chapter.8

25.それゆけハリボテお嬢様。

「部室が増えた?」


 週が明け、晴れて新聞部青春部の一員となった紅音くおん月見里やまなしがまず最初に伝えられたのは、そんな一報だった。

 その理屈はこうだ。



 新聞部青春部の部室は今までも私物で溢れていたからな。正直手狭なのは間違いなかった。だが、かといって、大きな部室を確保するのは非常に難しい。そこでだ、ちょうど空き部屋となっている隣を、第二青春部室として活用してはどうかと思った。幸いにして許可も取れたんでね。ありがたく使わせてもらうことにしたよ。



 と、まあそんな感じ。これは全て部長であるたちばなが述べたことで、彼が一人でやったことなのだそうだ。

 

 ちなみに、既存の部員はこれらの事実をしっかりと知っており(どうやら部のメッセージグループが存在しているらしい)多くの私物は隣へと移動済になっていた。そのため、


「どうりで綺麗になってると思ったよ……一部以外」


 そう。


 紅音と月見里が来た時には既にあらかたの片づけが終わっており、室内の私物類は大分片付いた状態となっていたのだ。


 部屋の面積は体感で二倍くらいになったように感じるし、それらに覆われていて見えなくなっていたが、新聞部のものらしき資料が本棚に入っているのも確認出来る。


 朝霞あさか曰く「あれは今使ってないんだよね」とのことだったのだが、仮にも新聞部の一員がその認識でいいのかは紅音にも分からない。


 そんなわけで、部室はかなりこざっぱりとし、普段使いと思われる私物が置かれていること以外は、割と普通の内装になっていた。そう、ある一部以外は、


「……なんであれはそのままなんだ……」


 テントである。


 ついでにハンモックもつるされている。


 部室の奥に鎮座し、一番存在感を放っていた“それら”は、驚くことに第二部室を確保してなお、そこに居座り続けていた。朝霞が半ば諦め気味に、


「あそこは部長のテリトリーだからねぇ」


 室内にテントでテリトリーを確保する部長なんて普通はいないと思う。


 しかし、ことここの部長たちばなは普通では無かった。


 そんな彼だが、


「出かけてるんですか……?」


 先ほどから姿が見えないと思ったら、どうやらまたどこかに出かけているらしい。その目的は朝霞ですら分からない。ただ、


「ゴールデンウィークは開けておいて欲しいって?」


「そ。何を考えてるのかは知らないけど、そんなことを言ってたよ。まああの人のことだから、不利益になることはしないと思うし、期待していいんじゃないかな」


 とのことだった。


 そんなわけで現在部室にいるのは合計で三人。


 朝霞と、紅音と、月見里。


 先輩方はみんな出払っているらしい。


 これでは部活らしいことは何も出来やしない。


 そもそも、


「青春部ってなんだよ……」


 紅音は思わず疑問を口にする。その視線の先には扉を挟んであのお手製プレートがある。今日来た時もそのままになっていたが、一体どういうつもりなのだろうか。


 朝霞が自分の作業をしながら淡々と、


「まあ、気まぐれだと思うよ。部長ってそういうことあるし」


「そういえば言ってたな。定例行事みたいなもんだって」


 そうだ。


 先週末。橘が部活動の名前を勝手に変更し、プレートを作って貼り付けた際、朝霞はそんなことを言っていた。これが初めてではなく、定例行事のようなものだということを。


 朝霞は引き続きディスプレイに視線を向けたまま、


「前は何だったかなぁ……野球愛好会だったかな」


「野球……それって」


「そ。ちょうど先輩二人が入部してきたタイミングだったかな。なんか「野球は実際にプレイするだけじゃなくて、見ることもできる。そう、それこそがこれからのスタンダードなんだ。君たちはその先駆者になるんだ」とかなんとか言って、先週末と似たようなプレートを作って貼ってた」


 なるほど。


 容易に想像が出来た。


 あの好奇心と熱意の融合体が服を着て歩いているような橘ならば、それくらいの台詞は出てきてもおかしくはない。ただ、


「あの、いいですか?」


 月見里がおずおずと手を挙げる。そこで朝霞は漸く作業の手を止めて、こちらを向き、


「なんだい?」


「あ……えっと……その、やきゅうどうこうかい?になったとしたら、なんで先週は新聞部……だったんでしょうか?」


 朝霞はにっと口角を上げて、


「いいところに気が付いたね、月見里さん。実はね、最初は今みたいに紙が貼りつけられてるんだ。だけど、部長はそれじゃ満足しない。じゃあ、どうするか。実際にそれを正式名称にしようと考えるわけさ」


 紅音が、


「正式名称にって……野球愛好会をか?」


「そう」


「新聞部はどうするんだ?」


「さあ?」


 さあ?と来ましたか……。


 朝霞は淡々と、


「まあ、別に野球愛好会で、新聞を出しちゃいけないって決まりはないからね、それまで通りの活動をするだけだったと思うよ。ただ、結果として、その活動名は通らなかった。何故だと思う?」


