第142話

 イオたちが野営地に戻ってきた日の夜、黎明の覇者に所属する傭兵たちは話があるということで集められた。

 イオは黎明の覇者の客人であっても所属している傭兵ではない。

 本来ならそんなイオはその集まりに呼ばれるようなこともなかったのだが、今回に限っては特別だということでイオもまたその場に呼ばれていた。

 ……最悪の場合はイオが流星魔法を使う必要があるという、ソフィアの判断からの言葉だ。

 イオもまた、ドレミナでグルタス伯爵との戦いに参加するという話を聞いたときには自分が戦いに参加する可能性もあると考えていたので、この状況で自分が呼ばれるのに特に不満はなかった。

 そしてイオがここにいるということは、当然だイオの護衛としてレックスもここにいる。

 黎明の覇者に所属する百人以上の傭兵がその場には集まっていた。

 この場にいる傭兵の大半が、一流と呼ぶに相応しい実力を持っている。

 客人のイオ、その護衛のレックス、あるいはそれ以外にも新人組と呼ばれる者たちの中には素質を見込まれてはいるものの、今はまだその素質が開花していない者もいるが。

 それでも、ここにいる傭兵たちの戦力を考えると、かなり大きな街であっても陥落させることが出来るだけの戦力が揃っていた。


「イオさん、これって……やっぱりあの件ですよね?」


 イオの隣にいるレックスが、周囲に聞こえないように小声で尋ねる。

 とはいえ、傭兵たちの中には五感が鋭い者も多い。

 レックスの口から出た言葉は、周囲にいる者たちの耳には聞こえていただろう。

 あるいはレックスの言葉が聞こえなくても、情報収集が得意な者にしてみれば事情を予想出来ていたかもしれないが。


「だろうな。どういう風になるのか、俺には分からないけど……っと、来たみたいだな」


 イオがレックスと会話を交わしていると、やがてソフィアとローザ、ギュンターが姿を現す。

 瞬間、イオを含めて今まで話をしていた者たちが黙り込む。

 この辺りのカリスマ性は、ソフィアならではだろう。

 もしソフィアが来たのに話し続けている者がいれば、間違いなく周囲から冷たい視線を向けられるだろう。

 あるいは空気を読めと言われるか。


(もしソフィアさんを前にしても喋り続けていられるとなると、それはそれで度胸があるのかもしれないけど)


 そう想いうイオだったが、だからといって自分がそのような真似をしたいとは想わない。

 もしそのような真似をした場合、ただでさえイオは微妙な立場なのに、その評価はさらに下がるだろう。

 ……とはいえ、すでにイオが流星魔法を使うというのは黎明の覇者に所属する者なら全員知っているので、妙に絡まれることは……


(いや、あったか)


 何故か自分を睨んでいるドラインを見て、うんざりとした気分を味わう。

 最初からイオの存在を面白く思っていなかったドラインは、イオが流星魔法を使うというのを知っても、その態度を改めることはなかった。

 当初は隕石の落下はマジックアイテムを使って行ったと説明されており、それ理由でイオに敵意を向けていたのだが……一度敵だと認識すればそれを考え直すことが出来ないらしいと、イオはうんざりとする。


「もう知ってる人もいると思うけど、ドレミナの領主ダーロットからの依頼を受けたわ。戦う相手は、グルタス伯爵」


 イオがドラインについて面倒に思っていると、ソフィアが話し始めた。

 ざわり、と。

 話を聞いていた者たちがざわめく。

 それでいながら、何人かは不満そうな様子を見せる。

 当然だろう。ダーロットは……正確にはドレミナの騎士団は、黎明の覇者に対して明確に攻撃をしてきたのだ。

 和平交渉が無事に纏まったのは、既に多くの者が知っている。

 しかし、和平交渉が纏まったからといってダーロットに雇われるかというのは話が別だった。

 それこそ、場合によっては後ろから攻撃されるのではないかと思う者も多い。


「大丈夫なんですか? もしかしたら、こっちを嵌める罠なんじゃ……」


 ダーロットを信じることは出来ないと思っている中で、一人がそう尋ねる。

 その人物が尋ねなくても、恐らく他の者も尋ねていたのは間違いないだろう。

 それはその場にいる全員が感じていることなのは間違いなかった。

 ソフィアたちも、当然だがそのような声が出ることは理解していたのだろう。

 特に不愉快そうな様子も見せず、口を開く。


「これまでの経緯からすれば、そういう心配をするのも無理はないわ。実際、私もその可能性は完全に否定出来ないもの。ただ……私が見たところでは、ダーロットに私たちを攻撃する意思がなかったのは間違いないわ」

「今回の発端となった、グルタス伯爵と繋がっていた男の件を考えると、恐らく……いえ、ほぼ間違いなくソフィアの言葉は正しいわ」


 ソフィアに続き、ローザがそう告げる。

 そしてギュンターもまた、特に言葉に出す様子はなかったものの、無言で頷いていた。

 それはソフィアの言葉が正しいと、そう態度で示しているのは間違いない。

 そんな三人の様子に、話を聞いていた者たちの緊張も次第に解けていく。

 普通ならそう簡単に敵対した相手が自分達を裏切らない……などといったことは、そう簡単に信じることは出来ない。

 しかしそれを信じさせることが出来るのが、ソフィアのカリスマ性だった。

 ソフィアの言うことであれば、間違いなく信じることが出来る。

 そのように思わせるだけの何かがソフィアにはあった。


「あの、そうなるとベヒモスの骨のはどうするんですか? 今は降伏してきた面々に任せていますけど、私たち全員がいなくなったらベヒモスの骨を奪ってしまえと思う者は出て来ると思いますけど。それ以外にも、商人や研究者、傭兵……山を越えてきた人たちのことを思うと……」


