第9話
二人で亮太郎の家へと戻ると、彼は「疲れたろ。少し横になるか?」と、私の身体を気遣ってくれた。こんなに私の身体のことだって思ってくれるのに、亮太郎は中絶しか考えていないんだ。
そう思うと、なんだか涙が出てきた。
「えっ。百合子、どうした?!」
何も言わず突然涙を流し始めた私を見て、亮太郎は慌てた。「身体がきついか?!」「気分悪いか?!」と、ソファーへと座った私の周りで右往左往している。
「……亮太郎は赤ちゃんいらないって思うの?」
濡れた瞳で彼を見つめると、亮太郎ははっとした表情を見せた。そして私の横へと座ると、優しく肩を抱いた。
「ごめん。俺の気持ち、ちゃんと伝えてなかったな。百合子との赤ちゃん、いらないわけじゃないよ。」
「じゃあ、どうして……。」
「百合子はまだ、高校生だろ。百合子、高校中退するって言いだすだろ。でも、それはダメだ。百合子の今後の人生を考えたときに、絶対にダメなんだよ。」
「それくらい。」
「それくらいなんかじゃないよ。中卒でも立派になっている人はいるけれど、やっぱりそれは一握りなんだ。今、百合子が高校を中退して俺と結婚したとして、最初は良いかもしれない。でも、もし俺が不慮の事故とかで早く死んだときはどうするんだ?百合子一人で子供のことを育てられる?」
「それは……。」
私は正直、そこまで考えていなかった。亮太郎と一緒ならなんだって乗り越えて行けると思って居たし、子供のことだってなんとかなるんじゃないかと思っていた。
「だから、百合子にはちゃんと高校を卒業してほしい。そうなると、やっぱり子供のことは諦めなきゃいけないと思う。でも、これは百合子一人だけの問題じゃなくて、俺にだって責任がある。この子の命を犠牲にしたことを、俺も一生背負っていく覚悟だよ。」
「亮太郎……。」
亮太郎がここまで私のことを考えてくれているなんて思わなかった。私はきっと、自分のことばかりだった。親から逃げたくて亮太郎に甘えていたし、この子のことだって亮太郎が居ればなんとかなるって甘えていた。
でも、そうじゃいけないんだ。
「ごめん。私、不安ばかりが先行して……。」
「そんなの当たり前だろ。百合子が不安にならないわけがない。それに、身体にだって負担があるし……。俺が悪いよ。百合子なら分かってくれると思って、ちゃんと話もせずに病院へと連れて行ったから。」
私は全力で首を横に振った。
「この子には申し訳ないけれど……。」
そう思えば思うほど、涙が出た。こんな私でごめんね。許されるなんて1ミリも思っていない。亮太郎が言うように、一生背負っていかなきゃいけない。私はこの子の命よりも、自分のわがままを選ぶのだ。
亮太郎を見上げると、彼も瞳を濡らしていた。こんなにも亮太郎の愛を感じるし、この子のことだって愛おしく感じるのに。自分の年齢が恨めしい。どうして私はまだ、高校生なんだろう。愛する人のことをこの手で守ることができないんだろう。
その日、私と亮太郎は声をあげて泣いた。
次の日も私は、学校を休んだ。泣き腫らした目のまま学校に行けるはずがない。亮太郎は午前中から仕事だったため、彼を見送ってから私はベッドに蹲っていた。こうしている時間は少し侘しい。
今日は家に帰ると亮太郎には言ってある。それにしても、母親にはなんて話そう。亮太郎のことを一度家に連れてきなさいって言っていたけど、堕胎することに決めたんだから、連れて行っても意味ないよね?
ベッドの中でうだうだ考えていると、闇に飲みこまれるような気がしてくる。ああ、もう。欝々しい。なんで私がこんなに考えなきゃいけないの。
そもそも、この子のことは、私と亮太郎の問題なんだから、親には関係ないよね?お金だって亮太郎が準備してくれるって言っていたし。とりあえず手術して、事後報告すれば良いよね?
