第81話

 青の糸を引く狼は水を飲む。

 その言葉を聞いたギュンターは……そしてギュンターの部下たちは、武器を下ろす。

 ただし、武器を下ろしたからとはいえ、パトリックのことを完全に信用した訳ではない。

 今のこの状況で、そのような真似をするのは不可能だろう。

 それでも武器を下ろしたということは、取りあえず話を聞くことにしたのは間違いない。


「それで、お前たちは一体何をするつもりだ?」


 ギュンターのその言葉に、パトリックは少し迷い……やがて詳しい事情を話すことにする。

 戦場でそのような悠長なことをしている余裕は本来ないのだが、ギュンターの様子を見る限りでは取りあえず事情はしっかりと話しておかなければ、こちらの言葉を信じて貰えず……最悪、戦いになるかもしれないと判断したためだ。


「俺たちはさっきも言ったように黎明の覇者と手を組んだ。正確には、俺たちはもう黎明の覇者に手を出さない代わりに、撤退を許可して欲しいと言ったんだが、最低一つの勢力を倒すなり、この場から撤退させるなりしろと条件をつけられた。代わりに、多くの敵を撤退させればそれだけベヒモスの素材を渡すと」

「……なるほど。それで俺たちが狙いを付けた連中はお前たちに譲れと?」

「そうなる。どうだろう? 幸いにも、向こうにいる勢力は俺の顔見知りだ。そんな相手は俺に任せて、お前達はもっと別の勢力に攻撃した方が効率的だと思うんだが?」


 パトリックの指摘が一理あるのは間違いなかった。

 実際にここでギュンターが狙っている勢力を攻撃し、その結果としてパトリックは別の勢力に向かう。

 だが、それがパトリックの顔見知りの勢力ではない場合、当然だが戦いを挑んで壊滅させるなり、撤退させるなりといった真似をする必要がある。

 そして当然のように、ギュンターが譲らなかった戦力との戦いではギュンターやその部下たちが実力を発揮して倒さなければならなくなる。

 その辺の状況を考えれば、やはりここはパトリックに譲った方がいいのでは?

 そう考えたギュンターの視線は、改めてパトリックに向けられる。

 もしパトリックが黎明の覇者と協力関係を結んでいるというのが嘘だった場合、自分達にとって大きな損失となるのは間違いない。

 だが、パトリックは黎明の覇者の中でも限られた者しか知らない暗号を知っていた。

 この暗号はランダムに変わる。

 十日以上そのままということもあれば、二日か三日程度で変わるとこともあるといったように。

 そうである以上、パトリックが偶然この暗号を知った……といったことは、まずないだろう。

 つまり、パトリックの言ってることは真実なのだ。

 だとすれば、ソフィアがパトリックに任せることにした以上、ギュンターもそれに乗った方がいい。

 実際にまだ攻撃をする前だったので、ここでギュンターが攻撃を止めても特に問題はない。

 だからこそ、今は敵を倒せると思いつつも、パトリックたちに任せた方がいいと判断する。


「分かった。なら、あの集団はお前達に任せよう」

「え? ギュンターさん!?」


 ギュンターの部下が驚きの声を上げる。

 まさかここでギュンターが敵を譲るとは思わなかったのだろう。


「そうか、助かる」

「気にするな。あの暗号を知っていたということは、お前は信頼に値する相手だと考えただけだ。だが……あの暗号を口にした以上、ここで俺たちを裏切るような真似をした場合、どうなるか。それは分かってるな?」


 ギュンターの視線の鋭さに、パトリックは動きを止める。

 だが、それでもすぐ我に返ると、今のギュンターの視線を受けても何でもないといったように頷く。


「分かっている。こっちは問題ない。それにさっきも言ったが、あの連中は俺の知り合いだ。あの連中に上手く話を通して、他の勢力にも攻撃する。そうすれば、俺の行動は信じて貰えるだろう?」


 その言葉に、ギュンターは少し考えてから頷く。

 ギュンターは自分の視線がどのような効果あるのか、十分に理解している。

 その視線を向けられた上で、こうして普通にやり取りをしてくるのだ。

 それを思えば、今は取りあえず信じてもいいだろうと判断する。


「分かった。なら、連中は任せた。俺たちは……」


 そこまで言ったギュンターは、不意に言葉を切って視線をあらぬ方に……自分たちが移動してきた方に向ける。

 パトリックがその視線を追うと、そこでは十人ほどの集団がギュンターたちのいる方に向かって走ってくるところだった。


「どうやら、俺たちが攻撃をした相手が追い付いてきたらしいから、あっちの相手をしよう」


 それは、ギュンターたちがここに来る前に攻撃して、即座にその場から退避した相手。

 攻撃をしたときに見た顔がギュンターたち方に向かってくる集団の中にもあったので、見分けるのはそう難しい話ではなかった。

 本来ならこうして追撃してきた相手は別の集団に押し付けるだが、生憎とこの近くにある集団はパトリックが自分たちに任せて欲しいといった集団しかない。

 そうである以上、ギュンターとしてはその集団に追ってきた相手を擦りつけるといった真似をする訳にもいかなかった。

 であれば、やはりここは正面から戦いを挑んだ方がいい。

 ……人数的にギュンターたちの方が劣っているものの、それでも先程攻撃したときに感じた敵の練度を思えば、ギュンターと数人の部下だけでも十分に倒すことが出来るのは間違いがなかった。


