第7話
夏休みが終わると、体育祭に向けて色々な準備が始まった。1年の私たちは体育祭委員じゃない限り取り立てて何かに追われるということはないけれど、学校全体のボルテージが徐々に高まっているのを感じる。
学校が始まってからは、私は自分の家に帰るようになっていた。樹と顔を合わせる時間を確保しようと思うと、必然的にそうなったのだ。その代わり、父親とはまったく顔を合わせていない。
夏休みほどではないけれど、亮太郎の家に入り浸っているのも相変わらずだった。頻度はぐっと減ったけれど、基本的に週末は亮太郎の家で過ごしていた。
そんなある日、私は頭髪検査に引っかかって居残り反省文を書いていた。頭髪検査があることを忘れて、そのまま学校に来てしまっていたのだ。蓬はちゃっかりと黒染めしてきていたため、「なんで言ってくれなかったのよ~。」と言ったら、「メッセ送ったじゃん。」と言われた。
「も~面倒くさい~。」
「先生だって面倒だから早くちゃっちゃと書いてくれ~。」
反省文の担当は、西野っちだった。放課後の生徒指導室で、反省文を書くように指導されている。指導と言っても、西野っちは本当に面倒臭そうだ。
「なんで黒染めしてこなかったんだよ。珍しいな、穂高がそのまま来るなんて。」
「完全に忘れちゃってたの。てか昨日、彼氏の家だったからさ~。」
「お前、ちゃんと家に帰ってんのか?」
「帰ってるよ。週末くらいだもん、彼氏の家に行くの。いいでしょ別に。付き合ってんだからさ。」
西野っちは大きな溜め息をついた。そして、私が座って居る机の目の前に椅子を持ってきてどかっと座る。後頭部をがしがしと掻くと、もう一度大きな溜め息をついた。
「俺はお前の大事な生徒だから、大事なことを1つだけ言う。」
「なに?」
「ちゃんとお前のことを大事にしてくれる人と付き合え。」
「え……?」
急に西野っちが何を言い出したのか分からなかった。西野っちは若くて爽やかだから男子にも女子にも人気があるし、先生と生徒の間のような存在だ。だからみんな、親しみを込めて西野っちと呼んでいる。
「穂高の彼氏は何歳?」
「26だけど……。でも、年齢なんて関係ないでしょ?」
西野っちはまた、盛大な溜息を吐いた。
「年齢は関係あるよ。穂高はまだ、未成年だろ。」
「でも私だって、もう結婚できる年齢だよ。」
「穂高のことを本当に好きな人なら、年齢を気にするはずだ。」
「そんなことない。彼氏、大人だもん。めちゃくちゃ優しいし、私の気持ちに寄り添ってくれてる。」
「それは寄り添っているわけじゃない。穂高の気持ちを利用しているだけだ。それに、26の良い年した大人が、未成年に手を出すこと自体がありえない。」
「手を出すって……。そんなの、一般論でしょ?それともなに?西野っちは私の彼氏が羨ましいの?10代の若くて可愛い女の子と付き合えてることが羨ましいんでしょ?」
「……穂高。これは、お前のためを思って言っているんだ。取り返しのつかないことになりでもしたら……。」
「取り返しのつかないことってなに?子供ができたらどうすんのかってこと?そうなったら、結婚する覚悟くらいあるから大丈夫だし。」
「穂高、そういうことじゃなくてだな。」
「もういい!反省文書いたら帰っていいんでしょ?!」
私は西野っちに幻滅した。まさか、そこらへんの普通の大人と同じことを、西野っちの口から聞くと思わなかったからだ。
西野っちが心配しているのは、どうせ「子供ができたら」とかそういうことに決まっている。そんなの、亮太郎が社会人なんだから、結婚するに決まってるじゃない。亮太郎との子供が産めるんだったら、高校を中退したっていい。
そんな私の覚悟を、先生である西野っちには分からないんだと思うと、悲しくなった。西野っちも他の先生と同じ考えであることがよく分かったし、うちの父親と一緒だと感じた。どうせみんな、世間体だけなんだ。
反省文を書き終えると、私はそれを叩きつけるようにして机の上に置いた。そして、「さようなら!」と吐き捨てると、生徒指導室から飛び出した。
どうして私の周りの大人は、私の気持ちを分かろうとしてくれないんだろう。そう思うと、涙が溢れて止まらなかった。廊下を歩きながら、嗚咽が漏れる。私は泣きながら、バイト先へと電話をした。今、亮太郎は仕事中だから、携帯よりも店の方が良いだろう。
