第153話
「見えてきましたよ、イオさん」
馬車の中で他の傭兵と話していたイオは、レックスのそんな声に視線を向ける。
声を発したのは、レックス。
そんなレックスが見ているのは、遠くに存在するドレミナだった。
「お、ようやくドレミナか。この先のことを考えると、ドレミナで少しゆっくりしたいんだけどな」
イオと話していた傭兵が遠くに見えたドレミナを眺めつつ、そう呟く。
ドレミナに向かうときはソフィアと一緒に馬車に乗っていたイオだったが、当然ながらそれは特別だ。
黎明の覇者として行動するとなれば、イオやレックスがソフィアと一緒に馬車に乗るといったことはまずない。
……それが客人という扱いのイオであっても、ソフィアと一緒の馬車に乗れないというのは変わらなかった。
イオにしてみれば、正直なところ……心からの本音を口にすれば、残念ではある。
残念ではあるのだが、それでも黎明の覇者という傭兵団の状況を思えば納得が出来ることではあった。
「あれ? でも……向こうではもう戦力を出してませんか?」
イオと話していたのとは別の傭兵が、そう呟く。
え? と疑問を思い、改めてドレミナに視線を向けるが……まだかなり遠くにその姿が見えるだけで、イオにはそこまで細かく判別することは出来なかった。
ただ、イオと話していた傭兵はそんな言葉に頷く。
「お前がそう言うのなら、多分間違いないだろ。けど……戦力をもう出してるってことは、もうグルタス伯爵だったかが、侵攻を開始したのか?」
「うげ、そうなるとドレミナで休んだりは出来ないってことじゃないか? 出来れば少しゆっくりしたかったんだけどな。酒場のセシリーちゃんに会いたかったし」
「おいおい、セシリーちゃんは俺が狙ってるんだぜ? 妙なちょっかいはかけないで欲しいな」
イオと一緒の馬車に乗っていた傭兵たちが言い争うのを眺める。
黎明の覇者の傭兵たちと一緒に行動していなかったので、イオはそのセシリーちゃんというのがどういう相手なのかまでは分からない。
ただ、傭兵たちからこれだけ人気があるのなら、恐らく相応に魅力的な女なのだろうとは予想出来る。
(とはいえ、黎明の覇者の人たちって女を見る目はかなり厳しそうなんだけどな)
何しろ、黎明の覇者を率いているソフィアは絶世のという表現が相応しい美女だ。
また、ローザもソフィアには負けるものの、十分に美人と呼ぶに相応しい。
それ以外に黎明の覇者に所属している女の傭兵も、間違いなく平均以上の顔立ちが多い。
そのような者たちを見慣れている黎明の覇者の男たちにとって、ちょっと美人、ちょっと可愛いといった程度の相手では美人でも可愛くもない、平均的な顔立ちといったように思えてもおかしくはない。
そういう意味では、黎明の覇者に所属している者たちは決して幸運というだけではないのだろう。
もっとも、そういう意味では黎明の覇者に所属している者同士で恋人同士になるといった者もそれなりにいるのだが。
中には黎明の覇者に所属する傭兵同士でくっついて子供が生まれ、その子供を黎明の覇者で育てるといったこともしている者がいる。
アットホームな傭兵団と評しても、それは間違いではないのだろう。
「えっと、じゃあこのままドレミナに到着したら、すぐに出発するんですか? 物資の補給とかはどうするんです?」
セシリーという人物の奪い合いをしている……実際にはじゃれているという表現の方がいいのだろうが、そんなやり取りをしている二人にイオが尋ねる。
「ん? ああ、そうだな。こういうときは補給物資とかは向こうで用意してくれたりするんだけどな。今回の場合は……ローザの姐御がドレミナを脱出するとき、結構補給物資とかを集めていたし。そう考えると、正直なところ具体的にどうなるのかは分からないな」
ローザは元々ソフィアが隕石を見てドレミナを飛び出してた一件から、何があってもいいように補給物資の類を確保しておいた。
それが今ここで役に立っている。
イオもそれは分かったが、だからといってドレミナから本来貰える補給物資を貰わなくてもいいのか? と思ってしまう。
しかし他の傭兵たちはそんな様子について全く気にしていなかったので、今はそれを気にせずにおく。
もしイオがそれについて聞いても、傭兵たちは貰えるなら貰いたいが、そこまでして欲しいものではないと言うだろう。
傭兵たちの今までのけいけんじょう、こういうときに渡される補給物資……特に食料の類は、決して美味くはない。
それこそ場合によっては腐っている食べ物が平気で混ざっていたりするのだ。
もちろん、全てがそのような食料を渡す訳ではなく、普通に店で売られている食料を渡すような相手もいるが。
ただ、割合としてはそこまで多くない。
「食事が美味ければ、その軍の士気も上がると思うんですけど」
「へぇ、よく分かってるな」
傭兵の一人が感心したように言うが、イオは反応に困る。
これもまた、漫画からの知識なのだから。
あるいは歴史の授業の教師が余談として言っていた内容か。
そうである以上、その知識を褒められてもイオとしては素直に喜べない。
