王国サイド ウェルの巻き込まれた事件の真相。 後編

『──いやぁあああああっ! お姉さまっ!』


 誰も見ていなかったからこそ。

 マリシエールもエリシエールも、皆からの信頼が厚かったからこそ。

 おまけに新年を祝う宴で、騎士や衛士、使用人たちにも酒や料理が振舞われていたからこそ。

 こんな稚拙な準備で、単純なトリックでも。

 それは効果覿面だった。

 うまく行き過ぎた。

 ただ『ウェルと結婚したくない。可愛い勇者様とお近づきになりたい』という姉妹の欲望による、完全犯罪達成の瞬間だっただろう。


 エリシエールの叫び声を聞きつけて、まだ酒が残る騎士たちや近衛の者たちが慌てて駆け付けた。

 駆け付けた騎士たちは目を疑った。

 酔いも一気に醒めただろう。

 今まで何年も尊敬され、身を粉にして働いてくれた救国の英雄であり、聖剣の勇者であるウェルの失態。

 かといって事態が判明するまでは地下牢に連れて行くわけにはいかず。

 意識が朦朧としているウェルを、この部屋に軟禁するしか方法がなかったのだろう。


 一番驚いたのはウェル本人。

 そして、父ロードヴァットと母フェリアシエルだっただろう。

 ウェルに記憶はないが、かといって弁解したりはしない。

 本来であれば、嫁入り前の第一王女への狼藉だ。

 ウェルでなければそのまま極刑だっただろう。

 ただ、ロードヴァットとフェリアシエルはウェルの人となりを知っている。

 ロードヴァットが即位してからすぐに、これまで十九年間。

 自分を殺してまで、国のために必要以上の努力をしてくれたことを。

 だからこそ、ロードヴァットとフェリアシエルはウェルを弁護した。

 かといって、この騒ぎは城中を一気に広まってしまう。

 誰も知らぬものがいない程の大事件へと発展してしまったのだ。


 未遂だったことと、ウェルにはその意思がなかったこともあり。

 彼の実績と今までの真摯な対応。

 彼がいなければ、失っていたはずのものを秤にかけても。

 更に国王と王妃の嘆願もあり。

 ウェルは国外退去という、比較的優しい処分になったのだった。


 ここで納得いかなかったのが、ウェルの守護者であり、相棒の聖剣。

 エルシーだった。

 ウェルが十五の時から面倒を見続け、彼がどれだけ優しく、自分よりも国のことを考え。

 自己犠牲の精神を十九年続けてこれたかを、一番近くで見てきた。

 ウェルの身動きがとれない状況下、事の真相を探るのに可能な一番の最善策は、聖槍の勇者の持つ、聖槍ヴェンニルに乗り移る方法だった。


 今季新しく聖槍の勇者に就任した彼の名はベルモレット。

 正義感が強く、聖剣の勇者であるウェルに憧れていた少年の一人だった。

 ただ、今回のことは彼にとってもショックなことだっただろう。

 勇者であり、聖人君子とも言われたウェルがこのような事件を起こすわけがないと思っていた。

 だが、状況を見ても、間違いなくそれは起きてしまった。

 酒の勢いとはいえ、人はそこまで変わってしまうのかと絶望してしまっていた。


 彼の最初の任務は、エリシエールの護衛。

 彼女に付き従い、城の中を一歩下がってついて行く。

 エルシーは聖槍ヴェンニルに乗り移ったことで、それに難なく同行できたのだ。


 エリシエールは塞ぎこんで部屋から出て来れなくなってしまった姉を見舞うと、ベルモレットに待機を命じた。

 エリシエールは形式だけだが、綺麗な装飾のされた守り刀を常に持ち歩いていた。

 エルシーはそれにうまく乗り移ることができて、マリシエールの様子を伺うことにしたのだが。

 そこで偶然、事件の真相にせまることになるとは思っていなかっただろう。


 そこで聞いた話にエルシーは我が耳を疑ってしまう。

 マリシエールは塞ぎこんでいなかった。

 妹のエリシエールの策がうまくいったと喜んでいるではないか。

 よくよく話を聞いてみると。

 うまくウェルを追い出せそうだ。

 これで結婚することはないだろうし、新しく可愛らしい勇者と仲良くなれるだろう、と。

 エリシエールが城内で悲しそうに、姉が塞ぎこんでしまったた理由を広めたそうだ。

 なるほど、この二人の起こした狂言だったのだ。

 

