第139話

 食材や道具……特にポーションの類を購入したソフィアたちが最後に向かったのは、服屋だ。

 ある意味では、本当にショッピングらしいショッピングであると言ってもいいだろう。

 武器や防具、食材、ポーション……それらも一応購入はしたものの、それは言ってみれば黎明の覇者という傭兵団の物資補充でしかない。

 それでもショッピングを楽しむことが出来たのは、買い物そのものを楽しむということが出来るからだろう。

 イオにしてみれば、そこまで面白いとは思えなかったが。

 ただ、面白くなかったものの、勉強になったのは間違いない。

 食材がどれくらいの値段で売られているのか。

 あるいどのくらい吹っかけられ、それをどうやって値切るのか。

 日本においては、スーパーやコンビニにおいては最初から値段が表示されており、それをそのまま買う。

 個人でやっている店であれば多少は値切ることも出来るが……基本的には、やはりスーパーやコンビニのように割引出来ない店が多い。

 イオもまたそういう店の買い物をしたことが多く、個人でやっている店での買い物というのはあまり経験がなかった。

 そういう意味では、値切りの技術を覚えておくのは悪い話ではない。

 ……もっとも、店の者も黎明の覇者が相手となるとそれなりに積極的に値引きをしてくれるので、そこまで勉強になるかどうかは微妙なところだが。

 店の者たちにしてみれば、男女問わずソフィアの美貌に圧倒されてしまう。

 また、その美貌を見れば、ソフィアが誰なのかはすぐに理解出来た。

 そしてドレミナに向かっていたゴブリンの軍勢を倒したのは、黎明の覇者という噂になっている。

 実際にはゴブリンの軍勢を倒したのはイオなのだが、そのイオも今は黎明の覇者に一員――正確には客人――という扱いになっている以上、詳細な事情を知っている者も、黎明の覇者がゴブリンの軍勢を倒したというのに異論はない。

 そんなドレミナの住人は、ソフィアに心の底から安心している。

 もしゴブリンの軍勢がドレミナに到着していればどうなっていたか。

 ドレミナは壊滅……とまではいかないものの、大きな被害を受けていたのは間違いない。


「それにしても、服を買うのにこんなに時間がかかるんですね」


 店の中で周囲を見回しながらレックスが呟く。

 そんなレックスの言葉を聞くのは、イオ……以外にも何人かいる。

 そんな中の一人がレックスの言葉を聞くと、笑みを浮かべて口を開く。


「こういう場所に来るのは初めてかい?」


 イオやレックスよりも邪果敢年上……二十歳前後といった年齢の男の言葉に、レックスは少し驚く。

 イオが返事をするのならまだしも、まさか見知らぬ相手がこうして声をかけてくるとは思ってもいなかったのだろう。


「え? あ、はい。そうですね。今までこういう機会はありませんでしたから」

「そうか。君くらいの年齢なら、それなりにこういう場所に来ている人もいるんだが。まぁ、いい。一つ忠告しておくが、この店はそれなりに高級な店だ。だから元から売っている服をその人に合わせて整える必要がある。それに時間がかかるんだよ」

「おいおい、それだけじゃないだろう? どの服にするのかを選ぶのにも、それなりに時間は必要となる」


 また見知らぬ男……こちらは最初に話しかけてきた男よりもさらに年上で、二十代半ばといったところか。

 そんな男の言葉に、最初に話しかけてきた男も頷く。


「そうかもしれないね。しかし、私の経験からすると多く時間が取られるのは服の調整だよ」

「こうして待ってる時間というのは……普段なら何をしてるんですか?」


 イオは純粋にそれが気になって尋ねる。

 あるいは日本にいたときに恋人でもいればそういうことを経験出来たのかもしれないが、生憎と女友達はいても恋人といって存在はいなかった。

 それだけに、このような状況で暇な時間をどう潰せばいいのかというのはイオにも分からない。

 もっとも、服を選んでいるソフィアたちは決してイオの恋人という訳ではないのだが。


「そうだね。こうして何人かいる場合は話をして時間を潰すことが多いよ。こういう場所で知り合った相手とは、意外な場所で知り合うこともあるし」

「……そういうものなんですか?」


 イオにしてみれば、その言葉は少し疑問だった。

 このような場所で偶然会った相手に、そんなに頻繁に会うようなことがあるのかと。

 しかし、男たちはそんなイオの様子を気にした風もなく言葉を続ける。


「そうそう、俺なんか以前仕事先の鍛冶師の店に行ったら、そこで下働きをしていた奴がそういう感じだったな。おかげで色々と親方に話して貰って、そのおかげで無事に契約出来たよ」

