69.親友と仲良く写生大会

 六年生になると授業の一環で写生大会が行われる。

 場所は校庭の中ならどこでもありだ。校庭から見えるものならどんなものを描いても構わない。

 みんな思い思いの場所を陣取って描いている。一部の男子が「写生大会」と連呼しながらニヤニヤしているが、ほとんどの子達は変なものを見るような目で彼等を見ていた。とりあえずあの男子連中には葵ちゃんと瞳子ちゃんを近づけないようにしよう。


「さーて、何を描こうか」


 花壇はぐるりと人が密集している。花を描く子は多いようで、あの中に入っていくのは大変だろうな。

 遊具なんかは男子の人気が高い。校舎や遠くに見える山を描いている子がいたりと様々だ。


「トシくんは何を描くか決まったの?」

「ううん、まだだよ。葵ちゃんは決まった?」

「私はお花を描こうかなって思ってて」


 生徒に囲まれた花壇に目を向ける。まあ葵ちゃんなら簡単に場所を空けてもらえるだろう。


「そっか。俺はもうちょっと考えるよ」

「うん。出来上がったら見せ合いっこしようね」


 そう言った葵ちゃんは花壇の方へと駆け出して行った。彼女が一声かけるだけでスペースが空けられる。さすがだな。


「いたわね」


 瞳子ちゃんも描くものが決まったようである。彼女はすでに散ってしまった桜の木の近くで、集中して一点を見つめている。なんだか木との距離が近過ぎるように思えるのだが、何を見つめているのだろうか?


「瞳子ちゃんは何を描くの?」

「あれよ」


 瞳子ちゃんは目を光らせながら指を差す。桜の木……ではない。そこにくっついている毛虫を指し示していた。


「毛虫か……。毒とかあったりして」

「大したことはないんだけどちょっとだけあるわね。ブランコケムシって呼ばれたりしてて桜の木にぶら下がってることもあるから注意した方がいいわよ」


 冗談のつもりで言ったのに普通に注意されてしまった。

 六年生になっても瞳子ちゃんの虫耐性は変わらないようだった。むしろ詳しくなってないだろうか? 俺には毛虫の違いなんてわからないんだけども。


「かっこ良く描いてあげるわ」


 そう毛虫に向かって言うと、瞳子ちゃんは毛虫を描き始めた。たぶん女子で虫を描こうとするのは瞳子ちゃんくらいなものだろうな。しかも彼女は絵が上手だ。リアリティのある絵を見て涙目になる葵ちゃんを容易く想像できた。


「うーん……、どないしよかな」


 佐藤は俺と同じで何を描くかと迷っているようだった。親近感を覚えて近づいてみる。


「佐藤もまだ迷ってるのか?」

「うん。いざ自由になってみるとなかなか決まらないもんなんやね」

「だよなー」


 校庭という広い範囲で、そこから見えるものはなんでもいいときたもんだ。かえって何を描けばいいのかわからなくなってしまう。

 俺と佐藤は向かい合って「うーん」と唸り合った。そこへ赤城さんが音もなく近寄ってくる。視界に入っていたので普通に気づいた。


「ニワトリはどう?」

「ニワトリ?」

「うん。ウサギは人気があるからニワトリがおすすめ」


 校庭の端っこにはウサギとニワトリを飼育している小屋がある。なるほどと俺は頷いた。


「じゃあニワトリにしようかな。佐藤もそうするか?」

「えっ、僕も? ……赤城さんは僕がいてもええの?」

「別にいいけど」


 そんなわけで俺達三人はニワトリ小屋へと向かった。赤城さんの言った通り、ウサギ小屋には人が集まっていたけれど、ニワトリ小屋は不人気のようだった。まさか誰もいないとは思わなかったよ。


「うっし、じゃあやるか!」


 まずは題材が決まったことで第一段階はクリアしたようなもんだ。あとは描くだけである。

 やる気を出して腕まくりをする。俺の両隣りで赤城さんと佐藤が場所を確保していた。

 画用紙に鉛筆を押し当てる。とはいえ、俺は絵が下手なのだ。手をつけようとするものの、上手く描けるイメージが湧かない。


「……」

「ニワトリくーん。こっち向いてえな」


 俺が迷っている間にも赤城さんと佐藤は早速スケッチに取りかかっているようだ。赤城さんは無言で鉛筆を走らせているし、佐藤はニワトリに声をかけながらも全体像は捉えているようだった。

