1-7 悩みと怒り
「別にお行儀よく食べなくていいのよ、ミラちゃん。隣のおちょぼ口のお兄さんみたいに割らなくたって、そのままかぶりついていいんだからね?」
「はーい……ありがとうございます。」
ミラは苦笑いしつつも、桜の花柄の小さな平皿を持って、お茶と共に出された栗餡の最中の1つ目を、少しずつ食べていく。
全く、僕がおちょぼ口だなんて心外である。未だ眉間にしわが寄ったまま最後の一口を勢いよく放り込むと、目の前でそこそこ大きめの栗餡最中を、たった2口で消したゴメイザ夫人が「あら、できるじゃない。大きなお口!」などと僕を煽ってくる。
夫人への謝罪の品として持ってきた栗餡の最中は、僕ら2人が住んでいる町、リコリスにある栗菓子で人気の【
「そろそろご用件というのをお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「あー……えぇ、そうね。まあ、話さないと、よね?」
「あっ先に、僕を指名してくださった理由からでもいいですよ?」
やわらかい笑みをイメージして、夫人ににこりと微笑む。そんな僕を見て、そうね…と小さくではあるけれど、ため息をして頬に手を当て、考え込むゴメイザ夫人。そんな夫人を心配そうに見つめているミラは、たまに僕のほうも見つつ、悩んでいる夫人の力になれないか考えているようだった。しかし、先に口を開いたのは夫人のほうだった。
「解約……していいかしら。」
「解約ですか?」
「えぇ、そう、解約。今まで世話になったわね……」
解約の言葉の後から、ゴメイザ夫人は顔を背け、僕と全く目を合わせようとしない。むしろ避けようとしているように感じた。少しの沈黙の後、何かを言いたげにぼそぼそと独り言を言っているゴメイザ夫人に、僕はそれ相応の返答を、業務的に返す。
「長年、大変お世話になりました。それでは、ツバメ観光とケルスス植物園とのツアーによる利益方針と施設維持、保険なども含めた契約の解除の手続きを行います。解約に必要な書類を準備しますのでしばら」
「ちょっ…ちょっと待ちなさいよ!」
「はい?」
話しながらせかせかと解約手続き用の書類を出している中、ゴメイザ夫人はテーブルに勢いよく両手を叩きつけた。夫人の焦る行動がよくわからず、僕は手を止め困惑する。やっと栗餡最中を食べ終わり、最中を置いていた小皿を回収してもらっている真っ最中だったミラは体をビクッと飛び上がらせ、それを見て驚いたクサリさんは受け取った小皿を落としそうになり、滑り抜けそうになる小皿を掴むため両手をバタつかせ、落とさぬよう必死に小皿を守った。そんな女子2人のことはお構いなしで、またゴメイザ夫人は眉間にしわを寄せ、頬に手を当て、独り言をぶつぶつと言い始める。
「あ、貴方たちは止めたりしないわけ?他の会社は理由を教えてほしいってなかなか解約してくれなかったけど⁉」
「僕らツバメ観光は、お客様との関わりも大事にしていますが、契約者様とツバメ観光両方に、利益があることも大事にしています。ツバメ観光との契約が植物園にとって利益がないとなれば、解約を求められても当然の結果であると、こちらも受け止めますので。」
「いや、あの、フルグライト君?別に私はその、ツバメ観光さんに不満はないけどね、その……」
「解約で間違いないですよね?それでは、解約のための書類を」
「待って⁉悩んでんの‼な、悩んでんのよ……!」
大きなはぁーーという長いため息とともにゴメイザ夫人は立ち上がり、庭園の見える窓の前に向かい立ち尽くし、頭を抱え、心底暗い表情をしている。ゴメイザ夫人の態度を見たミラと使用人のクサリさんは呆然としている。はっきり言って、夫人が何をしたいのか、僕に何を求めているのかよくわからない。またもや面倒な空気が部屋を漂ってしまった。
「ははは、ゴメイザ夫人!もしかしてあれです〜?解約の件はちょっとしたジョークってことです?僕が緊張してると思って?気遣ってくださって、ありがとうございます!!」
「………」
自分の頭をぽんと軽く叩き、まいったなぁ!とにやけつつ、とりあえず明るく振る舞ってみたものの、夫人はくすりとも笑わずそっぽを向いたまま、その上、真横のミラとクサリさんはぽかんと口を開けて僕を見ている。解約の件は本気らしい。最高に気まずい。自分以外の人の時間が止まったかのように感じるほどの、風1つ吹かないこの空間で、僕ひとり深呼吸して会話を続ける。
「そりゃあ、たくさんお世話になっておりますので、会社の決まり事とはいえ、解約は悲しいです。当然、考え直してほしいとも思っております。」
「…………」