あくまでもこれは知識として知ってるだけで、言ってみれば実感のこもっていない、薄っぺらい知識なのだから。
ただ、そのような薄っぺらい知識でも知ってるか知らないかでは大きな違いとなる。
今回のように傭兵たちがイオの知識に多少なりとも関心したように。
「あ、ドレミナから騎兵が来ましたよ。多分伝令でしょうね」
レックス言う通り、ドレミナから騎兵が黎明の覇者の馬車の群れに向かってやって来るのが見えた。
これが敵地なら、騎兵が敵であるという可能性もあるだろう。
もちろん、その場合は黎明の覇者を相手に一人でやって来るのだから、向こうはそれだけ自分の技量に自信を持っているのだろうが。
それでも黎明の覇者を相手に一人で攻撃してくるというのは、自殺行為でしかないとイオには思えるのだが。
今はそんなことは心配しなくてもいい。
この場合、問題なのはあの騎兵が一体どのよな目的で黎明の覇者に接触してきたのかということだろう。
「一体何のために来たんでしょうね? やっぱりドレミナに入らないで、そのまま出発するようにとか、そういうことを言いに来たとかですか?」
「ドレミナの前に騎士や兵士たちが待機しているんだから、そういう可能性は十分にあるだろうな。馬車を譲ったんだから、そのくらいはどうにかしろとか、そんな風に言いそうな気がする」
傭兵の一人が口にしたように、黎明の覇者はドレミナからベヒモスの護衛にやってきた兵士たちが乗ってきた馬車は、すでに黎明の覇者に組み込まれている。
そのおかげで、馬車に乗っている傭兵たちは空間的な余裕があり、多少はゆったりと出来ていた。
もっとも、新たに加わった馬車の多くには他の馬車から荷物を運び入れるといったような真似をしている。
マジックバッグをある程度持っているとはいえ、それでも黎明の覇者が所持する荷物の数は結構な量となってしまうのだ。
「馬車は高価ですしね。馬も……俺はあまり判断出来ないんですが、いい馬なんですよね?」
イオは馬を見ても、それがいい馬かどうかというのはあまり判断出来ない。
堂々としていたり、他の馬よりも大きかったりといったくらいのことで判断するしかない。
しかし、傭兵たちにしてみれば馬によって生死にかかわってくることも珍しくはない。
もし馬車で移動しているとき、盗賊や黎明の覇者に恨みを持っている傭兵の襲撃を受けたとき、馬が怖がって動けなくなったらどうなるか。
逃げることも出来ず、その場で馬を守りながら戦うしかない。
そうなれば、相手によっては苦戦するし、場合によっては殺されてもおかしくはないだろう。
だからこそ、馬の見分けというのは傭兵にとって必須……とまではいかずとも、欲しい技能だった。
「ああ。新しい馬車の馬は最高級ってほどじゃないが、それでも相応の価値がある。売れば結構な財産になるぞ」
馬というのは種類にもよるが、相応の値段がする。
黎明の覇者で使っているような馬ともなれば、それこそ一頭で一財産くらいではあった。
ましてや、黎明の覇者の幹部が乗る馬ともなれば……一財産といった程度ではすまないだけの高額となる。
「俺たち傭兵が戦っている中で、敵の馬を奪うことがある。もし無傷で馬を奪うことが出来れば、その馬を売った値段でかなりの収入になるんだ」
「あ、馬にはそういうのも……」
傭兵の一人の言葉に、イオは納得の表情を浮かべる。
一頭の馬が高額なら、当然ながらその馬を奪うことが出来て売れば、一財産といった額になってもおかしくはないのだ。
もちろん、そうなると自分たちの馬が敵対している相手に奪われないようにする必要があるということでもあるのだが。
「そうなると、中には戦場で戦わないで相手の馬だけを狙うとかいう人もいるかもしれませんね」
「っ!?」
何気なく呟かれたイオの言葉に、何故かレックスが鋭く反応する。
一体何故レックスが? と疑問に思ったイオだったが、すぐに思い直す。
レックスが黎明の覇者に所属する前に入っていた黒き蛇という傭兵団は、色々と後ろ暗いところのある者たちだったと。
それこそ傭兵として戦争に参加しているのに、実は敵と戦わないで敵の馬を奪って少しでも楽に稼ごうといった風に考えてもおかしくはないだろうと。
(けど、馬は基本的に馬車や騎兵として使われている訳で……そういう馬を、一体どうやって奪うんだろうな?)
普通に考えれば、それこそ馬に乗っている兵士や騎士を倒してだったり、馬車と繋がっている部分を破壊するなり、御者を殺すなり御者台から叩き落とすなりしてだろう。
しかし、そのような真似をすれば馬にも被害が及ぶ可能性が高い。
そうならないようにするには、それこそ非常に高い技術が必要となるだろう。
「とにかく、ドレミナ側としては俺たちには相応の厚遇をした。そうである以上、相応の仕事はして欲しいといったところなんだろうな」
傭兵に言葉に、イオは納得して頷くのだった。
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