45.一定の音色

 小学校には学芸会という行事がある。

 学年ごとに歌とか劇などを保護者にお披露目するのである。俺達四年生は合奏をすることになっていた。

 ピアノやリコーダーやティンパニーなどなど。それぞれ担当の楽器を選んで演奏するのだ。


「指はこう動かすのよ。俊成はちょっと動きが硬いわね」

「トシくんリラックスだよリラックス。リズムに合わせてたら勝手に手が動くようになるよ」


 俺はわざわざ休みの日に瞳子ちゃんと葵ちゃんからリコーダーの指導を受けていた。芸術センスは二人とも俺と比べるまでもないほどのレベルなのだ。正直勝てる気がしない。

 音楽の授業でリコーダーを使うことが多かったからと選んではみたけど。一曲吹いてみただけでも大変だった。しかも学芸会で演奏する曲は二曲もあるのだ。ちゃんとやりきれるかどうか不安になってしまう。

 ちなみに葵ちゃんはピアノ、瞳子ちゃんは俺と同じリコーダーを選択した。瞳子ちゃんは下手な俺が見てられなかったのだろうな。葵ちゃんなんかは文句なしの実力を披露していた。本当は一曲ずつでピアノは他の子と交代するはずだったのだが、葵ちゃんがあまりにも上手過ぎたために二曲とも彼女が弾くことになったのだ。

 絵と同じで練習してもなかなか上手くならない。覚えればいい勉強と違って音楽はとても複雑なものなのである(俺視点)。


「私がお手本見せてあげるからよく見ててね」


 なかなか上達しない俺を見かねてか、葵ちゃんが自分のリコーダーを出して演奏してくれた。淀みのない音色に本当に同じリコーダーを使っているのかと訝しんでしまう。


「俊成は指の動きもそうだけど、吹き方そのものが下手なんじゃないかしら。なんか音がブレてる感じがするし」

「うぐっ……」


 なんかばっさり下手だと言われるとへこむな。瞳子ちゃんは容赦がない。

 二人の指導で同じ音を一定に出せるように吹き方から何度も繰り返しやらされる。何気に二人ともスパルタじゃない?


「うーん……、この辺りがとくに俊成の苦手なとこなのよね」


 瞳子ちゃんは俺へのダメ出しを呟く。それから俺の後ろに回り込んで手を回してきた。


「俊成は力を入れ過ぎなのよ。肩の力を抜きなさい」


 そう言いながら瞳子ちゃんは俺の手に自分の手を添えて直に指導をしてくれる。背中で彼女の体温を感じる。耳元で発せられる彼女の声が俺の耳をくすぐった。余計に力が入ってしまう。


「私もトシくんに教える!」


 瞳子ちゃんと交代する形で葵ちゃんが俺の後ろに回り込んだ。同じように手を回され密着する。瞳子ちゃんよりも柔らかい感触だった。

 そんなこんなで二人から練習を見てもらう日が続き、学芸会当日を迎えたのだった。



  ※ ※ ※



「うぅ……。あかん、緊張してまう」

「大丈夫だ佐藤。観客はみんな野菜だと思えば緊張しないぞ」

「えー、そんな風に思えへんよ」

「だったらこう思うんだ。観客の誰も佐藤を見ちゃいないってな」

「……それはそれで寂しいやんか」


 俺達四年生の順番がくるまで時間がある。それまで佐藤の緊張を解いてやることにした。

 緊張しないようにと言葉をかけても効果がなさそうなので佐藤の手のひらをマッサージしてやる。手に刺激を与えてやれば自律神経が整うはずだ。


「高木、あたしにもやって」

「ん、わかった」


 赤城さんが俺の方に手を差し出した。いつものように無表情な彼女だけど、やはりこういう舞台は緊張してしまうのだろう。

 いや、よく見たら赤城さんは無表情というわけでもなかった。微かにだけど微笑んでいるように見える。彼女の無表情との付き合いは長いからな。僅かでも変化があれば読み取れるようだ。

 というか今日に限らず赤城さんが微笑む頻度は増えていた。運動会を終えてからだろうか。まあ優勝できてクラス中が盛り上がってたし赤城さんもその嬉しさが残っているのだろう。

 赤城さんの手のひらはふにふにとしてマッサージをしているこっちが気持ちいいくらいだ。赤城さんも赤城さんで目がとろんとしてきている。気持ちよさで緊張がほぐれてくれるといいのだが。


「トシくん、赤城さんに何をしているのかな?」


 思わず体がビクッと震えた。

 振り返ればニコニコしている葵ちゃんがいた。笑顔なのに冷汗が流れるのは何故なんでしょうね?