僕がこんなに真面目に話しているってのに、夫人は相変わらずそっぽを向いたまま無言を貫こうとする。ただそっぽを向いている夫人の眼差しは、今までの関わりの中で見たことないほどの悲しげな眼差しであることは理解できた。でもツバメ観光との契約を解約しようとする夫人を止めなかった事に対しての悲しみ、ということでは無さそうな気がしている。しかし、何について悲しいのかは、相変わらずよくわからない。
一応僕も解約は考え直してほしいと伝えたわけだし、最後に1つ、解約を考え直させる一言を言ってみようと思った。この変わらない状況を変えるには1番の発言が一つだけあるのだけれど、夫人はどんな反応をしてくるかわからない。逆効果の可能性だってある。一か八か賭けに出る僕は大きく深呼吸して、背筋を伸ばす。そっぽを向いたまま合わない夫人の目を見つめて真面目に、そしてはっきり、聞こえるように話す。
「しいて1つ、解約を考えさせるお声掛けを僕からするとすれば……」
部屋の窓から差し込んでいた、さんさんと照りつけていた日光がゆっくりと暗くなる。部屋に明かりをつけていないこともあり、この空間全体が薄暗くなっていく。行儀よく僕の膝に置いている手の平もじわっと手汗が滲むのを感じた。
「旦那様とのお約束、破られるのですね。」
「!!」
約束……夫人がこれまでケラスス植物園を続けてこれた核心。亡くなった今でも愛している旦那さんの、守り続けてきた植物園の継続。
発言を聞いて、夫人は勢いよく僕のほうを振り向いた。目を大きく開き、引きつる口、せっかくの美しい白髪も振り向いた勢いでぼさぼさな髪型へ。般若のような表情故に、今にも額から角が生えてきそうなほどである。そして重く強く感じる怒りの圧、さっきまでの美しいおばさまはどこへいってしまったのやら。表現するなら、まさに魔女。ゴメイザ夫人のその迫力にやられて、僕はつい、体を後ろに引いてしまった。でもここまでした以上、どうにも進まない話に一度区切りをつけたい。そして、この状態で横は見ることはできないけれど、僕のスーツをぎゅっと掴んで引っ張っている感覚がある。僕もミラも、もう限界。
「そんなつもりないわ………」
「そうだと思っております。ただ今日は、ここまでにさせていただいて、別の日に続きをしようと思います。5日後なんていかがでしょう?5日後にまたお伺いします。その後すぐに解約手続きに入りますので、よく考えておいてください。よろしくお願いいたします。」
夫人の怒りのマシンガントークを打たれぬよう、僕は早口でまくし立てる。一応最後まで聞いてくれた夫人はたった一言、明らか怒りを抑えつけながら、そうね……と呟く。夫人は勢いよくそのまま颯爽とドアまで歩き、応接室から出ていった。力任せに閉められるドアの大きな音に、ビビってしまい、今度は肩をすくめる。
だんだんと窓辺に光が差し込んでくる。再び明るく照らされた応接室には、僕と、隣で震えているミラと、口をぽっかりと開けて唖然としているクサリさんの3人だけになってしまった。僕と夫人の対話を眺め、ずっと唖然としていたクサリさんが急にハッと我に返ったかと思うと、テーブルに出していたティーカップから砂糖、ミルクその他もろもろを手際よく片付け始めた。回収した物たちを銀色のカートに積み込み、颯爽とドアの前へ行く。
「申し訳ありません!そろそろ夫人の次の予定が迫っておりますので、お帰りの際は……」
「あっいえ!僕らもすぐ帰りますので!」
「あとすみません!帰りの道は」
「覚えてます!来た道戻りますのでお気遣いなく‼」
大急ぎでテーブルに出していた書類たちを、革バックに強引に詰め込み、隣のミラの手をしっかりつかんで小走りで応接室から出る。クサリさんとのすれ違い様に大変お世話になりましたと一言添えて。
「先生あの……」
「ごめんちょっとだけ我慢してミラ!」
なんだか来た時よりも長く感じる藍色の廊下に、焦りを感じつつも、上ってきた階段を見つけて、2人早足で降りていく。とにかく今は、この屋敷から出よう。疲れ、気まずさ、申し訳なさ、その他たくさん思うことはある。けれど、なぜかわからないけれど自分の勘が、屋敷から出ろと、そう言っている。不安そうに見つめてくるミラの視線を感じつつもあっという間に階段を降りきる。最初に来た時よりほとんど人がいなくなっていたため、すれ違ってぶつかることを気にせずに、玄関から出ることができた。玄関を過ぎ、薔薇のアーチを何個も抜けて、早足のまま僕ら2人は植物園のお客様入口隣に併設されている温室内レストランで休憩を取ることにした。
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