第164話
勘の鋭い盗賊の男の勘に従って、盗賊たちはすぐに洞窟の前から逃げ出す。
中にはまだ完全に男の勘が信じられない者もいたり、あるいは勘を信じた上でソフィアのような絶世の美女を見逃すのは惜しいと思った者もいた。
しかし、男の勘を信じる者の方が数は多く、ほとんどの者が洞窟の前から逃げるといった選択をしていた以上、自分たちだけがここに残る訳にはいかない。
もしここで不満を口にして残ろうとしても、実際に残るのは少数だ。
人数が多ければ、敵と戦っても対処は出来るかもしれない。
しかし多くの者がいなくなる以上、ここの残るといった盗賊たちも大人しく退くことしか出来ない。
……ここで無理に残っても、自分たちが勝てる未来が見えなかったのだろう。
その判断は決して間違ってはいない。
実際に、もし盗賊全員がここに残っていたとしても、イオやレックスはともかく、他の者たちにしてみれば全力を出さずとも勝利出来る相手だったのだから。
もっとも、イオもまた流星魔法を使えば盗賊たちを倒すことは容易に出来るし、魔剣の類もある。
それでも洞窟の中にいる兵士たちに自分たちの存在を把握されなかったというのは、イオたちにとって悪い話ではない。
「あら、てっきり誰かは意地でも残ると思ってたのだけれど」
「団長を見ても意地を張らずに逃げ出せるってのは、ある意味で凄い才能ですね」
傭兵の一人がそう言う。
その男の言葉には多少ではあるが驚きの色があった。
男にしてみれば、自分たちの団長の美貌に目が眩んだ者が大人しく撤退するというのは信じられなかった。
今までに何度も同じような光景を目にしているので、盗賊たちにそのような冷静な判断が出来るとは……と、そう思ったのだろう。
「そうね。ただ、向こうがこうして逃げてくれたのだから、さっきも言ったようにわざわざ追う必要はないわ。今の状況で私たちがやるのは、洞窟の中にいる敵を倒すことよ。……イオ、レックス、どう戦うの?」
「出来れば洞窟の中にいる兵士たちを外に出したいですね。そうすれば流星魔法を使えますし」
天から隕石が降ってくる関係上、洞窟の中にいる相手に流星魔法は使えない。
もし使えば、洞窟が破壊されてしまうだろう。
この洞窟は案内人の男の話だと、村の方でも色々と使うことがあると聞く。
そうである以上、出来ればこの洞窟を破壊しないようにした方がいいだろうというのがイオの考えだった。
もちろん、それはあくまでも出来ればの話だ。
本当にどうしようもない場合は、イオも諦めて洞窟を破壊するだろう。
しかし、今はそこまでする必要はない。
大人しく洞窟の中から兵士が出て来てくれれば、流星魔法である程度は倒せるのだ。
「洞窟から出て来るかどうか、その辺がまだ分からないわね。どうするの?」
「見張りをしていた盗賊たちが逃げ出したと知れば、恐らく出てくるんじゃないかとは思ってますけど」
「なら、試してみなさい」
今回の一件は、あくまでもイオやレックスに実戦経験を積ませるためのものだ。
そうである以上、基本的にソフィアがああしろ、こうしろといったような命令を出したりはしない。
もっとも、ソフィアの勘が自分がここに残った方がいいとあったので、それを思えば何かがある可能性は否定出来ない。
そして何かがあった場合は、イオやレックスを守るために自分が前に出ることを躊躇するつもりはなかったが。
「分かりました。……レックス、洞窟に向かって盗賊がいなくなったとか、挑発するように叫んでみるのとか、どう思う?」
前半をソフィアに、後半をレックスに尋ねるイオ。
その提案に、レックスは少し考え……そして口を開く。
「そうですね。やってみてもいいと思います。この洞窟は結局のところ出入り口はここしかありません。だとすれば、向こうも逃げ場はない訳ですし」
この洞窟についての情報を聞いたとき、当然だが案内役の男にはこの出入り口以外には外に繋がっている場所はないと話で聞いてくる。
もっとも、洞窟の壁を壊したり穴を掘ったりして外に続く道を作っている可能性も否定は出来ないのだが……イオはそれを恐らくはないだろうと考えている。
この洞窟を本格的な拠点として長い間使おうと思うのなら、そのような真似をする可能性もあるだろう。
しかし、今回は違う。
兵士たちにとって、この洞窟はあくまでも一時的に使う場所でしかないのだ。
そうである以上、この洞窟にそこまで手をかけるかと言われれば、イオは否と答える。
もちろん、中には臨時で使うような拠点であっても、何かあったときのためにしっかりと準備をするような者もいる。
しかし、ただの兵士がそのような真似をするとは到底思えなかった。
「じゃあ、取りあえず試してみるか」
レックスにも異論がないと判断したイオは、長剣の魔剣を手にして洞窟に向かう。
雷を放つ魔剣と風の刃を放つ魔剣。
そのどちらを使うべきかはイオもちょっと迷ったのだが、もし洞窟の中に入った倍は長剣よりも短剣の方が取り回しやすい。
そして魔剣には回数制限がある以上、ここは洞窟の中では使う機会が少ない長剣の魔剣を使った方がいいという判断からだ。
