第174話
ソフィアとローザが合流してから、数日。
その数日の間にソフィアやローザ、ギュンターといった面々の指示に従い、領土内に入り込んでいる兵士の多くを片付けることに成功した。
特に大きな問題はないままに。
……大きな問題がないということは、小さな問題ならあるということでもある。
その小さな問題が、案内人を雇っていた村の村人たちだ。
案内役の村人は、ずっと同じ者たちだけを雇うということになれば、当然ながら村から不満が出る。
一人、二人、三人といったくらい者たちだけが毎日金を稼ぎ続けているのだから。
そんな訳で、その日によって雇う者を変えたのだが……
「申し訳ありません!」
村長が深々と頭を下げる。
そんな村長から少し離れた場所には、殴られて顔を腫らした男の姿がある。
その男は、最初にソフィアたちがこの村に来たときに意味ありげな笑みを浮かべていた男だ。
今日はその男が雇われることになっていたのだが、男はローザに強引に言い寄った。
その結果が、今のこの状況となる。
男にしてみれば、相手は傭兵でも女だという根拠のない侮りがあったのだろう。
その上で、ローザの武器は弓……つまり近付かれれば何も出来ないと判断し、力でどうにか出来ると思ったのだろう。
だが、それは甘い。
弓を主に使っているのは間違いないが、だからといって近接戦闘が出来ない訳ではないのだ。
ランクA傭兵団に所属し、副団長的な立場にあるローザが、そんなに弱いはずがない。
結果として、強引に言い寄ろうとした男はローザに捕らえられ、それを知った黎明の覇者の傭兵たちによってボコボコにされた。
それでも手加減をする余裕はあったのか、男は打撲はあっても骨折といったような怪我はない。
もしこれで傭兵たちが苛立ちのままに手加減も何もなく攻撃していれば、間違いなく死んでいただろう。
そのようなことにならなかったという点では、村長にも感謝の気持ちがある。
だが……村長の正直な気持ちとしては、いっそ死んでいてくれた方が助かるというものだった。
自分が治める村の住人が犯した罪ではあるが、それを村全体に与えられるということになると、それは村にとって大きなダメージとなるのは間違いないのだから。
たとえ、案内役として村人を雇い、しっかりと報酬を支払ってくれるような相手であっても、今のこの状況で感謝をしろというのは難しかった。
「何とぞ、村にはお咎めがないように……この者を犯罪奴隷としても構いませんので」
「むぐぅっ!?」
村長の口から出た犯罪奴隷という言葉に、ローザを襲った男は抗議の声を上げる。
ただし、ボコボコにされた上で猿轡まで嵌められているので、いくら声を上げようとしてもそれは呻き声にしかならなかったが。
「黙れ。お前は自分が何をしたのか理解しているのか」
呻き声を上げる男に、村長は鋭い視線を向けてそう告げる。
村長にしてみれば、男は村に災いをもたらした厄介者でしかない。
もちろん、村長として村人の男に思うところがない訳でもない。
しかし、だからといって今の村の状況を思えば、到底庇えるような相手ではなかった。
「気にしなくてもいいわよ。別にこっちはそこまで怒ってる訳じゃないから」
だからこそ、村長はソフィアの口からそのような言葉が出たことに驚く。
自分の部下を襲った相手に対して、怒ってはいないと言ったのだから。
あるいは、これは何らかの前振りで、実は……と、このあと何らかの要求があるのではないかと村長は疑ってしまう。
そのようなことがあった場合、どうにかしてそれを乗り越える必要がある。
だが……それでも、今の村の状況を考えれば、相手の要求の全てに従う訳にもいかないのだ。
しかし、そんな村長の様子とは裏腹に、実際にソフィアはそこまで怒っていない。
部下にして親友のローザが男に襲われたことに思うところがない訳でもないが、自分やローザが美人と呼ばれるのに相応しい外見をしているというのは十分に理解している。
ましてや、結局ローザを襲った男は指一本触れることが出来なかったのだから。
そんな相手にも毎回厳しい態度を取っていれば、それは面倒なことが非常に多くなってしまう。
「ですが……」
ソフィアの様子を見て村長が出来れば何かを……といったように言うが、ソフィアは首を横に振るだけだ。
「私が言うのもなんだけど、ローザは美人でしょう?」
「そうですね」
色々と言葉に詰まることが多い村長だったが、ソフィアのその言葉を否定するつもりはない。
現在の自分の状況から考えてもその言葉を否定するような真似が出来るはずもなかったし、客観的な事実から考えても、ローザは美人としか形容出来ない外見だったのだから。
あるいはこれで、実はローザが美人とは呼べない外見なら村長も素直に頷くのは難しかったかもしれないが、ローザは間違いなく美人だ。
……もっとも、それを言うのなら現在村長の前に立つソフィアは、そんなローザよりも更に美人なのだが。