「活動内容とあってないから?」


「半分正解。却下された理由はそれで間違いない」


「半分って、もう半分はなんなんだ?」


「簡単な話さ。生徒会長に却下されたんだ」


「生徒会長……」


 思い出す。


 紅音にとっての生徒会長はずばり、始業式などで挨拶をする姿に他ならなない。名前は確か、


冷泉れいせん。冷泉生徒会長」


 そうだ。


 冷泉千秋ちあき


 それが現生徒会長の名前だ。


 一年生であった前期から生徒会長に就任し、去年の秋からは二期目に入っている。


 黒々としたロングヘア―に、黒のストッキング。更には一人だけ黒基調のセーラー服と、全身を黒で固めているのが彼女だ。唯一、髪を留めているヘアピンだけが白なのだが、それ以外は本当に漆黒そのものだ。


 顔立ちも整っており、毎年の文化祭で秘密裏に行われているミスコンでは上位に来ていたとの話もある。余談だが、紅音の幼馴染こと八雲やくもあおいもそれなりに票を集めるらしい。複雑な気分だ。


 で、そんな冷泉会長なのだが、見た目とは裏腹に(と言っていいのかは分からないが)気さくな性格で知られている。


 それこそ挨拶をすれば笑顔で返してくれるし、学生間のなんでもないいさかいにも首を突っ込んでは大岡裁きをしてくれたりもする。


 困っている人がいれば手を差し伸べ、常に在校生徒のことを考える。学校生活は楽しくなくてはならない。それが彼女のポリシーなのだそうだ。


 実際、冷泉が生徒会長になってから、多くの学校行事にメスが入り、体育祭なんかは大分エンタメ性のあるものに様変わりしたらしい。


 もっとも、その「様変わりした後」しか体験していない紅音からすればその差は分からないのだが、確かに一風変わったものであったのは間違いないと思う。


 そして、それらが全て冷泉の功績なのだとしたらそれは大したものだ。ただ、


「生徒会長って、そんな権限あったっけ?」


 そう。


 常々気になっていたことだ。


 当然ながら生徒会長に大した権限はない。


 細かなイベントを開催したり、その性質を決定したりということは出来なくもないが、それ以上となると越権行為をなってくるはずである。当然その中には「部活動名の変更」もしっかりと含まれているはずなのだ。ただ、


「さあね。でも、事実部長は生徒会長様に言われたからってことで、部活動名を変えるのはやめた。それだけは事実だよ」


 朝霞は両手を挙げて降参というアピールをする。二人の付き合いはかなり長いはずだが、それでも分からないことはあるらしい。


 さて。


 そんな話をしていても仕方がない。


 朝霞と違って、紅音たちにはやることが無い。


 なので、


「取り合えず、今日は帰るわ。なんか先輩たちもいないみたいだし」


 改めて部室を見渡す。流石にテントに隠れているということは無いと思いたい。


 朝霞が、


「そう?ちょっと連絡でもしてみようか。二人組は近くにいると思うし」


 それでも紅音は、


「いやぁ……それって二人で勝負でもしてんだろ?悪いって、邪魔したら」


 しかし朝霞が、


「大丈夫だと思うけどね。手が離せないなら離せないで、そう言ってくると思うし」


 なんだ?


 なんで、引き下がらない?


 朝霞という人間は基本的に淡白だ。相手の行動を縛る、ということは間違ってもしない人間だとばかり思っていた。


 それがどうだ。今日は大分引き下がるじゃないか。


 紅音は気になって、


「おい、あ」


「あのっ!」


 瞬間。


 月見里が会話に割り込んでくる。


 割り込んでくるというよりは、思いっきり突撃してきた感じだ。その結果朝霞と紅音は二人して月見里の方を見ることになり、結果として彼女は、


「あ、えっと……その」


 こうなる。


 まあ分かっていたことだ。


 仕方ない。こちらから聞いてやろう。


「どうした?なんかやりたいことでも」


 トントントン。


 まただ。


 また遮られる。今日はよく邪魔の入る日だ。


 そんな音を聞いた朝霞が、


「はーい。今開けるね」


 立ち上がって、扉の方へと向かう。


 おかしくないか?


 朝霞だぞ?誰が来たのかも聞かずに扉を開けるなんて、


 ガチャッ


 バン!