「うー。」
布団の中で思いっきり唸って丸まった後、私は身体を起こした。お昼ご飯を食べてから、家に帰ろうと思っている。遮光カーテンが少しだけ開いていたせいか、眩しい一筋の光が部屋の中を照らす。
「今日も暑そうだな。」
9月も中旬になってきたとはいえ、まだまだ暑い。そろそろ体育祭だってある。スマホを確認すると、蓬からのメッセージが届いていた。「体調大丈夫?」と心配してくれている蓬に、思わず笑みがこぼれる。
そして、こんなに心配してくれている蓬を裏切っている気持ちになる。こんなこと、蓬に話せるわけがない。純粋な蓬に、こんなことを聞かせたくない。どうして私は彼女のように純粋で居られないんだろう。
そう思うと、また泣けてきた。ベッドの上に差す光の筋を見つめながら、しくしくと泣く。光に照らされた埃がきらきらと輝いており、それはまるで牢獄のようだった。
どれくらいそうしていたのか、お昼のチャイムが外から聞こえてきて、私はハッとした。ベッドサイドにあるティッシュで鼻をかみ、涙もちゃんと拭く。ずっと泣いてばかりいられないということは、ちゃんと分かっている。
ベッドから出て制服に着替えると、やかんに水を入れて火にかけた。それを沸騰するのを待つ間に、インスタントのコーンスープの粉をマグカップに入れる。今日のお昼ご飯は、亮太郎が作ってくれたサンドイッチが冷蔵庫に入っているのだ。
お湯が沸くとマグカップにそれを注ぎ入れる。コーンの甘い香りが湯気と一緒に立つ。これを嗅ぐ瞬間は、なんだかほっとする。
ダマができないようにスプーンでよくかき混ぜ、スプーンに少しだけ残った濃いコーンスープを舐めとる。うん。この一口が一番美味しい。冷蔵庫から玉子のサンドイッチを取り出し、「いただきます」と手を合わせてからそれを頬張る。
いつも思うけれど、亮太郎の料理は本当に美味しい。調理の専門学校に行っていたらしいから上手なのは当たり前かもしれないけれど、どうやったらこんなに美味しくできるのかとシンプルに感動する。
「ごちそうさまでした。」
あっという間に平らげると、お皿を片付けてから私は軽く身支度を整えた。そして、テーブルの上に亮太郎への手紙を置いた。
亮太郎へ
お仕事お疲れ様。
サンドイッチ美味しかったよ!ありがとう。
また連絡するね♪
大好き♡
百合子より
「よし。これで完璧。」
満足した私は、火の元の確認や戸締りをしてから、亮太郎の家を出た。
自宅に着いて玄関の扉を開けると、むわっと生暖かい空気を感じた。それだけで、家に誰も居ないことが分かる。母親も買い物か何かで出かけているのだろう。私は即座に、リビングのエアコンのスイッチを入れた。
すぐに冷たい空気が出始める。背中に張り付いたシャツに冷たい空気が通って気持ちいい。亮太郎の家から歩いて帰ってきたため、全身汗だくなのだ。少しだけ生き返ったから、今度は冷蔵庫を開けて冷たい飲み物はないか物色する。
ビンのお茶入れに入った麦茶がそこにあった。コップにそれを注いで口に流し込むと、冷たい麦茶が胃まで運ばれているのがよく分かる。たったそれだけで、汗がひいた。
リビングで少し涼んだ後、私はシャワーを浴びた。汗だくになった制服のシャツだって洗濯したかった。お風呂からあがってリビングへと行くと、母親が帰って来ていた。私の姿を見るなり、驚いたようなほっとしたようなそんな表情を見せた。
私が「おかえり」と声をかけると「ただいま」と返事をされた。私は徐に冷蔵庫へと向かい、冷凍室を開ける。さっき麦茶を飲んだときに冷凍室もチェックしており、アイスクリームがあるのも確認済みだ。
冷凍室にあったジャイアントコーンに手を伸ばし、外のパッケージを開けてかぶりつく。うん。上手い。シャワーで火照った身体に気持ちがいい。
「百合ちゃん。まったくダメってことはないけれど、冷たいものは食べすぎないようにね。あと、カフェインもダメだからね。」
私がリビングのソファーでアイスクリームへとかぶりつく様子を、目尻を下げながら見ていた母親が、そんなことを言った。
「へ?なんで?」
「なんでってあなた、お腹の子に悪いでしょ。身体も冷やし過ぎたら体調不良になるし、カフェインなんてお腹の子に良くないんだから。」
「私、産まないよ。」
今後いちいち注意されるのも面倒だと思い、このタイミングで言っておくことにした。
「え?」
聞こえなかったのか、母親が聞き返してくる。
「だーかーらー。私、赤ちゃん産まない。彼氏と話し合っておろすって決めたの。」
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