「あ、俺は宿屋でそういうのがあったな。契約を結んだ傭兵が泊まる宿を用意したとき、その宿の従業員に服屋で知り合った奴がいて、色々と助かったことがある」


 そんな会話を聞いていれば、こういう場所で話した相手と他の場所で再会するというのは、そこまでおかしな話ではないのだろうとイオにも納得出来た。


「それで、あんたたちは一体誰を待ってるんだ? やっぱりあっちのお嬢ちゃんか?」


 集まってきていた男の中に一人がイオとレックスに向かってそう聞いてくる。

 その視線の先にいるのは、十代後半くらいの二人組の女。

 ただし、ソフィアたちではない別の相手だ。


「いえ、違います」

「そうそう、あの子たちの恋人は俺だよ」


 イオのその言葉に、近くにいた男の一人がそう主張する。

 あの子たちと示されたのは、二人。

 つまり男が一人に女が二人。

 ……とはいえ、それはそう珍しいことではない。

 この世界において、一夫多妻というのは普通なのだから。

 もちろん、それはあくまでも多数の妻を養えるだけの甲斐性があっての話だが。


「ふーん。可愛い子たちだな。なら、あんたたちの恋人は?」

「言っておきますが、恋人じゃないですよ? 俺たちはあくまでも荷物持ちというか……」

「イオ、どうしたの? 買い物は終わったから、そろそろ行きましょう?」


 イオが自分がここにいるのは買い物ではなく、あくまでも荷物持ちの付き合いとしてだと、そう言おうとしたのを遮るように声をかけられる。

 その声の持ち主に視線を向けると、そこにいたのは予想通りソフィア。

 そんなソフィアの隣には護衛の女の傭兵もいる。


「あ……」


 イオと話していた男が……いや、それだけではなく、イオやレックスの周囲にいた他の男たちもソフィアの美貌に目を奪われる。

 そんな男たちのうちの何人かは、もしかして、とは思っていたのだ。

 ここにいる男たちは、何度か話したことがある者が多かったし、そこまでいかずとも顔を見たことがある者も多い。

 そんな中で見知らぬイオとレックスがいて、そして店の中にはとんでもない美人と、それなりに美人な女がいた。

 本来ならソフィアたちとイオたちを結びつけてもいいのだが……こう言ってはなんだが、イオやレックスとソフィアでは美貌という点で格が違いすぎた。

 それは何もイオやレックスが不細工だという訳ではない。

 イオもレックスも、平均的な……あるいは平均よりは少し上といったくらには顔立ちは整っている。

 しかし、この場合は比べる相手が悪かった。

 ……そもそもの話、ソフィアと相応しいような相手がいるかと言われれば、多くの者が首を傾げるだろうが。

 世の中には男女問わず、美形というのは存在している。

 しかし、ソフィアはそんな美形が集まった中でも、頭一つ二つ……あるいはそれ以上に飛び抜けた、絶世のという表現が相応しい存在なのだから。

 当然ながら、この場にいる多くの男たちはソフィアの美貌に目を奪われる。

 ……そしてまた、こちらも当然ながら男たちと一緒に来た恋人たち、あるいは友人以上恋人未満、妻といった女たちは、その様子を眺めていた。

 この店は新しい服を売っているという時点ではそれなりに高級店なのだが、それはあくまでも中流家庭にとっての贅沢といったところで、服の全てをオーダーメイドするような高級店ではない。

 そんな店に不釣り合いなほどの美女がいたのだから、目を奪われるのは当然だった。

 せめてもの救いは、ソフィアの美貌が圧倒的すぎて対抗心を抱くといったことはなかったことか。

 だが……それでも、自分と一緒に来た男がソフィアの美貌に目を奪われるのは、面白いはずもない。

 男たちに向けて嫉妬の視線が向けられ……結果として、買い物のあとで男たちが機嫌を直してもらうために奮闘するのだが、それはまた別の話。


「分かりました。じゃあ、そろそろ行きましょうか。これで失礼しますね」

「色々と助言、ありがとうございました」


 イオとレックスは話していた男たちにそう声をかけ、その場か立ち去るのだった。






「さて、じゃあ……いつまでもドレミナにいる訳にもいかないし、そろそろ戻りましょうか。ローザを待たせすぎると、色々と言われてもおかしくないでしょうし」

「ローザさんのことだから、少し遅れたくらいでは何も言わないと思いますけど。……もっとも、その分一度やりすぎるとかなり酷いことになりそうですが」


 ソフィアの言葉に女がそう告げ、それに対して聞いていた者たいは納得した様子を見せる。

 ローザはそこまで気が短い訳ではない。

 補給を担当し、実質的な副団長という地位にある人物の気が短いというのは、色々と問題がある。

 立場を抜きにしても、ローザの性格的にそこまで気が短くないのも事実。

 ただ、だからといって放っておいても問題がないかといえば……当然ながら、その答えは否だ。

 そんな訳で、今はそこまで寄り道をするような真似はせず、ベヒモスの骨のある場所に戻った方がいい。

 ドーラットからベヒモスの骨の護衛をする兵士たちを派遣するという話は聞いているものの、黎明の覇者も色々と準備をする必要があるのだから。

 具体的には、グルタス伯爵との戦いに備えた準備といったように。

 ……もっとも、そういう意味では今回の買い物も物資の補給と考えられる訳だが。

 実際にソフィアたちはローザに問い詰められた場合、そう誤魔化すつもりだった。

 服にかんしては、どうにも誤魔化しようがないのは事実だったが。

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