとリナは悔しくないの?」

「幼馴染なんだから仕方がないですよ。それに、あれだけ熱い声援を送るだなんて……もしかしたら将来恋人になってしまうかもしれませんよ!」


 もうなってる。黄色い声を上げて盛り上がる望月は普通の女の子に見えた。

 ルーカスはどんな反応をするのかとうかがってみれば、彼女はニコニコと笑っており、いつも通りの調子に見えた。

 ……恋人という単語に、何か思うことはないのだろうか。

 はっとした時には嫌悪感に襲われていた。ルーカスが負の感情を見せるのではという期待感。そんなものを抱いていた自分に気づいて嫌になる。

 高木を見る。何度目かわからなくなるほどの問いかけを自分に投げつける。

 なんであたしは高木を好きになってしまったのだろうか。そんなわかりきった答えを探してしまう。そんな無意味なことをどれだけ繰り返したのかわからなくなっていた。



  ※ ※ ※



 昼休みになってあたしは席を立った。


「あれ? 美穂さんお弁当はどうしたんですか?」

「忘れちゃった。今日は購買でパンでも買ってくるよ」


 今朝はうっかり寝過ごしてしまった。無駄遣いになるからあまり学校の購買は利用するつもりがなかったのに。


「一人で大丈夫? ついて行こうか?」


 そう気遣いを見せるのは高木だった。言葉通りの気持ちがあるのだと感じ取ってしまう。


「問題ない。みんなは先に食べてて」


 あたしは子供か。高木の心配があたしをイラつかせる。

 教室を出て購買まで辿り着く頃にはイライラした気持ちが収まってきた。というかそれどころじゃなくなった。


「うおおおおっ!! 焼きそばパン! 焼きそばパンは俺のもんだぁぁぁぁぁぁーーっ!!」

「押すんじゃねえよ! いってぇ! オイ! 誰だよ俺の足踏んだ奴!!」

「今こそ相撲部で鍛えた力を開放する時……、どすこーい!!」

「「「うわあああああああああああーーっ!?」」」


 目の前に広がる光景に固まってしまう。

 購買は男子の戦場だった。ここにいるのはパンを求めて獣と化した者だけのようだ。あたしから見ればただの地獄絵図。

 あたし以外に女子の姿はない。まさかこんなことになっているとは……。これなら食堂を利用するのが正解だったかもしれない。

 どうしようか……。男子達の戦場を眺めながら迷っていると、肩にぽん、と手を置かれた。


「えい」

「どわっ!? あ、危ねえな」


 無断で肩に触れてきた相手に裏拳を放つ。惜しくもかわされてしまった。


「なんだ、本郷か」


 あたしの攻撃をかわした相手は見知った人物だった。高身長でなかったら当てられていたものを。本郷との身長差を恨めしく思う。


「いや、今のは絶対に俺だってわかっててやっただろ」

「……」

「無言は肯定ってことなんだよな」


 舌打ちが漏れる。本郷は苦笑いしていた。

 わかっていましたとも。男子の中で軽々しくあたしに触れてくる人物なんて限られているのだから。その辺高木は女子へのボディタッチはあまりない。……あの二人以外は、だけど。


「赤城が珍しくそんなところでぼーっと突っ立ってるからさ。もしかして購買でパンでも買いたいのか?」

「ここにいる理由って他にある?」

「なんでそんなに態度でかいんだか。まあいいや。ついでだし買ってきてやろうか?」


 本郷がニカッと笑う。女子から好かれそうな笑顔ができるようになったものだと感心させられる。あたしには関係ないけど。


「じゃあ頼んだ」

「はいよ」


 本郷は軽い調子で戦場へと赴いた。

 頼んどいてなんだけど、線の細そうな本郷で大丈夫なのだろうか。いくらサッカーが上手くてもこの密集地帯を突破するのは難しいように思えた。


「赤城ー。買ってきたぞ」

「速っ」


 本郷は笑いながら戻ってきた。その手には確かにパンがいくつかあった。


「本郷。あたしはあなたのことを見くびっていたのかもしれない。本郷はすごい人」

「パン買っただけで大げさだな。で、どれにする? 何がほしいか聞いてなかったからテキトーに買ってきた」


 ふむ。焼きそばパンにコロッケパン。アンパンやメロンパンなどいろいろな種類がある。よくこんなに買えたもんだと彼をもっと称賛してあげたくなる。


「じゃあ焼きそばパンとメロンパンで。はい、お金」


 財布から小銭を取り出して本郷に渡そうとしたけれど、なぜか受け取ろうとしない。


「いいよ。俺のおごりだ」

「……何か企んでる?」

「なんでだよ! ……いやまあ、あれだ。おごってやる代わりに昼飯いっしょに食わないか?」


 彼らしからぬおずおずとした誘いに首をかしげる。


「もしかして本郷……いっしょにご飯食べる友達がいないの?」

「変な心配してんじゃねえよ。ちゃんといるから安心しろ」


 まあ知ってたけど。本郷ならたとえ男子の友達がいなかったとしても女子をはべらせることだってできるだろうしね。

 まあいいや。いっしょに昼食をとるだけでおごってもらえるのならラッキーだ。そう考えることにした。


「いいよ。その代わりもう一個パンちょうだい」

「おごりってなったら遠慮ないな。別にいいけどさ」


 本郷は苦笑しながらあたしにパンを献上する。仕方ない。受けた恩くらいは返そうか。

 そうやって、彼よりも立場を上にしようとする浅はかな自分に気づかないフリをした。


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