「そんなローザだけに、他人から欲望の目で見られることが多いのは事実なのよ。……実際、戦場の中ではローザや私を目当てに襲ってくる相手も多いし」
これは大袈裟でも何でもなく、純粋な事実だ。
戦場の中でソフィアやローザを見た者の中には、その美貌に目が眩んで自分のものにしたいと考え、襲ってくる者も多い。
もし戦場でソフィアやローザが倒すことが出来れば、これだけの美女たちを手に入れることが出来ると考え、相手との実力差も理解出来ず……あるいは理解した上で、ソフィアやローザたちを狙うのだ。
もちろん、ソフィアやローザも自分たちが負けるとどうなるかというのは分かっている。
だが……だからこそ、自分たちの美貌が戦場では敵を誘引するための大きな武器となることも理解していた。
もっとも、そのような暴走をするのは低ランク傭兵団が大半で、高ランク傭兵団ともなればさすがにそんな馬鹿な真似はしないが。
ともあれ、そういう戦い……あるいは一緒に戦場にいる仲間からも欲望の視線を向けられることが多いのは、ソフィアやローザも知っているし、慣れている。
今更村人の一人が自分たちにそういう思いを抱いており、実際に行動したところで、それは……言ってみれば蠅が近くを飛んでいるようなものだ。
実際の実力差を考えれば、蠅という表現でも過大かもしれない。
「だから、気にしなくてもいいわ」
「ありがとうございます。ですが、こちらとしてもそれは申し訳ありませんので、案内人の報酬を減らしても構いません」
「うーん……けど、もうそろそろ仕事が終わるのも事実なのよね」
村長の言葉に、ソフィアが少し困ったように言う。
実際、この近辺に侵入していた兵士たちを見つけて倒すという作業は、既に終わりに近い。
もちろん、侵入した全ての兵士を倒した……といったようなことはないだろう。
恐らく……いや、間違いなく、まだ少数ではあるが侵入した兵士たちがいると思われる。
だからといって、全ての兵士たちを完全に倒すといったような真似がこの状況で出来るかと言われれば……正直なところ、難しいだろう。
また、黎明の覇者に頼まれた仕事は侵入してきた兵士たちを倒すことだが、だからといってそれだけではない。
この仕事を受ける前に手に入れた情報や、兵士たちを見つけるために行動しているときに入手した情報から考えて、この場にはそろそろダーロットの軍が姿を現してもおかしくはない。
実際にはダーロットが率いるのではなく、部下に率いらせているのかもしれないが。
率いているのが誰であろうとも、とにかく軍隊がやって来たらそちらと合流する必要がある。
もし合流に遅れれば、最悪の場合は敵前逃亡したといった扱いを受けてもおかしくはない。
普通に考えて、最初に命じられた行動をしていたのに敵前逃亡扱いになるのか? といって疑問もあるが、傭兵の扱いが悪いということは珍しくない。
……もっとも、ダーロットはソフィアとローザの美貌に惚れ込んでいる。
きちんとした理由があるのならともかく、何の理由もなくそのような真似をした場合、軍を率いている者が厳罰に処されるだろう。
これでダーロットがもっと子悪党であれば、意図的に敵前逃亡をしたといった扱いにし、それ公表したりギルドに報告されたくなければ……といったような真似をしてもおかしくはないのだが、ダーロットは女好きではあっても領主として有能だ。
そうである以上、ここで妙な真似をしたりといったような真似をすれば、それが最終的には自分にとって不利益になるというのを理解しているだろう。
もしそのような真似をして、最悪この戦争で敵に回るといったことになったら、それこそ洒落にならないのだから。
「とにかく、もう案内の仕事は終わりよ。今回の一件がなければ、もう数日くらいは仕事を頼んだかもしれないけど……これも、いい機会と言えばいい機会でしょうから」
「……分かりました。そこまで仰られるのなら、こちらからは何も言いません。うちの村の者が申し訳ありませんでした」
ソフィアの様子から、報復の意図がないと知った村長は、内心で安堵しながらそう言いつつ頭を下げる。
案内役の仕事がなくなったのは非常に残念だ。
だが、それでも今回の一件で村に対して特に報復らしい報復をされないというのは、村長としてこれ以上ないほどに助かることだった。
だからこそ、これ以上の何かを求めるといったような真似をせず村長は素直に引き下がったのだろう。
そんな村長の頭の中では、今回の一件をしでかした男の処分をどうするかと、早速考えられていた。
ソフィアからは特に何もする必要はないと言われたので、ソフィアたちに何らかの賠償金の類を支払ったりといった真似はする必要がない。
しかし、だからといって村での出来事と考えれば、このままにする訳にいかないのは間違いのない事実なのだ。
割のいい仕事だった案内役の仕事がなくなってしまったことに対する不満を向ける先として、罪人として男に何らかの処罰は絶対に必要だった。
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