第123話

 ベヒモスの骨から離れたイオとレックスは、再び適当に周囲を歩いていたのだが……


「ん? レックス、何かいい匂いがしないか?」


 イオの言葉に、レックスは周囲を見回し……すぐに同意する。


「そうですね。何か食欲を刺激するようないい匂いがします。食事の用意をするにはまだ少し早いと思うのですが」

「そうだな。時間的には夕方にもなってないし」


 当然ながら、イオは時計を持っていない。

 一応この世界にも時計の類はあるものの、それは基本的に街中にあるような巨大な時計だ。

 個人用の……いわゆる腕時計や懐中時計というのもあるのだが、それらはマジックアイテムでそう簡単に入手出来るものではない。

 だからこそ、太陽を見て大体の時間を察するような技術は必須だったし、太陽の位置で時間を把握するのはそう難しくはない。

 イオも普通にそのような真似が出来るようになっていた。

 そんなイオが太陽を見ると、大体午後三時から四時くらいの時間に思える。

 黎明の覇者や降伏した傭兵団が夕食の用意をするにはまだ少し早い時間なのは間違いない。


「えっと……あそこですね」


 レックスが示した方向には、屋台があった。

 ……そう、何故か屋台がそこにはあったのだ。

 そして何らかの料理を売っており、数人の客が屋台の前に並んでいる。


「えっと、何でこんな感じに?」

「人が集まる以上、商売をしてもおかしくないのでは?」


 戸惑うイオとは違い、レックスはこの状況を見てもそこまで驚いた様子はない。

 それはつまり、このような場所で店……というよりも露天を開くのは不思議なことではないということなのだろう。


「でも、ここ……言ってみれば戦場だぞ?」

「正確には戦場だった、ですね。今はもう戦いは終わって、交渉の場というか、野営地というか……そんな場所です。であれば、このような状況になっていても特に不思議はないと思いますが」


 この辺りは、やはり色々と常識が違うということなのだろう。

 イオはレックスの様子からこれはそこまでおかしなことではないのだと理解し、驚きや同様を表に出さないようにする。


「そういうものなのか。……ちなみに、いい匂いがしてるのは間違いないけど、もしかしてベヒモスの肉を料理して売ってるとか、そういうことはないよな?」

「さすがにそれはないと思いますよ? そもそも、今のところ肉は黎明の覇者が全て確保してますし」


 ベヒモスの肉がどれだけ美味いのかは、イオも直接食べた経験があるだけに十分に理解している。

 そのようなベヒモスの肉を調理して売っているのなら、屋台は大繁盛間違いなしだろう。

 しかし、イオの視線の先にある屋台はかなり繁盛しているようだったが、それでもベヒモスの肉を使っている屋台としてはそこまで繁盛はしていない。


「どうする? ちょっと寄ってみないか?」

「そう……ですね。ちょっと小腹が空いてるのは間違いないですし。普段なら絡まれたりする心配もあるでしょうけど、今の状況で僕たちが絡まれるという心配はあまりないと思いますから、多分大丈夫だとは思います」


 そう言ってくるレックスの言葉にイオも同意する。

 今のこの状況において、黎明の覇者に所属している自分たち――正確にはイオは客分なのだが――にちょっかいをかけてくるということは、普通ならありえない。

 そのような真似をすれば、イオたちに絡んで来た者たち……もしくはその上司がベヒモスの素材を購入するのは不可能になってしまう。


「じゃあ、行くか」


 そう言い、イオとレックスは屋台に向かったのだが……

 ざわり、と。

 イオとレックスを見た者たちはざわめく。

 それだけではなく、屋台の周囲に集まっていた客たちはイオとレックスが来たのをみると場所を空ける。

 二人に……正確にはイオに向ける視線にあるは、畏怖。

 熊の獣人と話しているときもその気配はあったが、今こうしている中では畏怖の気配がかなり強い。

 ここにいる者の多くは傭兵なので、イオがメテオを使ったところを見てもいるし、少し前にはミニメテオも使っている。

 そうである以上、当然ながらイオに絡むような者はいない。

 イオにとっては幸運なことではあったが、自分に向けられる視線や周囲の雰囲気に微妙な気持ちを抱いてしまうのも事実。


(これだと屋台に来ない方がよかったのか?)