 俺も負けてられん。たとえ下手くそだとしても真剣に取り組んでやる。

 集中して描いていると、けっこう静かに感じるものである。校庭には六年生の全クラスの生徒がいるはずなのだが、まったく煩くは感じなかった。


「高木、順調に描けてる?」

「んー、まあまあかな」


 まあまあとは言ってみたが、あまりよろしくないまあまあだった。毎度のことながら上達しない絵心がもどかしい。


「あたしはこんな感じ」


 そう言った赤城さんは自分の絵を見せてくれた。一目でニワトリだとわかるような上手い絵だ。瞳子ちゃんほどのリアリティはないものの、かなり上手い方ではないだろうか。


「赤城さんは絵が上手だね」

「それほどでも」


 無表情のまま頭をかく赤城さん。ちょっと照れているのを感じ取った。

 ふふふ、こういう時に照れているのがわかってしまうとからかってやりたくなってくる。とくに赤城さんには葵ちゃんや瞳子ちゃんのことでからかわれることがあるからな。たまにはやり返してやろう。

 俺は自分の中に芽生えた悪戯心に対して忠実になっていた。決して上手く写生できないから気を紛らわせようとしているわけではない。ないったらない!


「いやーさすがは赤城さんだよ。赤城さんの絵は天下一だね。この辺のタッチなんて赤城さんらしさが出てて良いよね。赤城さんはニワトリを描く天才だよ。赤城さん――」

「高木」


 照れている赤城さんに対しての褒め殺し作戦。それを実行していると、俺の言葉を遮るように赤城さんに名前を呼ばれた。

 しまったな……。これはさすがにあからさますぎたか。俺は無表情のままの彼女の反応をうかがった。

 少しの間があってから、赤城さんは再度口を開いた。


「高木……と、赤城って似てるよね」

「うん?」


 なんか話が全然違う方へと流れている気がした。俺はそのまま続きの言葉を待つ。


「たまに高木って言ってるのか赤城って呼ばれてるのかわからなくなるんだよね……」

「ああ……」


 言われてみれば確かにそういうことってある。自分が呼ばれたと思って振り向いてみれば、それは違う人だったなんてことがある。その時の恥ずかしい気持ちったらない。そういう時は別に聞き間違えてませんよー、と変に意識してないフリをしてしまっていた。

「たかぎ」と「あかぎ」。最初の音以外は同じである。もしかしたら赤城さんはそれで聞き間違えてしまうことが多々あったのかもしれない。


「だからあたしからの提案。これから高木はあたしの下の名前を呼べばいい」

「下の名前って……、美穂……ちゃんって呼べってこと?」

「……そう」


 赤城さんとは長い付き合いだ。出会ってからずっと赤城さんと呼んでいる。それをいきなり下の名前で呼ぶというのは、なんというかハードルが高いように思えた。


「ぶほっ!」

「佐藤? 大丈夫か?」

「げほっ……、うん、大丈夫やから気にせんといてええから。僕のことはええから続けてえな」


 気管に何か入ったのだろうか。佐藤は咳き込んでいたが平気そうに手を振った。


「あたし、高木とは長い付き合いだし、仲が良い方だと思ってる。親友と言っても過言じゃない……と、思ってる」

「う、うん」


 親友か。良い響きである。俺は前世で友達が少なかったこともあってそういう響きに憧れていたりするのだ。もちろん佐藤とは過去現在問わず親友である。


「だから、呼んでほしい……」


 小さい声だったけれど、周りが静かなこともあってよく聞き取れた。

 頭の中を整理する。

 赤城さんは俺の名前と似ているということで困っている。なので聞き間違えのないように下の名前で呼んでほしい。親友なんだから気にすんなよ。と、こういう流れとなっている。

 うん、まあ……本人がそう言ってるのならそうした方がいいのかな。名前ってけっこう間違えられたくないもんだしね。


「わかった。じゃあ今度からそうするよ」

「今呼んで」

「え?」

「今、名前で呼んで」


 佐藤がものすごくむせていた。心配になってそっちを向くと「大丈夫やから気にせんでええよ!」と何度も言われてしまった。本当に大丈夫か?