西園寺さいおんじ紅音くおん!尋常に勝負なさい!」


 うるさい。


 思わず反射的に口をついて出てしまいそうだった。


 扉を開ける大きな音とともに、それ以上の騒々しい空気がなだれ込んできた。


 その顔には見覚えがある。


 なんだったら、名前だって知っている。


 そう、彼女は、


「なんだ、万年二位か」


 そう。彼女の名前は万年・二位、


「万年二位ではありません!失礼な!最初の中間試験では私の方が上でしたでしょう?」


 訂正。彼女の名前は佐藤さとう陽菜ひな。紅音のライバル……いや、噛ませ犬かな。うん。多分そうだ。


 そんな彼女はキャンキャンと、


「あなた。聞けば部活動に入ったそうじゃないですか?」


 どこから仕入れてきたんだ、その情報。紅音が新聞部青春部に入ったのは先週の土曜日だぞ。いくらなんでも情報を得るのが早すぎやしないか。


 陽菜は続ける。


「必死に維持していた学年一位もこれで終わりですわね。部活動にうつつを抜かしたら、貴方が私に勝てる道理なんてありませんからね?」


 紅音は淡々と、


「別にそんなことはないぞ。そもそも、部活動とは言ってるが、俺がここでやる活動なんて大したもんじゃない。それに、部活動に所属して、時間的リソースが少なくなった俺に負けたときの言い訳を考えておいた方がいいんじゃないのか?」


 そう。


 そもそもこの部活動は別に時間食いでも何でもない。


 なんだったら、ここで試験勉強をしたっていい。ああ見えて諸先輩方はみんな勉強が出来るほうだと聞いている。


 ではなぜ(おそらくは)複数回留年している人間がいるのかは、まあ、考えないでおこう。きっと何か事情があるんだよ。


 そんな返しに陽菜は、


「ムッキー!」


 すごぉい。ムッキー!って口に出す人初めて見た。


「貴方。大した自身ですけどね。貴方は所詮私に勉強で、かろうじて勝っているだけということをお忘れではなくて?貴方なんて勉強以外では私に勝てる相手ではないんですのよ。例えば……」


 そう言って陽菜は室内を見渡し、


「そう、野球。野球なら、貴方なんて大したことはありませんわ」


 その視線の先には明日香先輩が葉月先輩のものと思われるバットが置かれていた。以前はかなりの数が置いたままになっていたのだが、一本を残してなくなっていた。一番のお気に入り以外は、第二部室に移したのかもしれない。


 さて。どうしたものか。


 正直なところ売られた喧嘩は買っておきたい。


 しかし、今回に限っては話が違う。なぜなら、


「負けません!」


 横から、随分と大きな声がした。


 月見里だ、


「あら?貴方。この、今から私の噛ませ犬になる男のなんなんですか?」


 酷い良いようだ。ならんわ、噛ませ犬になんて。


 月見里はそんな言葉を一切無視して、


「西園寺くんは、負けません。あ、あ。あなたなんか、には……」


 声が途絶え途絶えな上に、最後の方は大分ボリュームも小さくなっていた。ただ、目の前にいる人間に宣戦布告するには十分すぎた。


 陽菜は漫画から出てきたかのような高笑いで、


「オーホッホッホッホッ!良いですわ。それなら、勝負といきましょう。条件は、追って伝えますわ。日時は……週末、金曜日。それでいいですわね、可愛い恋人さん」


「こ、こいっ!?ち、違いますよ!?」


 全力で否定された。それはそれで悲しい。ん?悲しい?なんで、


「あらそうですの?まあいいですわ。それでは、これで。また、金曜日にお会いしましょう」


 そんな紅音の疑問を放置したまま、陽菜は扉をやはりバタン!と大きな音を立てて閉め、扉の向こうで高笑いしながら去っていった。彼女自身のボリュームを下げるボタンはないのか。


 沈黙。


 やがて、全てを察したように朝霞が、


「取り合えず、二人には連絡しておく?」


「…………お願いする」


 事態を理解していないであろう月見里が、


「え、あの、二人って」


 紅音がぽつりぽつりと、


「明日香先輩と、葉月先輩。力を借りることになると思うから」


 月見里はそれでも理解せず、


「あの、それはどういう……」


 朝霞が横から、


「佐藤陽菜。二年C組所属。成績は……まあ二人とも知ってるから割愛するよ。所属部活動はソフトボール部」


「そ、ソフトボール?」


月見里が繰り返す。朝霞は首肯して続ける、


「しかもただの部員じゃない。一年生時からスタメンに名を連ね、二年生となった今年からは四番でエースを務めることになっている。一応野球とソフトボールは違うスポーツだけど……相手の得意フィールドで勝負を挑んじゃったことには変わりはない。ちなみに、俺が知ってる限りでは、紅音に野球経験はない……んだけど、どうだい?」


 話を振られる。それに紅音は、


「残念ながら、皆無だ」


「え、ええええええええええええええーーーーーーーー!!!!」


 一人は悲鳴を上げ、一人は諦め、一人は必死に作戦を考える。


 ソフトボール部エース・佐藤陽菜。


 それが、紅音の挑む相手だった。


 ……どうしてこんなことに。

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