16.前世の友人は幼い

 四月も下旬。クラスメート達が新たな小学校という場所に慣れてきた頃のこと。

 入学してから葵ちゃんと瞳子ちゃんの争いは続いたままだった。それでも休戦は存在するようで、休み時間に葵ちゃんがお手洗いに行ったことで俺は一時の平穏を取り戻していた。

 元はしっかり者の瞳子ちゃんは葵ちゃんがいなければむやみに騒いだりはしない。普通に俺の隣にいるだけだ。


「あれ? もしかして佐藤さとう?」

「え、僕?」


 そんな気を抜いている時だった。次の授業の準備をしている一人のクラスメートに気づいたのである。

 いきなり俺に声をかけられて目を白黒させる男の子。記憶よりもだいぶ小さいが間違いなかった。

 彼の席の前に回り込んで名札を確認する。そこには「さとう いちろう」というひらがなの文字があった。確たる証拠というやつだ。


「やっぱり佐藤じゃないか。うわー、こんなに小さかったんだなお前。懐かしいなー」

「え? え? なんなんや? いきなり何?」


 佐藤は幼い顔を困惑色に染めた。眉を寄せた瞳子ちゃんに「俊成の知り合い?」と尋ねられる。そこで自分のテンションが異様に上がっていることに気づいた。

 やってしまった……。事情を知らない者からすれば俺の口走っていることは意味不明だったろう。

 だが、俺が急にテンションを上げてしまったのには理由がある。

 俺の目の前にいる男の子、佐藤さとう一郎いちろうは俺の前世での親友だったのだ。

 素朴な顔立ちに、特徴があるとするならそばかすがあるところだろうか。可もなく不可もなくといったそこそこの面をしている。俺も同程度のものだがな。

 佐藤は見た目だけではなく、勉強や運動、交友関係とあらゆる面でそこそこの男子だった。それが同じく様々な面でそこそこだった俺とウマが合ったのだ。

 そんな俺達は前世では小中高と同じ学校だった。高校を卒業してからめっきり会わなくなったものの、佐藤の結婚の報告はちゃんと聞いていた。前世の中で、唯一高校を卒業してからどういった未来を辿ったか知っている人物なのだ。

 人生で一番の親友、仲良くなった時期から考えても幼馴染と呼べる存在だったのだ。そんな奴が目の前にいればテンションだって上がるというものだろう。

 だからって前世は前世。今ではそんな思い出なんて存在しない。俺だけしか知らないことを、佐藤が知るはずもない。

 困っている顔をする佐藤。こいつは滅多に怒ったりしない。それは今も変わらないようだった。


「……ごめんごめん。ちょっと知ってる人に似てただけだから。いきなり驚かせちゃってごめんな」

「え、うん、まあそうならええんやけど」


 あっさり納得してくれた。うんうん、お前はそういう奴だよな。

 佐藤の関西弁も懐かしい。確か父親が関西の人で、その影響とかだったかな。この口調は大人になっても変わらない。

 それにしてもなんで佐藤がここにいるんだ? いや、悪いとかじゃなくてな。俺の記憶では佐藤と同じクラスになったのは小三の時だったはずなのだが。

 明らかに変わったことがあるとすれば、瞳子ちゃんが同じ小学校に通うようになったというところか? チラリと横を見れば銀髪ツインテールの女の子と目が合った。

 もしやこれがバタフライエフェクトってやつ? 前世をしっかり思い出すことができるならクラスメートの顔ぶれがだいぶ変わっている可能性もあるのか。

 まあそんなことはどうでもいい。考えても仕方のないことだしな。今大事なのは親友だった佐藤が幼い姿で俺の目の前にいるということだ。

 俺は佐藤に向かって右手を差し出した。


「俺、高木俊成。よかったら友達になってくれないかな?」


 すんなりと言葉が出た。小さい子だからこそそんな話を切り出しやすいというのはあったけれど、俺自身の本心として佐藤とは今世でも友達になりたいと思ったのだ。

 佐藤は俺の手を少しの間見つめると、すっと手を伸ばして握手してくれた。


「高木くんの名前はもう知っとるよ。毎日木之下さんと宮坂さんといっしょに賑やかなんやもん」


 佐藤は俺の横にいる瞳子ちゃんにチラっとだけ目を向けて赤面する。瞳子ちゃんはまったく気にする様子はなかった。


「俺だって佐藤くんの名前は知ってる。名字が鈴木だったら危なかったって思ってたからさ。世界の安打製造機と被っちまう」


 前世でそんな話をして笑い合ったのを思い出していた。今の佐藤にはわからない話だったけれども。首をかしげる彼に向って笑ってやった。



  ※ ※ ※



 佐藤との出会いをきっかけに、俺は周囲のクラスメートに目を配ることにした。

 小学校から中学校まで、同じ学校に通う連中は多い。周りへの影響力が強い人もいるので気を配っていた方がいいだろう。


「あんたがあおっちが言ってた俊成くん、で合ってるのよね?」


 そう思っていた矢先、俺に話しかけてくる女子がいた。前髪をヘアピンでとめた背の高い子だ。小学一年生の平均身長に届いている俺でも首を傾けなければならない。

 現在は掃除の時間である。一年生は午前中で授業が終わり、給食と昼休み時間を挟んでから掃除の時間だ。これが終われば帰りの会をして下校となる。

 掃除の分担場所はグループによってそれぞれ違うのだが、昨日までは葵ちゃんと瞳子ちゃんといっしょのグループだった。ただ、あの二人がいっしょになると掃除どころではなくなるので、昨日別々のグループに変えられたばかりだった。

