第104話
ソフィアの指示とローザの手際によって、黎明の覇者はすぐにでも英雄の宴亭から出発をすることになった
本来なら数日……いや、黎明の覇者のランクや規模を考えると十日以上準備の時間が必要でもおかしくはないのだが、それでもどうにかしてしまう辺り、ローザの先見の明だろう。
もちろん、それはローザが前もってある程度用意をしてあったからというのもあるのだが。
「ローザ、料金の支払いは?」
「終わってるわ。こっちの都合で急に出ていくことになったから、少し多めにしておいたから」
元々黎明の覇者はこの英雄の宴亭を拠点にしていた。
それはつまり、長期の滞在のつもりで契約をしていたのだ。
だが、その契約を黎明の覇者側の都合で打ち切るのだから、それだけ料金が多く支払うのは当然の話だった。
ただでさえ英雄の宴亭はドレミナの中でも最高峰の宿だ。
そのような宿である以上、しっかりと筋を通す必要がある。
……実際には、英雄の宴亭のような宿ではなくても、きちんと筋を通す必要はあるのだが。
とにかく、素早く準備を整えるとソフィアたちは宿から出る。だが……
「遅かったみたいね」
馬車の中でソフィアがそう呟く。
なお、現在ソフィアが乗っている馬車にはソフィアとローザ、イオとレックスの四人だけが乗っている。
イオがソフィアと一緒に乗っているのは、イオが流星魔法の使い手ということで狙われているためだ。
そしてレックスは曲がりなりにもイオの護衛として扱われており、ローザはソフィアの腹心の部下、あるいは実質的な副団長という立場から。
そんな四人の乗っている馬車の周囲には他の馬車や馬に乗ってる者、歩いている者といったように多数の者たちが存在している。
しかし、そんな黎明の覇者は英雄の宴亭から出たところでその動きを止めていた。
何故ならそこには騎士や兵士たちの姿があったためだ。
武器を手にしているその様子からは、明らかに黎明の覇者をドレミナから出さないように……いや、それどころか英雄の宴亭の敷地内からも出さないようにしているのは明らかだった。
「退け! お前たちは誰の道を塞いでいるのか、分かっているのか!」
黎明の覇者の中でも先頭付近にいた者の一人が叫ぶ。
戦場慣れしている者の怒声は、圧倒的な迫力で騎士や兵士たちに向けられる。
もちろん、こうして立ち塞がった者たちも戦いを知らない訳ではないだろう。
だが、それでも潜り抜けてきた戦場の数が違う。
自分たちではどうしようもないと、そう如実に示されたのだが……
「黙れ! 私たちは上からの命令で黎明の覇者を逃がさぬように言われている!」
当然ながら、騎士や兵士たちの中には今の叫びを聞いても怯む者ばかりではない。
騎士や兵士たちの中から一人が前に進み出ると、そう叫ぶ。
三十代程の男の騎士は、決してここを通らせる訳にはいかないと自分達に向かって怒鳴った男を睨み付ける。
そんな仲間の行動に、他の者たちも勇気づけられたのだろう。
自分たちにも歴戦の傭兵である黎明の覇者と互角に渡り合える強者がいるのだと。
『うおおおおおおおおっ!』
相手を威圧するかのような、そんな雄叫び。
あと少しの刺激があれば、双方共に大々的に正面からぶつかることになるだろう。
しかし……そんな状況を危険だと判断する者もいる。
黎明の覇者の方は歴戦の傭兵だけあって、戦場に慣れている。
今のこの状況で正面から戦うようになれば、相手に大きな被害を出してしまう。
……自分たちにはあまり被害が出ず、相手にのみ被害が出ると判断している辺りそれだけ自分達の力に自信を持っているらしい。
そして当然ながら、攻めて来た者たち……特にこの状況のきっかけを作った騎士もまた、戸惑っていた。
ここで退く訳にはいかないと前に出たのだが、まさか自分のそんな行動がこのようなことになるとは、と。
とはいえ、あのままでは黎明の覇者という名前に押し潰され、戦う前から負けていた可能性があった。
それを思えば、今の状況の方がまだマシだろう。
騎士の男は長剣を手に再び口を開く。
「大人しく降伏されよ。そうでなければ、こちらも相応の対処をしなければならない」
「残念だけど、そんな真似は出来ないわね」
凛、と周囲に響く声。
決して大きな声ではない。
だが不思議なことに、その声は……馬車から降りて前に出たソフィアの言葉は周囲に響いた。
数秒前までは、やる気に満ちていた騎士や兵士たちだったが、その声はソフィアの一言であっさりと霧散した形だ。
とはいえ、騎士にしてみればそのままソフィアを前に自分が退く訳にはいかない。
「黙れ!」
ソフィアを前に騎士がそう叫ぶものの、叫んでいる騎士そのものがソフィアの持つ迫力……あるいはカリスマとでも呼ぶべきものに押されているのは間違いなかった。
「黙れ? 貴方、私に黙れと言ったのかしら? ……貴方に私をどうにか出来ると思っているのかしら?」
「ぐ……」
ソフィアの視線を向けられた騎士は、何も言えなくなる。
しかし、それでもこの状況で退くような真似が出来ないのは騎士も同様だった。
