「種も仕掛けもあったのですよ。しかしそれは、即席で作られたくじにではなく、貴方の用意した、あの袋の方にね」

「袋?」

 袋って、あのくじを入れた縦長のクリアなショッピングバッグのこと?

 持ち手の穴が空いている、よく見るようなただの透明な袋だった。

 付け具もなかったし、あれに仕掛けがあるなんて、とてもじゃないけれど信じられない。

「あれは、フォーシングバッグだったのですよね? 猫田先生」

「……」

「せん、せい?」

 口を閉ざし黙ってしまった先生は、下を向いている。

 その瞳だけが、泳ぐように動いていた。

「何も言えませんよね? ここで何を言ったところで、貴方は物的証拠をその手に持っているのですから」

「証拠……あ」

「そう……見せていただきますよ。今もその手の中にある袋を。言っておきますが、言い訳などさせません。袋がこの場で調達したものではなく、貴方の所有物だということは、僕たちがこの目で確かに見ていますので」

「…………どうしてわかったのか、教えていただけるかしら?」

 抗うことを諦めたのだろう。猫田先生は自嘲するような薄笑いを浮かべて、倉科先輩を見た。

「おかしいと思った理由は、先程お伝えした通りですよ。くじを提案したり、誰だかわからないはずの副委員長を、ハトちゃんだと言い当てたりね。ハトちゃんに二日も続けて、たった一つしかないくじが引き当てられたことも、妙で引っかかりました。後は、袋がすっと出てきたあたり、やけに用意が良いなと。それに貴方は、袋から決して手を離さなかった」

 言いながら、先生の手元から袋をすっと抜き取って、倉科先輩は袋の口を開いてみせた。

「やはりね……フォース用のスペースがある」

「フォース、ですか?」

「マジック用語だよ。観客が自身の意志で自由に選んだように見せかけて、実は演者が取らせたいカードを意図的に取らせる技法のことだ」

「マジック、ですか」

「そう。このバッグは、手品に使われるアイテムだよ」

 先輩が、袋を私にも見せてくれた。

 一見、何の変哲もない普通の袋。

 だがしかし、そこには彼が言った通り、謎のスペースが存在した。

「例の『当たり』くじを袋に入れたのは、君ではなく先生だったのではないかな? ハトちゃん」

「は、はい。私は他の、何も書いていないくじを入れて、最後に先生がそのくじを入れて、混ぜておられました」

「すべては、流れるように行われた。誰も疑問に思うことなく、ね。随分と手慣れた動きでした。きっと、今までに何度も行ってこられたのでしょうね。常習犯ですか」

 倉科先輩は、俯いている猫田先生へと向き直った。

 フォーシングバッグを彼女の手に戻す。

「ハトちゃんが疑いもしないことをわかった上で、二度も同じ手を使ったということですね。昨日の場面を見ていた人間も存在しない……とても都合が良かったというところですか」

「そうよ……」

「ようやく認めていただけましたね。掃除完了。やっとスッキリしました。では、僕はこれで」

「えっ……倉科くん?」

 言って、猫田先生の隣を通り過ぎる倉科先輩。

 驚いた先生が彼を呼び止めると「何か?」と言って、振り返った。

「何かって……理由を聞かないのですか? どうして、こんなことをしたのか、と」

「ああ、理由ですか」

 足を止めたものの、そう言った倉科先輩の声音は、ひどく興味のないそれだった。

「随分と、理由にこだわりますね。しかし、僕にはどうでも良いことです」

「どうでも、良い?」

「ええ。だってそれは、人が人を欺くための理由ということですよね? 残念ですが、どれだけ丁寧に説明されたところで、そんな幼稚なもの、僕に理解できるわけがありませんので。それに、どうせくだらないことでしょうし、聞く価値などありませんよ。女性のその手の話は、『ただ話したいだけ』というものでしょうからね。聞いてほしい。同情してほしい。情状酌量の余地があると捉えてほしい。少しでも自分のことをよく見てほしいという、そういった、まるで子どものような稚拙な欲求。そうして生まれた考えに付き合うほど、僕はお人好しではありませんし、掃除したゴミの言葉に心を動かされるような人間でもありませんから」

 唖然とする私と先生を置いて、倉科先輩は踵を返して扉に手を掛けた。

「ああ、でもハトちゃんが貴方を許すかどうかは、また別の問題です。ハトちゃんが明日よりの学校生活を気持ちよく過ごせるよう、精々数学教師として、論理的に話をされることをおすすめしますよ」

 それだけを言い置いて、今度こそ白衣の変人、倉科将鷹は、躊躇なく会議室を出て行った。

 これが、美化委員の仕事。倉科将鷹の「清掃」か――

 残された私たちには沈黙が訪れたが、やがて猫田先生が、力ない声で謝罪を口にした。

「言い訳を聞いていただくことは、可能でしょうか?」

「聞かせていただけますか?」

 そうして告げられた理由に同情した私は、先輩に言わせればとんだお人好しなのだろう。

 それでも私は彼女に対して、怒りを抱くことはないのだった。

 だってあの場で祈っていたのは、生徒だけではなかったということなのだから。

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