 王国が自分のとき、先代勇者のとき、ウェルのときもそうだった。

 勇者に頼りすぎていた結果。

 ウェルの献身的な頑張りによって、平和な国になってしまった。

 そんなことくらい、エルシーにもわかっていた。

 平和ボケした城内だったからこそ、こんなくだらない凶行が成功してしまっただろうと。


 もはや王女たちにつける薬はない。

 エルシーはとにかく呆れた。

 そして絶望した。

 この国にもう、未来はないのだと。

 新しい聖槍の勇者に助言だけでもと思ったが、彼に話しかけてもウェルのように気づいてくれない。

 これでこの国に未練はなくなってしまった。

 その時だった。

 エルシーに、ふっと開放感が伝わってきたのだ。

 それは先代の勇者の引退の時に味わった感触。

 ウェルが勇者でなくなった証でもあった。


 ロードヴァットとフェリアシエルはウェルのことを弟のように可愛がっていたとしても。

 ウェルを羨み毛嫌いしていた者も少なくなかったのかもしれない。

 特に他の重鎮たちは、勇者を『使い勝手のいい道具』とも『替えの効く存在』とも思っていた者もいるだろう。

 ただ強いだけの庶民、それが二人以外の国側から見た勇者の扱いではなかったのか。

 そうでなければエリシエールがバラ撒いた悪評によって、ウェルの十九年の努力がこうもあっさりと覆され、極悪人扱いされることも頷けるのだ。

 それだけ聖女マリシエールの存在は国側や国民たちの支持も厚かったのだろう。

 『勇者はまた選べるが、聖女の替えは利かない』ということなのだろうか。


『さようなら、ロードヴァット、フェリアシエル。あなたたちはウェルを可愛がってくれた。けれどあなたたちは失敗したの。娘たちを、騎士や役人、貴族たちを制御できなかった。ウェルをこんな目に遭わせたこの国をわたしは許さないわ。でも、わたしには何もできない。だからこそ。わたしにできるせめてもの抵抗だから。この国からいなくなってあげるわ』


 聖槍の勇者である少年を見て。


『ごめんなさいね。あなたを見守る義理はわたしにはないの。どうぞ長生きしてちょうだいね。わたしにはもう祈ることしかできないわ』


 エルシーは騎士たち、衛士たちの剣を移り行き、ウェルの持つ短剣に乗り移った。

 聖剣と聖槍の守護者であるエルシーが見限ったことで、この国の未来はどうなってしまうのだろう。

 それは誰にもわからない。


 ウェルが連行されていく。

 肩に烙印を押された。

 その烙印は、国外追放よりも重たいものだった。

 おそらくはエリシエールが指示したものだっただろう。

 ウェルにこの国へ舞い戻られてはならないのだから。


 おそらくはウェルに対して快く思っていなかった者も少なくはないだろう。

 それは男の、恨み、妬み、嫉み。

 実に醜い感情だ。

 ウェルが堕ちていくのを見て、気が晴れていく者もいただろう。


 エルシーはウェルが投石され、彼に石がぶつかるたびに呪った。

 呪っても何の効果もないことは知っていた。

 それでも呪わないわけにはいかないくらい、彼女も悔しかったのだから。

 ただ、親たちに連れられた子供たちは、ウェルに対して罵声を浴びせることはなかった。

 なぜあんなに優しかった勇者様がこんな目に遭ってるのか、信じられなかったのだろう。

 ウェルは『子供達にだけには』愛されていたということだったのだ。

 その事実は、エルシーにとって唯一の心の救いに思えただろう。


 ウェルが馬車に乗せられた。

 目隠しをされてどこかへ連れて行かれるのだろう。

 国を出た。

 もう戻ることはないだろう。

 最悪、この騎士たちがウェルを害しようとしたとして、この状態のウェルでも彼らは簡単には倒すことはできないだろう。

 ウェルはエルシーが鍛え上げたのだ。

 手枷足枷があったとして、騎士程度には負けることがないことは知っている。

 だから安心して一緒に連れられていくことにしたのだ。


 馬車が停まった。

 ウェルの目隠し、手枷、足枷が外される。


「どこにでも行くがいい。この犯罪者が」


 騎士の捨て台詞はエルシーにもカチンと来たが、どうすることもできない。

 馬車が去り、ウェルだけがそこに取り残された。


「あぁ。俺、何してんだろうな……」

『ごめんね。助けてあげられなくて悪いと思ってるわ』

「えっ? あれ? エルシー?」


 こうして、あのどうしようもなく駄目な国を捨てて、ウェルといることを選んだエルシー。


『そうよ。誰だと思ったの?』


 エルシーにとって、驚くウェルと一緒にいられることだけが、今は全てだった。

 ウェルが落ち込んでる暇のないくらいに、背中を叩かなくてはならない。

 ある意味ウェルは自由になったのだから、幸せになってもらわなくてはならないのだから。


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