「何があろうとも、ここを通す訳にはいかない! それでも無理に通るというのであれば、こちらも相応の対応をさせて貰う!」
カリスマ性や口では勝てないと判断したのだろう。
騎士はそう叫ぶと、長剣の切っ先をソフィアに向ける。
だが、ソフィアは黎明の覇者を率いている団長だ。
それもただ部下に指示を出すのではなく、本人が最前線に出て直接敵と戦いながら指示を出すといったような。
そうである以上、ただ武器を向けられたくらいで怯えたりはしない。
……それどころか、氷の魔槍を手にしたまま美貌に闘気が満ちると凄絶なまでの美しさとなる。
「っ!?」
そんなソフィアを見た騎士の男は、我知らず数歩下がってしまう。
しかし、すぐにそんな自分の状況に気が付いたのだろう。
慌てたように再び前に出る。
上からは、絶対に黎明の覇者をドレミナから出さないようにと言われているのだ。
そのために、ここまで騎士や兵士を動員した以上、ここで自分が退くようなことになってしまえば、それは自分だけではなくドレミナの騎士団に傷がついてしまう。
そうならないようにするため、男は絶対にここで退く訳にはいかなかった。
「そちらが無理を通そうとするのなら、こちらもそれを防がないといけない」
「私たちに勝てると思うの?」
一応といったように尋ねるソフィア。
実際、正面から戦うといったことになれば、有利なのは黎明の覇者側だ。
それも少し有利になるといった程度ではなく、圧倒的な戦力差での有利な状況。
それを確認するかのような言葉に、騎士はともかく周囲にいる他の者たちは呻く。
ソフィアの存在感に圧迫され、その手に持つ氷の魔槍にも気圧される。
黎明の覇者を率いるソフィアが氷の魔槍を持つというのは、かなり知られている事実だ。
そうである以上、もしここで戦うといったようなことになった場合、その氷の魔槍が自分たちに向けられるのは間違いないと、そう理解したのだろう。
(とはいえ、あの騎士が頑張っている限り、こちらとしてはすぐにここを突破するのは難しいかしら。……骨のある男ね。出来ればこういう人こそ、黎明の覇者に欲しいんだけど)
圧倒的な実力差があると分かっているにもかかわらず、ソフィアと向かい合っている騎士は退かない。
それは今の状況としては厄介ではあったものの、黎明の覇者を率いる者としては、出来ればそのような人物を自分たちの傭兵団に引き入れたいという思いがあるのも事実。
しかし、ソフィアがそのように思ったのは一瞬だけで、すぐにその考えを否定する。
騎士と接したのは、これまでの短い時間だけだ。
だが、それでも向こうが降伏するということはまず有り得ないだろうし、仲間になるなどという選択肢はまずないと思ってもいいのだから。
「退きなさい。これが最後の警告よ」
空気を斬り裂くかのような動きで魔槍を振るい、その切っ先を騎士に向けながらソフィアは警告の言葉を口にする。
しかし、当然ながら騎士の方もそんな言葉には応じない。
(退かない、ね。あの領主の部下にしておくには惜しいわね。とはいえ、ここで戦いになると……)
ソフィアはいつでも魔槍を震える準備をしたままで、周囲の様子を見る。
ゴブリンの軍勢の件もあって傭兵たちが集まっており、そのような者たちどうしの諍いは多かった。
それ以外にも、ゴブリンの軍勢から逃れるために周辺の村や街から多くの住人が避難しており、その結果としてドレミナの住人はとんでもない数になっていた。
ゴブリンの一件が解決し、非難してきた住人たちも自分の村や街に戻ったり、仕事がなくなったということでドレミナを出ていった傭兵団もそれなりにいる。
だが……それだけ多くの者たちが集まっている中でも、これだけの規模の乱闘というのはなかなか見ることが出来るようなものではなかった。
それこそドレミナの騎士団と傭兵団の中でもランクA傭兵団として名高い黎明の覇者の戦いだ。
金を取って戦いを見てもおかしくはない、そんな光景。
そんな戦いだけに、物見高い者たちが結構な人数集まっている。
ソフィアにとっては、そのような者たちを戦いに巻き込むのは絶対に避けたかった。
しかし、周囲にいる者たちはこのくらい離れているのなら大丈夫だろうと勝手に思い、今も離れる様子がなく、ただ眺めている。
出来ればすぐにでもここから追い払いたいソフィアだったが、ここでそのような真似をすれば、騎士たちを刺激するといったことになりかねない。
そうなれば、本当の意味で一般人を戦いに巻き込んでしまう。
(危ない場所に自分からいて、それで逃げないというのだから……それで戦いに巻き込まれても、ある意味で自業自得ではあるのよね)
そうは思うものの、実際にそのようなことになったりした場合は色々と不味いのも事実。
そんな訳で、どうするべきか迷っていると……
「どけ、どけ、どけぇっ!」
そんな怒声が周囲に響き、観客たちを強引に掻き分けるようにして警備兵たちが姿を現すのだった。
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