 俺は赤城さんからぱっと手を離した。「あ……」と名残惜しそうな声がしたけれどここまでだ。俺も命が惜しいのである。


「あ、葵ちゃんにもマッサージしてあげようか?」

「うん!」


 よかった。葵ちゃんから発せられるプレッシャーが霧散した。あのプレッシャーがずっと続いてたらどうしようかと思ったよ。


「葵ちゃんって指が長いよね」


 手のひらをふにふにと押しながら思ったことを口にする。


「そうかな?」

「うん。ピアニストって感じだ」


 まあピアニストがどんな指をしているか見たことないんだけどな。だけど葵ちゃんの長くて細い綺麗な指はピアノとマッチしているように感じた。

 嬉しそうに笑う葵ちゃん。その笑顔を見てほっこりしていると、すぐ傍で不機嫌顔になっている瞳子ちゃんに気づいた。


「と、瞳子ちゃんにもマッサージしてあげようか?」

「……しっかりやってちょうだい」


 ずいっと差し出される手を取る。スベスベの感触に手が止まりそうになりながらもマッサージをした。


「いい? ちゃんと練習したんだから落ち着いていれば大丈夫なんだからね。もし音を外しても焦っちゃダメよ」

「わ、わかってるよ」


 なんか瞳子ちゃんにものすごく心配されていた。なんだか母親みたい。言わないけど。


「高木、何やってんだ?」


 瞳子ちゃんの手をふにふにしていると本郷が声をかけてきた。気づいた瞳子ちゃんは「ありがとう俊成」とお礼を口にしてから葵ちゃんといっしょにその場から離れる。

 瞳子ちゃんを見送ってから本郷が「たはは」と笑った。それは苦笑いの色を帯びていた。いつもは見せない仕方ないといった力のない笑いだった。

 未だに瞳子ちゃんが本郷を嫌っている理由がわかんないんだよな。何もないのに人を嫌う子じゃないってのはわかってるつもりだ。だから二人の間で何かがあったんだろうと思っている。


「……本郷ってさ、瞳子ちゃんとなんかあったの?」

「え、なんで?」

「いや、その……」


 嫌われてるから、なんてことは言えなかった。言葉選びに困ってしまうな。


「まあ……、俺って木之下から嫌われてるもんな。ははっ」


 いつもの爽やかな笑いではない。本人に嫌われているという自覚があるのなら理由もわかっているのだろうか。


「なんで嫌われてるのか、理由はわかってるのか?」


 もうストレートに聞いてみた。瞳子ちゃんから聞くよりは本郷の方が何倍も聞き出しやすいと思ってしまったのだ。

 当人同士の問題みたいだし、何より瞳子ちゃんは俺に話そうとしてくれなかった。それでも知りたいと思ってしまうのは俺のわがままだろうか。

 本郷は少しの間真面目な顔になった。イケメン度が上がる。


「高木は木之下と仲いいみたいだけどさ。……木之下から何か聞いてるのか?」

「いや、何も聞いてないから気になってるんだ」

「そっか……」


 それからまた本郷は黙り込んでしまった。これは聞き出すのは無理かなと諦めかけた時、彼は口を開いた。


「……去年、木之下にすげー怒られたんだ。それからあんな風になってる」

「怒られたって、なんで――」

「高木、俺も緊張してるからなんとかしてくれよ」


 本郷は俺の追求から逃れるように言葉を重ねてきた。これ以上は話してはくれないのだろう。

 なんとなく瞳子ちゃんからも本郷からも今の関係を納得しているような雰囲気がある。わざわざ俺が突っつく話でもないのかもしれない。

 なんか、小学生のうちでも人間関係って複雑なのかも。そんなことはわかっていたはずなのになんで忘れてしまうんだろうな。

 俺は本郷の手をマッサージしてやった。彼の手は少しだけ冷たかった。



  ※ ※ ※



 学芸会は一年生から順々に六年生まで行われる。四年生の俺達は午前の部最後である。昼からは五年生と六年生の演目が行われる。とくに用がなければ四年生の俺達は昼には下校できるのだ。

