35.母の心、娘は知らず

 私の娘、葵は真っすぐな女の子に育ってくれた。

 幼い頃はとても引っ込み思案で心配したものだけれど、一人の男の子と出会ってから変わっていった。

 その男の子の名前は高木俊成くん。葵が初めて仲良くなった同世代のお友達である。

 葵と同じ歳とは思えないほどに礼儀正しい子だった。小さい男の子はやんちゃな子が多いと思っていたのに、俊成くんは他の男の子達と比べて落ち着いていた。

 葵が好きなおままごとなどの女の子の遊びにも文句の一つも言わずに付き合ってくれていた。俊成くんの葵を見る目は同世代とは思えないほど優しかった。いっしょに遊んでいるというより葵の面倒を見てくれているという風だった。

 夫が起業するなんて言うものだから、それから一気に忙しくなった。収入が減ってしまうこともあり私もパートに出るようになった。

 葵には俊成くんと同じ幼稚園ではなく保育園に通わせることになってしまった。嫌がる葵を説得するのは大変だったけれど、俊成くんは休みの日になる度に葵と遊んでくれた。

 正直、私も夫も忙しかったというのもあって俊成くんには感謝していた。葵も俊成くんと遊べて不安が収まったのだろう。次第に保育園でもお友達を作っていった。


「俊成くんがパパをやってくれて楽しかったんだよー。葵はママなのー」

「そう、おままごとは楽しかったのね」

「うん!」


 それでも葵からの話題は俊成くんのことばかりだったけれどね。

 そうしているうちに小学校に通うようになった。葵も俊成くんと同じ学校に行けることもあってとても喜んでいた。

 我が子ながら微笑ましかった。だけど入学式で驚かされることとなる。

 木之下瞳子ちゃんという女の子と葵が俊成くんを取り合うようにケンカを始めたのだ。どうやら瞳子ちゃんは俊成くんと同じ幼稚園らしかった。

 親バカではなく、葵はとてもかわいいと思う。それなのに瞳子ちゃんはそんな葵と並んでも遜色ないほどのかわいさだった。

 ツインテールにした銀髪に澄んだ青い瞳。日本人離れした容姿に見惚れてしまう。フリフリのかわいい服を着せてみたいと思った。

 そんな瞳子ちゃんと葵が俊成くんを取り合っている姿は、なんというかこう小さな昼ドラを見ている気分になった。まだ子供同士なので微笑ましいものなのだけれどね。


「ワタシは瞳子の母デス。宮坂さん、よろしくお願いしますネ」


 瞳子ちゃんのお母さんはロシア人の美しい女性だった。モデルをやっていると言われても信じてしまえるほどの美貌である。


「娘さんかわいいデスネ。葵ちゃんのこと、もっともっと教えてくだサイ」


 本人いわく日本がとっても好きというのもあり、流暢な日本語だった。それに好奇心も強くて思わず娘の話をたくさんしてしまう。俊成くんのお母さんも同じように子供の話をしているようだった。


「瞳子にはしっかりとした女性になってもらいたいのデスヨ。だから習い事もさせてマス」


 そう言って瞳子ちゃんのお母さんは自分の娘の話もたくさんした。どういった教育方針なのか、まったく隠す様子もないのでこっちもついついいろいろとしゃべってしまう。性格なのか、お国柄が表れているのか、どちらにしてもストレートに考えをぶつけてくる女性だった。

 仲良しのママ友ができて嬉しかった。ただ、お互いの娘が一人の男の子を取り合っているというのはちょっと複雑だったけれど。

 葵が俊成くんと瞳子ちゃんと仲良くなっていくように、私達も三人でママ友同士集まっておしゃべりするようになった。

 毎回最後には俊成くんとお付き合いするのはどっちになるのかしらね、という話になる。俊成くんのお母さんはその話になると気まずそうになるのだけど、私と瞳子ちゃんのお母さんは大いに盛り上がった。

 これから大きくなるのだから恋はたくさんした方がいい。そう軽く考えていたのだ。


「お母さん。葵、チョコレート作りたいの」


 娘に突然そんなことを言われて何かと思えば、俊成くんにバレンタインデーのチョコを渡したいのだそうだ。

 これには私も葵と同じようにやる気になった。娘が意中の男の子にアピールできるチャンスなのだ。できるだけ協力してあげたかった。

 それに、瞳子ちゃんのお母さんにも負けたくなかったのだ。おそらく向こうもチョコレートを用意するだろう。負けないものを作ってやりたかった。これは母親としての勝負でもあるのだ。

 そうやって張り合っているとなんだか楽しい。これをきっかけに葵はお菓子作りだけじゃなく料理にも興味を向けてくれた。「トシくんにも食べてもらうの」と言いながら料理を憶えていく葵はいじらしくてかわいい。

 学年が上がって俊成くんと瞳子ちゃんとクラスが違っていた時は落ち込んでいたっけ。ちょっと心配になったけど、その心配は無用のものだった。

 葵はちゃんとお友達を自分で作れるようになっていた。それにクラスが違っても俊成くんと瞳子ちゃんとは家族ぐるみで遊ぶようになっていた。遊びにつれて行ったり、それぞれの家でお泊まり会をしたりなどこっちの頬が緩むくらい三人は仲良しだった。

