グルタス伯爵との戦い

第137話

「じゃあ、戻りましょうか」


 ダーロットとの階段を終えたソフィアは、イオを含めた他の面々にそう告げる。

 貴族の、それもこの地域を統べる領主のダーロットと話していた疲れや興奮といったものは全くなく、当然のこととしてそう言う。

 そんなソフィアにイオやレックスは驚くものの、護衛として一緒に来た傭兵の女は全く気にした様子もなく頷く。


「そうですね。グルタス伯爵との戦いが具体的にいつ始まるのかは分かりませんが、出来るだけ早く戦場に到着した方がいいでしょうし。それに……ベヒモスの骨の護衛として兵士を寄越してくれるというのも、助かります」


 ベヒモスの骨の護衛として兵士を派遣するというのは、ソフィアが最後の最後でダーロットから引き出した条件だ。

 ダーロットにしてみれば、これからグルタス伯爵との戦いが始まるのに兵士を派遣するというのはあまり好ましくないだろう。

 しかし、兵士を派遣しない場合は黎明の覇者の傭兵がベヒモスの骨の護衛をする必要が出てくる。

 そうなると、黎明の覇者は完全な状況でグルタス伯爵との戦いに参加出来ない。

 かといって、グルタス伯爵との戦いに参加するためにベヒモスの骨を護衛する者もいないままとなると、間違いなくベヒモスの骨は奪われてしまう。

 それこそ現在ベヒモスの骨のある場所で交渉をしていた商人たち……いや、それ以外にも研究者や傭兵たちまでもが揃ってベヒモスの骨を奪っていくのは間違いない。

 だからこそ、ソフィアは黎明の覇者が全力で戦いに参加して欲しいのなら、ベヒモスの護衛をする者たちを出して欲しいと交渉したのだ。

 ……これでダーロットが無能なら、そんなソフィアの要請を断っていただろう。

 あるいは一晩付き合え、もしくは自分の愛人になれといったようなことを条件にしてきた可能性もある。

 もしダーロットがそのようなことを口にしていた場合は、それこそソフィアがどのような判断をしたのか……イオは考えるのも含めて恐ろしかった。


(とはいえ、話で聞いていたほどに女好きって感じはしなかったけどな。そこまで露骨に言い寄るって感じでもなかったし)


 イオはソフィアからダーロットについての話を聞いてはいた。

 だからこそ、もっと露骨にソフィアに言い寄るのかと思っていたが、そのような真似はしなかった。

 もしソフィアに無理を言うようなら、力足らずではあるが自分がどうにかしようと思ってはいたのだが……ダーロットの様子は、そこまでではない。

 むしろイオがイメージしていた貴族……それこそ日本にいたときに読んでいたファンタジー漫画に出て来たような露骨に一般人を見下すような横暴な貴族が出て来ると思っていただけに、いい意味で予想が外れた形だった。

 もっとも、ソフィアがそんなイオの考えてることを知れば、一体どんな風に思うのかはまた別の話だったが。


「向こうに戻るのはいいですけど、ベヒモスの骨を希望している相手との交渉はどうするんですか? 今もローザさんが交渉してると思いますけど、あの様子だと途中で交渉を切り上げるといった真似は出来ないと思いますけど」

「イオの言う通りかもしれないわね。けど、交渉の主導権はこっちが握ってるのよ。そうである以上、向こうがまだ交渉をしたいのなら、グルタス伯爵との戦いが終わるまであそこで待っていてもらうか、それとも私たちと一緒に移動して、ドレミナに移動するまでの間に交渉するかね」