 何気に小学生になってから、葵ちゃんと瞳子ちゃん以外の女の子に話しかけられたのは初めてだったりする。二人のバリアはよほど強固だったようだ。


「君は……」


 同じクラスだったにも拘らず、前世の親友である佐藤に気づけなかったのは葵ちゃんと瞳子ちゃんの相手が忙しかったからだ。佐藤ですらこれなのに他の子なんてわかるはずもない。前世があるとはいえ、小学一年生なんてまだまだ幼いのだから記憶の中の顔と一致しなくても無理はないだろう。

 俺が名札に目を向ける前に、彼女は快活に答えた。


「私は小川おがわ真奈美まなみっていうの。ねえねえ、あんたあおっちのカレシなんでしょ?」


 好奇心を隠さない目をしていた。この年齢でも彼氏という単語は知っているらしい。

 そして名前を聞いて思い出した。小川真奈美、彼女は前世での中学時代、女子のリーダー的存在だったのだ。

 中学時代、宮坂葵はマドンナと呼ばれるほどの存在だったけれどクラスの中心ではなかった。性格的な問題ではあるのだろうが、彼女を押しのけてクラスの中心になっていたのはこの小川真奈美だったのだ。

 さっぱりとした性格で男女の距離を感じさせない。そのため男女関係なく友人が多かったと記憶している。

 友人の多さは影響力の強さでもある。学生時代に俺はその事実を学んでいた。

 つまり、こういうタイプが一番敵に回したくないんだよなぁ……。


「あの、あおっちっていうのは葵ちゃんのことかな?」

「そうに決まってんじゃん」


 断言されてもわかんねえよ。話題を考えれば予想はついてたけど、もし別のあおっちさんだったら失礼ではないか。そういう人を間違えるようなミスはしたくないのだ。


「で? あおっちとはカレシカノジョな関係? ねえねえ、教えてよ」


 野次馬タイプだったか。こういうのは苦手だ。女の子なのにデリカシーがないのはいけないと思う。たぶんこれから学んでいくんだろうけども。


「いや、話よりも掃除しようよ」

「えー? そんなことより話聞きたーい。聞きたーい」


 小川さんは俺の制服にしがみついてくる。こらっ、しわになっちゃうでしょうが! 不機嫌な目を向けても好奇心に満ちている小川さんは笑顔だった。


「ちょっと、離してくれないかな?」

「お話聞かせてくれたらね。ほらほらー、しゃべってみ? 木之下さんもカノジョなの? そこんとこもどうなのよー?」


 小川さんの中で彼氏彼女とはどういう関係なのだろうか。少なくとも彼女が二人いても問題ないらしい。

 仕方がない。さっさと答えて掃除に戻ろう。手を離してもらうためにはそうするしかないのか。


「別に、彼女じゃないよ」


 はっきり言えたらいいんだけど、今の俺にはどちらかを彼女だなんて口にはできなかった。まだ子供だという言い訳以上に、自分の気持ちに嘘をつけなかったのだ。

 小川さんから背を向けるように掃除を始める。しかし俺の制服から手を離してくれる様子はない。


「何それ何それ? どういうことよ? 気になるー」


 小川さんは気の向くままに俺の体をガクガクと揺さぶってくる。やめなさいというのに。無駄に力が強くて抵抗は何の役にも立たない。

 同じグループの子達は真面目な子達が集まったのか、チラチラと気にしながらもちゃんと掃除をしている。このままでは俺が不真面目扱いされてしまうではないか。

 小川さんの追及が面倒臭い。当人二人がいないところを狙っているのがまた厄介だった。


「小川さん、今は掃除の時間だよ。ちゃんと掃除しないと先生に怒られちゃうよ?」


 やんわりと彼女の手を取りながら忠告した。そのまま制服から手を離させようとするのに上手くいかない。どんだけ力いっぱい握っちゃってくれてんだよ!

 四苦八苦する俺に構うことなく、小川さんは俺に顔を近づけてきた。秘密の話をしろという強要である。


「そんなことはいいから教えてよ。私はあおっちの友達として心配してあげてるだけなんだからね」


 それは友達の範疇なのか? 俺には謎理論にしか思えない。ていうかただ単に知りたいだけだよね?

 まったく子供というのは自分の衝動を抑えるということをしない。葵ちゃんと瞳子ちゃんはそのあたりちゃんと分別がついている。……と思うよ。二人ともまだ小学校に入学する前の方がしっかりしていたのは気のせいかな?


「本当に思いやりがあるならそっとしておくべきだと、俺は思うよ」


 というか本当にそっとしといてください。俺だって答えが出せていない問題を答えられるわけなんかないだろうに。

 小川さんがむっとした顔をする。これは何か言われるかと思いきや、彼女の動きはピタリと止まった。

 どうしたのかと首をかしげて、すぐに気づいた。小川さんの肩に後ろから誰かの手が乗せられていたのだ。体の大きい小川さんに隠れて見えていなかったようだ。

 一体誰なんだろうか。それは声を聞いてすぐにわかった。


「真奈美ちゃん? 何をしているのかな?」

「え、えーと……」


 葵ちゃんだった。声はいつものようにかわいらしいのに、小川さんに隠れて見えない表情のせいか少し恐い。本当に葵ちゃんだよね?

 小川さんも頬が引きつっている。俺と同じく言い知れぬプレッシャーを感じているようだ。


「あ、あのね? 私はあおっちのことを思って、その……」

「真奈美ちゃん」

「……はい」

「ちょっと、向こうでお話しましょうよ」


 この後、とある女子生徒の悲鳴が聞こえたとか聞こえなかったとか。葵ちゃんが変な方向に成長してしまわないか、幼馴染として激しく心配である。


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