第34話 突撃前夜

 銀幕までの道のりは、なだらかとまではいかないものの丘陵などの大きな障害はなく、順調且つ確実にその距離を詰めていく。大地は相変わらず無機質な黒い小岩が散乱していて、かろうじて大木だったとわかるその成れの果てがぽつぽつと、寂しげに朽ち折れていた。


 馬で半日の距離だと言っても、大きな風力車を引く馬のペースに合わせれば、どうしても歩みは遅くなる。だが着実に銀幕の体貌が、ボクらの視界を覆っていく。


 銀幕まで、後少し。


 その距離が明確に時間で換算できる地点までたどり着く頃には、陽は沈みかけ、空は夕闇の境目を曖昧に照らしていた。


「今日は行軍はここまでとする。明日の日の出と共に銀幕へと向かう。おそらく日が中天に差し掛かる前には、銀幕前まで到達するだろう。皆、夜営の準備に取り掛かり、明日に備えてしっかりと休息を取って欲しい」


 先頭のヴェルナードが馬を停め、振り向きそう告げる。

 緊張感も多少は緩み、雑談を交わしながらも各自が与えられた役割に精を出し始めた。簡易テントが所々に出来上がり、食材を切るリズミカルで心地よい音が、オレンジ色に染まる空へと流れていく。


 ボクら航空戦闘部は燃料となる薪がわりの木材探しに任命されたけど、草木がほとんど生えていないこの陸地で、燃材料を探すの至難の業だ。それでも痩せ細った小枝など、数本をどうにか見つけて夜営地に戻る時分には、鼻腔をくすぐり食欲を刺激する香ばしい匂いが、辺り一帯に漂っていた。


「さあ夕食の用意が終わったぞ。みんな取りに来てくれ!」


 調理担当の保安部員のその声に、大釜の前に列が生み出される。ボクも夕食を受け取ると、暖をとるための篝火から少し離れたところに腰を下ろした。


 天を焦がすほどの大炎に、方々からの笑い声が絡みつく。


 昼間の行軍で疲労が蓄積されているはずなのに、談笑しながら栄養を補給する。だけど補給しているのは、体力だけじゃない。

 明日の重要な任務のために、気力や英気も高めている。だからこその空元気とも取れる談笑なのだ。野菜と干し肉を軽く煮込んだだけの、決して美味しいとは言えない料理でも、闘志の炎だけは絶やしてはいけない。


 そう。あの篝火と同じくらいに、猛々しいくらいが今は丁度いい。


 ボクは味気の薄い夕食を、勢いよく胃に流し込んだ。膝の上のマクリーも、むしゃむしゃと夕食を食べている。


 ちなみにマクリーだけは、大好物のどんぐりを甘く煮た特別メニューだ。

 一つ摘もうとしたら「これは吾輩のご飯です!」と全力で拒否られた。


 ……一つくらいいーじゃんか! マクリーのケチ!


「明日……うまくいくかな」


 隣に座るジェスターが、陰りが見える顔を俯かせてポツリと不安を吐き出した。


「どうしたんだいジェスター? なんからしくないじゃないか。大丈夫だって! きっと何かしらの収穫があると思うよ」


「おい、どうしたジェスター。銀幕を前にビビったのか? お前」


「ば、バカ! そんなんじゃねーよ! これでも俺は『モン・フェリヴィント』の保安部員の一員だ!」


 ボクの隣、ジェスターとは逆側に座るマクシムのニヤけた顔とその揶揄に、ジェスターが真っ向否定する。


 ジェスターだって厳しい訓練を耐え抜いてここにいるのだ。昔の彼ないざ知らず、そう易々と弱音を吐く男じゃない。


「いや仮にさ、バリアを通過できて銀幕内に入れても保安部俺たちはさ、地上しか調査できないだろ。銀幕は上に伸びている。結局は航空戦闘部カズキたちに任せっきりだと思うとな……。それに今回は人翼滑空機スカイ・グライダーの数だって少ないだろ。だからちょっと心配になっただけだ」


 ジェスターはボクの身を案じてくれていたのだ。

 その優しさに、ボクは明るく振舞った。……込み上げる嬉しさを抑えつつ。


「大丈夫だって! 少数って言ってもこっちはあのクラウスさんがいるんだよ! それにコルネーリオさんだっているし、ボクが率いる希竜隊だっているんだ! 何も心配なんていらないよ」


「おいカズキ! 俺様がいることも忘れてないだろーな!」


 隣のマクシムが勢いよく立ち上がると、ボクを見下ろしながらやや強い口調で言い放つ。


「……え、マクシム。……本当に一緒に銀幕内に入る気なの? 銀幕の側まで来たんだからさ、アンタはもう見学でいーじゃない。怪我でもされちゃ困るってヴェルナードさんも心配してるんだけど……」


「マクシム様、私もその発言に賛成です。ここまできて銀幕を間近で見るだけでも、我らにとって大変有意義な情報となります。ここは無理をなさらずに、待機されたほうがよろしいかと存じますが……」


 セドリックもボクとまったくの同意見だ。できることならマクシムには銀幕には入らずに、外で待ていてもらいたい。


「絶対やだね! 俺様も行くからな! そして一番活躍をしてみせるぜ!」


 ……思考回路が10歳児か! もうちょっと『メーゼラス』の重要人物だと自覚して欲しいんですけど!?


「ふぅ……もう何を言っても聞きそうもないね。どうせダメだって言っても、ついてくる気でしょ!?」


「おう! よく分かってるじゃねーか!」


 ボクはため息を落とすと、炎の灯りでだいだい色に染まるマクシムのドヤ顔を、軽く見上げた。


「分かったよ。……その代わり無茶は絶対にしないこと。クラウスさんの言うことはちゃんと聞くこと。それから、自分の身は自分で守ってね」


「おう! 任せろ! ついでにカズキ! お前の身も俺が守る!」


 思わず赤くなる顔を伏せ、ボクはどうにか持ち堪えた。

 隣からのジェスターの視線が怖い。


 ……でもだって、仕方ないじゃないか。


 こんなにストレートに自分の気持ちを包み隠さず体当たりでぶつけてくる男の子なんて、ボクのまわりにはジェスターを除いて、一人もいなかったのだから。

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