「すまない。では、頼む」


 ギュンターの様子を見て、パトリックはそう言うと部下を率いて早速自分の向かうべき所に向かう。


「ギュンターさん、本当によかったんですか?」


 パトリックの姿が見えなくなったところで、部下の一人が不意にそう言ってくる。

 本当にあの集団を任せてもよかったのかと、そう言いたいのだろう。

 まだ完全に納得した訳ではない……いや、見るからに不満を持っている様子ではあったが、ギュンターはそんな部下に対して頷く。


「あの暗号を知っていたということは、あのパトリックたちを自由に動かした方が俺たちにとっては利益になると団長も判断したんだろう。……正直なところ、わざわざああいう連中を使わなくても、俺たちだけでどうにか出来るとは思っているんだがな」


 その言葉には他の者たちも同様の思いを抱いているのだろう。

 全員がその言葉に頷く。

 自分たちは黎明の覇者に所属する腕利きの傭兵なのだという自負があってのことだろう。


「とにかく、今はあれこれ言うよりも……あの連中を倒すのを優先するぞ」


 ギュンターたちが少し前に攻撃して離脱した結果として、追撃にやって来た戦力との距離はもうかなり狭まっていた。

 そうである以上、そろそろ攻撃の準備をしておく必要がある。

 こうして敵が近付いているのに、特に緊張した様子もなく話をしている辺り、戦場慣れしている部分が大きいのだろう。

 ギュンターたちにとって、今のこのような状況は半ば日常に近いのだ。

 ……もっとも、戦場そのものは日常ではあるが、現在のこのような状況の原因となった流星魔法については、とても日常とは呼べないものだったが。


(けど、イオも恐らく最終的には黎明の覇者に所属するはずだ。今は客人という立場だが、自分の力を巡ってこれだけの騒動になるというのを理解すれば、とてもではないが個人の力だけでどうにかするのは難しい。……流星魔法を躊躇なく使うのなら、どうにかなるかもしれないが)


 しかし、もしそのようなことになった場合、イオは間違いなく危険人物として認識されてしまい、場合によっては賞金首にされるといったようなことがあってもおかしくはない。

 ギュンターが見たところ、イオはかなりの世間知らずだ。

 ……実際には少し前までは日本にいた上に、この世界にやって来てからもしばらくは山の中で生活していたのだから、この世界について世間知らずと思われてもおかしくはないのだが。

 しかし、ギュンターはそんな事情を知らないので、当然ながらイオは明らかにおかしい存在だという風に認識してしまう。

 そんなイオが賞金首になってこの世界で上手くやっていけるのかと言われれば、当然だが即座に首を横に振るだろう。

 今の状況を思えば、何をするにしてもとにかくイオは黎明の覇者と行動を共にする必要があった。


(いや、その辺は俺がそこまで詳しく考える必要はないか。今はとにかく、目の前にいる敵を倒して、やるべきことをやればいい)


 そう判断すると、ギュンターは武器を構えて自分の方に向かってくる敵を見る。

 向こうも当然ながら、自分たちが侮られたのは決して許容出来ないらしい。

 見るからに殺気だった様子でギュンターたちとの距離を縮めてくる。

 戦闘にいる男は口汚くギュンターたちを罵っているものの、それを聞かされたギュンターは全く気にした様子もなく冷静なままだ。

 もちろん、罵声を聞かされて愉快だという訳ではない。

 しかしここで自分が苛立つといったようなことは、まさに百害あって一利なしだと理解しているのだろう。

 冷静に相手の様子を確認しつつ……その戦力を把握する。

 人数的にはギュンターたちよりも上ではあるが、馬の取り扱いとうい点では向こうが明らかに劣る。

 また武器の取り扱いについても、ギュンターたちの方が間違いなく技量が上だった。


「よし、そろそろこっちも行動に移るぞ。向こうがこうして攻撃をしてきたんだから、反撃で壊滅してもいい。パトリックが交渉している場所に向かう訳にもいかないしな」


 ギュンターのその言葉に、部下たちはそれぞれ頷く。

 自信に満ちた状況を浮かべる部下たちの様子を確認すると、ギュンターは乗っていた騎兵を敵に向かって進めさせる。

 部下たちもそんなギュンターを追って、敵に向かって突っ込んでいく。


「来たぞ! 相手は黎明の覇者とはいえ、数は少ない! 俺たちに攻撃してきたことを後悔させてやるんだ! 行くぞ、行くぞ、行くぞぉっ!」


 敵は自分たちを鼓舞するように叫び、ギュンターたちに向かって突っ込む。

 ギュンターはそれを迎え撃つために行動し……そうして二つの集団は正面からぶつかるのだった。

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