(それに、魔剣として使える回数は、長剣の魔剣の方が多いし)
刀身の長さが影響してるのか、それとも別の何かが関係してるのか。
その辺はイオにも分からない。
分かるのは、この長剣の魔剣の方が使える回数が多いというだけだった。
「あ、ちょっと待って下さいイオさん。僕が前に出ますから」
兵士たちが機先を制するために先制攻撃をしてこないとも限らない。
その場合は、当然ながらイオを守るのは護衛役の自分であると考えるレックスは、イオの前に出る。
イオもレックスが守ってくれるのなら安心出来るので、そんなレックスの態度に不満はない。
「分かった、頼む」
素直にレックスに頼み、二人は洞窟に近付いていく。
今回の件がイオやレックスに経験を積ませるための行動である以上、ソフィアたちはそんな二人と一緒に行動はせず、離れた場所で見ている。
イオとレックスもそれを理解しているからこそ、慎重に行動しているのだろう。
実際には、もしイオとレックスに何かあったら即座に駆けつけられるようにしているのだが。
離れた場所にいるのは間違いないが、それはあくまでもイオやレックスから見てのことだ。
ソフィアはもちろん、イオやレックスに罠について教えた女も、万が一のために一緒に来た他の傭兵も、この程度の距離なら一瞬で縮めることが出来るだけの力を持っていた。
しかし、ソフィアたちがそれについて言うようなことはない。
もし言った場合、イオやレックスたちが油断したり気が緩むと思っているためだ。
(聞いた話では、以前の盗賊の討伐は出来なかったはず。もっとも、対人戦という意味ならベヒモスの素材や流星魔法を使うイオを奪いにきた面々との一件があったけど)
しかし、そのときは結局黎明の覇者が一緒に戦っていた。
……もっとも、今回こうして戦うのも一応側にソフィアたちがいるのだが。
それでも離れた場所にいるので、実質的に二人だけで戦うということになるのは間違いなかった。
「よし、いいか? 声をかけるけど」
「はい、お願いします。こっちの方は問題ありません」
イオの言葉にレックスがそう言い、いつ敵が洞窟から出て来てもいいように準備をする。
そんなレックスの様子に頷くと、イオは魔剣を手にしたまま口を開く。
「洞窟の中にいる兵士たち、出て来い! お前たちがグルタス伯爵領の兵士だというのは、すでに分かっている! 大人しく降伏するのならよし。降伏しないならお前たちが盗賊たちにしていたように、力で従えることになるぞ!」
最初どんな風に声をかければいいのか迷ったイオだったが、最終的には今のような降伏勧告の形となる。
もちろん、その言葉を口にしたイオも、これで相手が大人しく降伏するとは思っていない。
しかし、何事にもこのような手順は必要となるのだ。
(結局のところ、こういう形で降伏されると困るのは俺だったりするんだけどな)
洞窟から誰かが出て来ないかを警戒しながら、イオは考え……
洞窟の中から複数の足音が聞こえてくると、いつ何があってもいように準備をする。
「んだぁ? 降伏とか何とか言ってたけど、二人だけかよ?」
やがて洞窟の中から姿が見えた一人が、イオとレックスを見て馬鹿にしたように言う。
自分たちをこんな二人でどうにか出来るのか、と。
離れた場所にいるソフィアたちの姿は、まだ見えていないらしい。
そのことに内心で身をうかべつつ、イオは口を開く。
「降伏しろ。そうすれば命の保証はしてやる」
「ああ? てめえ、自分の立場が分かって言ってるのか? この場合、降伏するのだとすればお前の方だろうが」
自分が侮られたと感じたのか、男の声にあるのは強い苛立ちだ。
逃げ出したと盗賊たちを力で従えたという実績があるだけに自分の力にはそれだけの自信があるのだろう。
そんな自信があるとこに、イオやレックスのような相手から降伏しろと言われて我慢出来るはずもない。
「おい、この二人は殺してもいいよな?」
「待てって。この二人がここにいるってことは、雑用の盗賊たちは逃げ出したんだろ? なら、ここでこの連中を殺してしまったら、誰が雑用をするんだよ」
「そうそう、この連中に苛立つのは分かるけど、どうせならひと思いに殺すなんて真似をしないで、雑用としてこき使ってやったらいいだろ」
イオとレックスに苛立つ男を、別の男たちが落ち着かせるように言う。
この男たちにしてみれば、ここでイオたちを殺してしまえば自分たちで雑用をやらなければならないと、そう理解しているのだろう。
だからこそ、イオとレックスは可能なら生け捕りにしたかった。
……もちろん、実際に生け捕りに出来ないような強さを持っているのであれば、素直に殺すことにしただろう。
しかし、今の状況を思えば目の前にいるイオとレックスがそこまで強いは思わず……
「うん?」
兵士の一人が、イオが長剣を振りかぶっているのに気が付く。
あれだけ離れた場所で長剣を振りかぶってどうするのか。
イオを馬鹿にするような視線を向け……次の瞬間、長剣が……雷を放つ魔剣が振るわれるのだった。
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