 周囲の様子を見てそのように思うものの、今更ここから離れるといった真似をするのも、色々と問題なのは間違いない。

 あとで面倒なことが起きるかもしれないと思えば、このまま普通に買い物をした方がよかった。


「イオさん」


 レックスもイオと同じ結論に達したのだろう。

 レイに向かって声をかけると、屋台に近付いていく。

 イオも杖を手に、そんなイオを追う。

 屋台は肉と野菜を炒めてパンに挟んで売る、サンドイッチ……というよりは、ホットドッグに近い形の料理を売っている。

 イオとレックスが嗅いだ食欲を刺激する匂いは、肉や野菜をソースで炒めている匂いだったのだろう。


「いらっしゃい。あんたに来て貰えるとは、嬉しい限りだよ」


 イオを見て店主がそう言う。

 他の客と違い、畏怖の視線を向けたりはしていない。

 それがイオにとっては安心するような雰囲気に感じられた。


「いい匂いがしてたので。俺とレックスの二人分お願いします」

「はいよ。隕石を落としたあんたが買ったというのは、いい宣伝になる。いっそ料理名を隕石落としにでもするか?」

「それは……いえまぁ、それでいいのなら構わないと思いますけど」


 会話をしながらも、店主は素早くパンに焼いていた肉と野菜を挟む。

 これで麺があれば焼きそばパンになるのだろうが、生憎とこの屋台では肉野菜炒めだけだ。


(まぁ、麺とかだと作るのは大変そうだしな。特に焼きそばの麺とかは蒸すらしいし。あ、でも前にTVで見たお好み焼き店の特集だと、中華麺を蒸すんじゃなくて普通に茹でて、それで焼きそばを作ってたな。それでも問題なく出来るのか?)


 イオは料理にそこまで詳しい訳ではないので、焼きそばの麺が茹でただけでもいいのか、それとも蒸さなければ焼きそばの麺にならないのか、その辺りについてはイオには分からなかったが、目の前にあるのは焼きそばではない以上、考えても意味はないと判断して止める。

 そうして素早くパンに挟まれた具に上から何らかのソースを追加でかけると、店主はイオとレックスにそれぞれパンを渡す。


「料金は……」

「いいよ、こいつは奢りだ。お前さんのおかげで、俺は色々と利益が出たからな。ここでの屋台での売り上げも、結構な額になってるし」

「いいんですか? 俺は嬉しいですけど」

「ああ、ここで俺が儲けることが出来たのは、お前のお陰だからな。このくらいのことはさせてくれ」


 ここで恩を売られるような真似をしてもいいのか?

 一瞬そう思ったイオだあったが、相手の様子からすると何かを企んでそのように言ってるのではなく、本当に感謝の気持ちから奢ってやると言ってるように思えた。

 もちろん、イオは相手を見ただけで心の底まで理解出来るほどに鋭い訳ではない。

 もしかしたら相手は自分に知られないようにして、何かを企んでいる可能性も否定は出来なかった。

 出来なかったが、そこまで相手の裏を読むのもなんだしなと判断して、結局は素直に相手から奢られることにする。


「じゃあ、また来てくれよ。今度は奢るんじゃなくて、きちんと買って貰うから」

「分かりました。この料理は美味しそうなので、出来れば次も来たいと思います」


 一口食べて、その言葉通り本当に美味いと思いながら屋台の店主にそう言葉を返す。

 イオはレックスと共に料理を食べながら、その場をあとにする。

 出来れば雰囲気を楽しむという意味でも屋台の側で料理を食べたかったのだが、屋台の店主はともかく、周囲の客が自分に向けてくる視線を思えば、自分とレックスが……いや、正確には自分がここで食べるといった真似をするのは不味いだろうと判断したのだ。

 屋台の周囲にいる者たちが安心して食べることが出来ないだけではなく、そのような者たちから畏怖の視線を向けられながらだと、イオもまた安心して食べることが出来ないのも事実。

 そういう意味では、双方のためにもこの場かイオが離れた方がいいのは間違いなかった。


「イオさん、ちょっと向こうの方に行ってみませんか?」


 イオに気を遣ったのか、レックスがそんな風に言ってくる。

 そう思ったイオだったが、すぐにその考えを否定する。

 少し離れた場所にざわめいている者たちがそれなりにいるのだ。

 それを見て、レックスもイオならそちらに興味を持つのかもしれないと思い、そう口にしたのだろう。

 あるいはイオ云々よりも前に、レックスがそちらに興味を持ったのかもしれないが。


「そうだな。このまま歩き回っても何だし、ちょっと見てくるか。何か面白いことがあった可能性もあるし。……もっとも、あの様子だと面白いというか、ちょっとした驚きって感じだが」

「そうですね。見た感じそんな雰囲気です」


 そんな風に会話をしながら進むイオとレックスだったが、人の集まっている方に向かうに従って、視線の先にあるのは驚きというより、それよりも大きな驚愕といった様子なのだと理解出来た。

 そして人混みの中心部分にいる者たちを見て、驚きの理由を悟る。

 何故なら、そこにいたのは傭兵……ではなく、明らかに騎士と呼ぶべき者たちだったからだ。

 傭兵であれば、それぞれが自分の使いやすい鎧を装備する。

 もちろん、中には傭兵団の中でも高い規律を持っていたり、資金的に余裕があったり、強い拘りを持っていたり、全員が同じ鎧を着ることで団結力を高めたりといったことをしている傭兵団もいる。

 しかし、世の中に存在する傭兵団に多くはそうではない。

 ましてや、その鎧は見るからに傭兵が使っているような安物ではなく、相応に高級品なのは明らかだ。

 であれば、騎士であるというのが全員強く認識するには十分であり……


「私たちはドレミナの領主ダーロッド様に仕える騎士である! 黎明の覇者の団長と会談を要請する!」


 そう、告げるのだった。

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