 そのどちらも、商人たちには厳しいとイオには思える。

 だがそれでもどちらかを選ぶのなら、恐らく後者だろうと予想は出来た。

 商人たちにしてみれば、ベヒモスの骨のある場所でただ待っているといった真似は好んでやろうとは思わない。

 時は金なり。

 商人はそのことを理解して行動しているのだから。

 もちろん、それについて理解しているのは商人だけではない。

 他の者も多く時は金なりというのを理解しているはずだったが。


「それにしても、ドレミナに戻ってきたのに何も買い物をしたりしないで戻るのは残念ですね」


 そんな風に告げる女の傭兵。

 せっかくドレミナにやって来たのだから、出来れば色々と買い物をしていきたかったのだろう。

 買い物というのは、多くの者にとっては嬉しいものだ。

 ましてや、黎明の覇者に所属する傭兵なら命の危険がある分、報酬も高い。

 いわゆる、大人買いというのも普通に出来るだろう。

 それが欲しい物かどうかは、別の話として。


「あら、買い物をしたいの? なら、ゆっくりとしていられる時間はないけど、少し店に寄るくらいの余裕はあるわよ?」

「え? いいんですか?」


 ソフィアの口から出た言葉は、女にとっても意外だったのだろう。

 そんな驚きの声と共に聞き返す。

 ソフィアはそんな女の言葉に笑みを浮かべて頷く。


「ええ、構わないわよ。せっかくドレミナまで来たんだもの。少しくらい買い物をしても構わないわ。私もちょっと店を覗いてみたいし」


 ソフィアの言葉に女は嬉しそうな表情を浮かべる。

 最初はその気がなく、駄目元で言ってみただけだったのだが。

 しかし、それに反対をするようなこともなく、ソフィアは素直に許可してくれた。

 ……もちろん、これは交渉が上手くいったからこそのことだ。

 もしいざとなってダーロットがマジックバッグを渡すのを渋るようなことにでもなっていれば、交渉は決裂していただろう。

 正確には結ばれた和平交渉が破られた、ということになる。

 そうなればソフィアもここでゆっくりするような真似は出来ず、ドレミナから退避していだろう。

 あるいは退避というよりも騎士団や兵士たちに追われ、退避ではなく脱出という表現の方が相応しい状況になっていた可能性も高い。

 こうして買い物をするために店を覗くといったような真似は、無事にマジックバッグを受け取ったからこそなのだ。


「ああ、そう言えば、……はい、イオ。これ」


 マジックバッグのうち、使い古された方をイオに渡すソフィア。

 元々マジックバッグの一つはイオに渡すということになっていたものの、実際にそれを渡されたイオはいいのか? といった視線をソフィアに向ける。


「これ、本当に俺が貰ってもいいんですか? 正直なところ、これは色々と使い道はあったりすると思うんですけど」

「そうかもしれないわね。けど、元々そういう約束だったでしょう? それに……イオがやったことを思えば、マジックバッグだけでも報酬としては少ないと思うわよ」


 マジックバッグの価値からすると、ソフィアはイオという存在をかなり買っているのは間違いない。

 実際、ソフィアにとってイオという存在は非常に大きい。

 流星魔法は戦略級の魔法と評されてもおしくはないだけの威力を持っているのだから。

 唯一の難点としては、その威力が強すぎるために戦いに勝ちながらも命を奪わないといったような、捕虜が欲しい場合は使えないというところか。

 モンスターを相手にした場合でも、威力が強すぎるために素材の多くを駄目にするといった難点がある。

 ゴブリンの軍勢の場合は、それこそ大半のゴブリンが消滅してしまっており、得られた素材はそこまで多くはない。

 ベヒモスは幸いなことに上半身は無事だったものの、下半身の素材は完全に使い物にならなくなっていた。

 高ランクモンスターとして素材が高級なベヒモスだけに、メテオによって失われた素材はかなりの量になるだろう。

 もっとも、もしイオのメテオで相手を殺すことが出来ていなかった場合、イオたちがベヒモスに殺され、あるいは餌として喰い殺されていたのだろうが。

 そう考えれば、やはりイオがメテオを使ったのは間違いではなかったのだろう。


「ありがとうございます」


 ソフィアに感謝の言葉を口にし、マジックバッグを受け取る。

 そのマジックバッグは腰のベルトに引っかけるタイプのマジックバッグで、ローブやマントを着ていれば、他人に見つかるようなことはまずない。

 もちろん、激しい動きをしてローブやマントがめくれ上がったりすれば話は別だったが。

 馬車の中で早速それをつけようとするのだが……


「む……えっと……こう……あれ?」


 ここが自由に手を伸ばしたり動いたり出来る場所なら、イオもそこまで苦労せずにマジックバッグをベルトに取り付けることが出来ただろう。

 だが、この馬車は黎明の覇者が使っている馬車でそれなりの広さはあるものの、それでもイオを含めて四人が一緒に座っている。

 当然ながら、そのような状況ではイオも迂闊に身体を動かすような真似は出来ず、どうしてもマジックバッグをベルトに取り付けるのに苦戦する。

 そんなイオの様子を面白そうに見ていたソフィアだったが、やがて笑みを浮かべて口を開く。


「イオが一人だとやりにくいでしょう? ちょっとマジックバッグを渡しなさい。私がやってあげるから」

「え?」


 そんなソフィアに驚きの声を上げたのは、イオ。


「ちょっ、ソフィア様!? そういうのをやるのなら、私がやりますから!」


 ソフィアの護衛をしている女も、間の抜けた声を上げたイオに続くようにそう言う。

 女にしてみれば、まさかソフィアがこのようなことを口にするとは思ってもいなかったのだろう。

 慌ててそう言うが、言われたソフィアは特に気にした様子もなく笑みを浮かべるだけだ。


「気にしなくてもいいわよ。このくらい、私でも出来るんだから」

「それは……けど……」


 ソフィアの言ってることは事実だが、納得出来ない。

 そんな様子の女は、自分の感じている憤りを込めてイオを睨み付ける。



 だが、睨み付けられたイオにとっても、まさかソフィアがそのようなことをするとは思っていなかったのか、戸惑った様子だ。

 そうしてイオが戸惑っている間に、座っていた席から立ち上がったソフィアがイオに手を伸ばす。


「ほら、ちょっと大人しくしてなさい」


 ソフィアにこう言われれば、当然だがイオもこれ以上反論をする訳にもいかず……

 結局そのまま大人しくソフィアの言いなりになる。


「いい? ベルトのこの部分にマジックバッグをつけて……ほら、こう。そうすれば分かりやすいでしょう?」


 そう言いつつ、ソフィアはイオのベルトにマジックバッグをつけるのだった。

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