 今は三年生の劇が行われていた。それが終れば俺達四年生の合奏がクラスごとに行われる。

 音楽室で最後の通し練習を終えた俺達は体育館の近くで待機していた。そして俺はこっそりと窓から三年生の劇を見学していた。


「高木くん何してるの?」

「わっ!? な、なんだ小川さんか」

「なんだって何よー」


 小川さんは俺の頭を肘でぐりぐりと押し付けてきた。ハゲたらどうする!

 俺は彼女を振り払って距離を取る。彼女はやれやれとこれ見よがしにため息をついた。


「三年生ってことは品川ちゃんが気になるんでしょ。高木くんって心配症よねー」

「いいだろ別に」


 同じ仲間班である小川さんにはバレバレだったようだ。

 超がつくほどに引っ込み思案な品川ちゃんがちゃんと劇の役をこなせるか心配になってしまったのだ。仲間班での付き合いしかない彼女だけど、俺はほとんど彼女専属のような立ち位置になっているだけにこういう行事でちゃんとやれるのか気になってしまったのだ。


「なんか高木くんって品川ちゃんのお父さんみたい」


 ぼそっとそういうこと言うのはやめてくれ。俺が睨みつけても小川さんはどこ吹く風である。


「あっ、品川ちゃんだ」


 眼鏡が特徴の女の子が出てきた。恰好を見るに役名は「木」といったところか。ま、まあセリフがない方が彼女にとってはいいんじゃないかな。


「せめて村人Aとかだったら一言でもセリフあったのにねー」


 いいんだよ。木だってちゃんと役なんだから。品川ちゃんが出ている場面が無事に終えて安堵の息を吐く。


「……高木くんってさー、いっつもそんな風なわけ?」

「そんな風ってなんだよ」


 小川さんは「うーん……」と歯切れが悪い。さばさばしている彼女にしては珍しく要領を得ない態度だった。


「私もよくわかんない。でもさ、なーんか胸がもやもやするんだよねー」

「小川さんがわかんないのに俺がわかるわけないじゃないか」

「それもそうね」


 小川さんはあっさりと引き下がった。結局何が言いたかったんだ?


「ほらほら、そろそろクラスのみんなのところに戻らないと。楽器とか運ばなきゃなんだしさ」


 そう言って小川さんは自分のクラスの輪の中に戻って行った。本当に何が言いたかったんだろうか。気になりながらもクラスメート達のもとへと戻る。

 三年生の劇が終わって俺達の出番が回ってきた。協力して迅速に楽器を運び込む。

 持ち運びの楽なリコーダーやハーモニカはいいけれど、木琴なんかは音楽室から運ばなきゃいけなかったし、ピアノは体育館にあるとはいえその前の劇のために端に寄せられている。これらも動かさなければならなかった。

 一つの学年が終わるごとに休憩が挟まれる。その間に準備を終えることができた。

 プログラムが読み上げられてステージの幕が上がる。暗くて見えないけれど、たくさんの保護者が見にきているのだろう。もちろん俺の両親だって見てくれている。

 俺達の演奏が始まる。葵ちゃんのピアノの音に引っ張られるようにそれぞれの楽器の音色が一体化していく。

 音楽は決して得意ではない。それでも葵ちゃんと瞳子ちゃんといっしょに練習をしてきたのだ。その事実が俺に自信を与えてくれた。

 某アニメの曲の演奏を終えて、次の曲へと移る。本番前は失敗を覚悟していたのに、いざやってみるとそんなことを考えなかった。我ながらしっかり集中できたのだ。

 演奏が終った後にはたくさんの拍手をもらった。みんな嬉しそうにしていた。

 音楽は苦手なことに変わりはないのだろうけれど、俺の中でやり切ったという充実感があった。苦手なことでもしっかりと打ち込めばそれなりの成果を出せるのだ。

 もちろん根気よく練習に付き合ってくれた葵ちゃんと瞳子ちゃんには感謝である。本当に二人には頭が上がらないなぁ。


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