『はい!さんさん回転寿司です!』
「お疲れ様です。バイトの穂高です。店長に変わってもらえますか?」
『ああ、穂高さん。ちょっと待ってね。』
電話には事務の社員さんが出たため、亮太郎に変わってもらえるようにお願いをした。
『もしもし?』
「忙しいときにごめんなさい。」
『……泣いてるのか?』
亮太郎は、すぐに私の変化に気付いてくれる。
「ちょっと嫌なことあって……。今日、亮太郎の家に行っててもいい?」
今日は、私はバイト休みだけど、亮太郎は夜まで出勤の日だから、特に会う約束もしていなかった。でも、どうしても会いたくなった。
『あー……。ちょっと散らかってるけど、家に行ってて。』
「ありがとう。」
『それなら、夜ご飯は賄い持って帰るな。』
「分かった。ありがとう。」
優しい。こんなに優しい亮太郎のことを、何も知らない西野っちにけなされる覚えはない。
私は亮太郎との電話を終えた後、歩いて亮太郎の家へと向かった。亮太郎の家に着くと、私は合鍵でその扉を開ける。
「あれ。珍しい。」
亮太郎は綺麗好きで、いつも整理整頓されているけれど、今日は時間がなかったのか洗濯物や食べた後のお皿がそのままだった。でも亮太郎らしさが出ているなと思ったのが、部屋の香りだけはちゃんとしていることだ。
いつもと香りを変えたのか、今日は甘いような香ばしいような匂いが漂っている。フレグランスに気を遣っている彼のことだから、良い香りを見つけてきたのかもしれない。
「とりあえず、皿洗いと洗濯物はしておこう。」
亮太郎が気持ちよく家に帰ってこられるように、私は部屋の中を整えて亮太郎の帰りを待った。それから4時間後に亮太郎が帰ってきた。
「あ、部屋の片づけしてくれたの。」
「うん。ダメだった?」
「え、いや。ありがとう。」
喜んでくれる亮太郎に、私も笑顔を向ける。
「でも、百合子は俺の家政婦じゃないんだから、しなくてもいいからな。」
亮太郎はそう言って私の頭を撫でると、「まかない食べよう」とテーブルの上に持って帰ってきたまかないを広げてくれた。今日はカルパッチョと唐揚げ丼だ。
私たちは「美味しいね」と言いながら、そのまかないを食べた。亮太郎は何があったか聞かないでくれた。聞かずにただ優しく接してくれる亮太郎の態度に、私の心は救われた。
それから少し経ったある日、家のリビングで樹と一緒にテレビを見ていると、母親が深刻そうな顔をして「百合ちゃん、ちょっと。大事な話があるから和室に来てくれる?」と行った。
何の話だろうと思い、「後じゃだめなの?」と聞いたらあまりの剣幕だったため、樹に「大人しくテレビ見ててね。」と言って母親と二人で和室に入った。
お母さんの仏壇を背にして正座をする母親の正面に、私もなんとなく正座をする。小学生の頃は母親にこうして怒られたこともあるけれど、今は私の顔色を伺われるばかりで、こうして対峙したのはいつぶりだろうと思う。
「百合ちゃん。大事なことを聞くからちゃんと答えてね。最後に生理がきたのはいつ?」
「え……?」
思ってもみなかった質問に、私の口からは間の抜けた声が出た。生理って……。でも言われてみれば、いつだったかよく思い出せない。
「……。」
私が黙り込むと、母親はその小脇に置いていた袋から、小さめの箱を取り出して私に差し出した。畳の上に置かれているそれをよく見ると、“妊娠検査薬”と書かれている。
「本当は病院に行くのが一番だけど。まずは、これで検査しなさい。」
「今から?」
私の問いかけに母親が大きく頷いたため、私はそれを持って立ち上がりトイレへと向かう。使い方なんて知らなかったけれど、説明書を読んでみると思ったよりも簡単にできそうだった。
判定結果が出るのに少しだけ時間がかかるから、私はそれを持って和室へと戻った。一人で判定を見るのもなんだか怖い気がする。だから、せめて母親と一緒に見ようと思ったのだ。
検査を始めてから1分が経った。検査薬の判定を母親と一緒に覗き込む。そこには、「+」と表示されていた。
「え……?これってどっち……?」
私が困惑していると、母親は眉間に皺を寄せて言った。
「今度、相手の男性を連れていらっしゃい。」
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