 もしも俊成くんが葵か瞳子ちゃんのどちらかを選んでしまったらこんな関係も終わってしまうのだろうか? そんな考えが過ったものの、それはまだずっと先の話だろう。そう考えていた。

 私は葵のことを、葵だけじゃなく俊成くんと瞳子ちゃんのことも、ずっと子供のままだと思い込んでいたのかもしれなかったのだ。



  ※ ※ ※



「ママ、話があるの」


 瞳子が真剣な表情でそう言ったのは、初めて高木さんと宮坂さんとの一泊旅行をして帰った日の夜デシタ。


「お話なら瞳子のお部屋でしまショウカ」

「……うん」


 話というのはトシナリのことデショウネ。長い話になりそうなので腰を据えるためにも場所を変えることを提案シマス。

 瞳子はトシナリのことが好きなのデス。娘は幼い頃から自分の意志を持っている子デシタ。だからワタシは瞳子の想いをちゃんと聞いてあげタカッタ。

 瞳子のお部屋に入ってお話をシマス。最初娘は旅行でどんなことが楽しかったかを教えてくれマシタ。

 話は温泉旅館に行ったあたりになってカラ、瞳子の声が段々と小さくなっていきマス。本題が近いのデショウ。


「……それでね、俊成が言ってくれたの。あ、あたしの瞳が綺麗だって……」


 そこまで言うと瞳子は枕に顔を埋めてしまいました。それで娘がどれほど嬉しかったのかわかってしまいマシタ。……トシナリ、やりマスネ。

 幼い頃からワタシに似た銀髪と青色の瞳をからかわれてきたことを知ってイマシタ。何かを言われなくても、遠巻きから馴染みのない視線を向けられたのは容易く想像できマシタ。ワタシもそうでしたカラ。

 そういうものだと覚悟していたワタシは気にしませんデシタガ、日本人として育った瞳子からすればなぜみんなと扱いが違うのだと悩んだことデショウ。

 そんな時、瞳子からトシナリのことを聞いた時は嬉しかったものデス。ようやく本来の瞳子を受け入れてくれる子が現れたのデスカラ。

 それからというもの、瞳子は明るくなりマシタ。トシナリという味方を得て不安がなくなったのデショウ。

 だからこそ、瞳子が予定していた私立の小学校に行かないと言った時はむしろ嬉しかったのデス。それだけ娘が本気だと知れたのデスカラ。

 ……まさかトシナリが瞳子以外の女の子に粉をかけているとは思ってもみませんデシタガ。モテる男は手が早いというのはどうやら本当のことのようデスネ。

 ライバルがいても瞳子の想いは変わりませんデシタ。それどころかより一層燃え上がっているようにも見えマス。

 それがずっと続いてもう小学四年生になりマシタ。体は成長していき女として確かに育っていきマシタ。もちろん心だって変化があってもおかしくない年頃デス。

 それだけずっと続いた想い。そんな想い人からコンプレックスを吹き飛ばしてくれる言葉をかけられたのデス。瞳子の心の中でどれほどの想いが暴れ回っているのデショウカ。


「瞳子は本気でトシナリが好きなのデスネ」

「……うん」


 静かな頷きが返ってきマス。すでに真意を尋ねるまでもないデショウ。

 瞳子は純粋デス。そしてトシナリは優しい。トシナリなら娘の相手だとしても文句なんてありマセン。だけどそれは二人で決めるコト。どちらか一方だけではなく、二人いっしょに確かめ合うものデス。


「愛……という言葉を知っていマスネ?」

「え、知ってる……けど?」


 ワタシも日本語をたくさん勉強しマシタ。日本語はたくさんの意味を持っていることも勉強しマシタ。


「愛という漢字には心という文字が真ん中にあるのデス。だから愛という字は真心を表している言葉でもあるのデスヨ」

「真心……」

「そうデス。真心は偽りのない、嘘のない本物の心デス。瞳子に真心があるのデシタラ、トシナリに真っすぐな気持ちをぶつければいいのデス」


 とはいえトシナリもまだ子供デス。異性の愛情というものを本当の意味ではわからないデショウ。

 だとしてもアピールは必要なことデス。トシナリの中で瞳子が大きな存在になるようにしナケレバ……。


「ママ?」

「おっと、そうデスネ。真心を教えるためにはワタシとパパの馴れ初めを教えなければいけマセンネ」

「えー、その話は耳にタコができるくらい聞いたわよー」

「ふふふっ。そう言わずに聞くのデス。あれはワタシが日本に来て――」

「あー……、始まっちゃった」


 夫はとても不器用デシタガ、とても素直に気持ちを伝えてくれる人デス。真っすぐで紳士で素敵な人。ワタシの運命の相手デス。

 トシナリが瞳子の運命の相手かはまだわかりマセン。それでも瞳子には思いっきりぶつかっていける恋をしてほしいものデス。

 それがどんな結果を迎えたとしても、ワタシは最愛の娘を応援し続けたいのデス。


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