 とてもではないがベヒモスの骨を放っておくことは出来ない。

 そう告げる女の傭兵の言葉は、他の物たちにとっても同様だった。

 正式にローザと交渉を終えた商人がベヒモスの骨を持っていくのはいい。

 しかし、交渉も何もしていない者が自分の利益のためにそのような真似をするのは許容出来ない。

 そう女の傭兵が言ったのは、女の傭兵が新人組として実際にベヒモスと戦ったからだろう。

 本来なら黎明の覇者に所属する傭兵であっても、ベヒモスのような高ランクモンスターと戦うのは命懸けだ。

 事実、新人組も本来であれば死んだ……あるいは瀕死の重傷を負う者が少なくなかったはずなのだから。

 しかし、イオの存在がそれを覆した。

 そうして苦労して倒したベヒモスだけに、他人に奪われるというのは許容出来ない。

 それはソフィアに尋ねた女だけが思っていることではなく、ベヒモスとの戦いに参加した多くが思っていることだ。

 それこそイオを憎んでいるドラインですら、その言葉には頷いている。

 そのような者たちを見ながら、ベヒモスとの戦いに参加していなかった……つまり黎明の覇者の中では新人ではなくきちんとした戦力であると認められている傭兵たちは様々な表情を浮かべていた。

 中にはそんなことに拘るとはと呆れている者もいたが、それ以外にも微笑ましいものや、自分たちも以前はああだったと懐かしむ者といった風に、様々だ。

 新人組の何人かはそのような視線を向けられているのに微妙な表情を浮かべていたものの……そのような者たちが何か口を開くよりも前に、ソフィアが口を開く。


「ベヒモスの骨の護衛については心配しなくてもいいわ。ドレミナから護衛用の兵士たちがやってくるから」

「それって……グルタス伯爵とやらの戦いには参加させないでベヒモスの骨の護衛をして、俺たちにはグルタス伯爵と戦えってことですか?」

「そうね。見方を変えればそうなると思うわ。けど、それは問題ではないでしょう? 私たちは元々傭兵。戦場で生きる者なのだから」


 その言葉は紛れもない真実。

 ここにいる者たちは黎明の覇者という傭兵団に所属する傭兵たちなのだから。

 ……イオ以外は、だが。

 話を聞いていた者たちが納得した様子を見せたところで、ソフィアはさらに言葉を続ける。


「グルタス伯爵との戦いだけど、決して気を抜かないように」

「ソフィア様、俺たちが戦いで気を抜くような真似をすると思いますか?」


 ソフィアの言葉にそう返す男がいたが、それは口にした男だけではなく、他の者たちにとっても同様に思っていた言葉だろう。

 黎明の覇者に所属する自分たちが、戦いで気を抜くはずがないだろうと。

 そう言ってきた相手に対し、ソフィアは頷く。


「貴方たちの気持ちは分かってるわ。けど、それでもより一層注意をして欲しいの。でないと……死ぬでしょうし。未確認情報だけど、鋼の刃がグルタス伯爵に雇われているらしいから」


 ざわり、と。

 鋼の刃と聞いた傭兵たちがざわめく。

 自分たちと同じ、ランクA傭兵団の鋼の刃。

 当然だがランクA傭兵団ともなれば、その辺の有象無象の傭兵団とは全く違う存在だ。

 その辺の傭兵団……それこそベヒモスの素材やイオを狙って襲ってきた者たちと戦ったときに比べ、圧倒的に厳しい戦いになるのは間違いない。


「ソフィア様、それって本当なんですか?」


 団員の一人がソフィアに尋ねる。

 とはいえ、その口調は心配や不安といったものではない。

 強敵の戦いがあるのなら、むしろ望むところだと表情で示していた。

 そのような表情を浮かべているのは一人ではない。

 他にも何人か、強敵との戦いを楽しみにしているといった表情を浮かべている者は多かった。


「ええ、本当よ。……もっとも、この情報をもたらしたのはドレミナの人間ではないし、かといってグルタス伯爵の人間でもないわ。山を越えた向こうからやって来た人よ。そう考えると、あくまでもそういう情報があると考えておいた方がいいでしょうね」

「え? じゃあ、嘘なんですか?」


 先程鋼の刃の件で本当かと尋ねた男が、ソフィアの言葉に驚きと共にそう返す。

 何も関係のないところからの情報だけに、本当なのかどうか分からなかったのだろう。

 しかし、そんな男の言葉にソフィアは首を横に振る。


「いえ、恐らくだけど鋼の刃がいるのは間違っていないと思うわ。ただ……そうね。グルタス伯爵との戦いの最中、第三者の横槍があるかもしれないというのは、考えておいた方がいいと思うわ」


 そう、告げるのだった。

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