 もう一度赤城さんの方に顔を向ける。いつもの無表情の彼女に見つめられていた。

 その視線からは逃れられない気がして、俺は赤城さんから目を離せずにいた。


「呼んで」


 こうなってくると彼女の下の名前を呼ばなければ終わらない気がした。一度了承したこととはいえ、いざ口にしようとすると恥ずかしくなってくる。

 自身を落ち着けるように深い呼吸を繰り返す。意を決して口を開いた。


「み、美穂ちゃん……」

「え? なんだって?」

「……」


 声が小さかったのは認めるけどさ。こんなにも近い距離なんだから聞こえなかったってことはないんじゃなかろうか。

 なのに彼女は耳を近づけて催促してくる。歯ぎしりしたい気持ちをぐっと押さえてもう一度口を開いた。


「美穂ちゃん」

「ん」


 今度は小さく頷いてくれた。あー……、なんか変に緊張しちゃったな。呼んでみたらなんだかスッキリした。


「じゃあ今度はこっちの番」


 そう言って美穂ちゃんは口を開こうとして、止まる。見ればその唇は微かに震えていた。だがそれほど間を空けずに再び口が動いた。


「と、俊な……」


 また止まる。そして彼女は目を瞬かせた。


「……よく考えたら高木が名前で呼んでくれるんだったら、あたしまで高木を下の名前で呼ぶ必要はないか」

「え、う、うん?」

「……そういうわけだから、あたしはそのまま高木って呼ぶから。高木はそのままでよろしく」


 それだけ言うと美穂ちゃんは絵の仕上げに取り掛かった。そんな彼女をぽかんとしながらしばし見つめてしまう。

 って、こんなことしている場合じゃない。俺の絵はまだ完成していないのだ。

 続きを描こうとして、佐藤がうずくまっているのに気づいた。


「さ、佐藤!? 本当に大丈夫なのか!?」

「う、うん……。大丈夫……。僕は何も見てへんし、聞いてもおらへんから……」

「何が!?」


 よくわからないが佐藤は大丈夫らしい。大丈夫そうには見えなかったが、佐藤は体調不良などではないと言い切った。そこまで言われれば引き下がるしかない。

 なんとか時間内には絵を描き終えることができた。同じく描き終えた葵ちゃんと瞳子ちゃんが俺に絵を見せてくれた。

 やっぱり瞳子ちゃんの絵はとても上手かった。まるで虫眼鏡に映るような迫力と緻密さで毛虫が表現されていた。ただの毛虫なのになんだかすごい。

 葵ちゃんは……うん、お花を描きたかったっていうのはわかった。彼女は俺と同様に絵の上達速度がゆっくりらしい。


「高木、先生に提出しに行こう」

「そうだね美穂ちゃん」


 美穂ちゃんについて行こうと先生のいるところへと足を向ける。しかしその足は前に出ることはなかった。


「トシくん、美穂ちゃんってどういうこと?」

「俊成、怒らないから質問に答えなさい」


 右から葵ちゃん、左から瞳子ちゃんが俺の腕をがっしりと掴んでいた。二人にここまでの力はなかったはずなのだが、俺の力では振り払える気がしなかった。

 ぶわっと滝のような冷や汗が流れる。この空気、逆らえないっ。

 俺は葵ちゃんと瞳子ちゃんに質問されるがまま、美穂ちゃんと呼ぶようになったいきさつを話した。


「それ俊成が赤城さんを下の名前で呼ぶ意味なんてまったくないじゃない!」

「あ」


 瞳子ちゃんに突っ込まれてようやく気づいた。そもそも俺じゃなくて周りの人が呼び方を変えなければ効果はないではないか。


「うん、知ってた」


 そのことを美穂ちゃんに言うと、このような言葉が返ってきた。わかってて俺に呼ばせたらしい。

 つまりこれはからかわれたってことなのか? 混乱する俺に彼女が耳元で囁いた。


「でも、これからも名前で呼んでね」


 吐息のようなお願いに、俺は首を縦に振っていた。


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