第78話

 ギュンターが戦場を混乱させに行くということに話が決まる。

 ……最初にその提案をしたソフィアは、まだ完全に納得した様子を見せてはいなかったものの、今の状況を考えればそのようなことになるのは当然だったので、渋々ではあるがそんなギュンターの提案を受け入れた。

 そうなると、次の問題としては一体誰がギュンターと一緒に戦場を荒らしに行くかということになるのだが……当然ながら、ソフィアとイオ、レックスの三人は即座にその候補から外れる。

 ソフィアは言うまでもなく、そもそもソフィアを出さないためにギュンターが行くのだから当然だろう。

 イオはいざというときに流星魔法を使う必要があるし、戦闘技術という点でもかなり劣っており、馬への騎乗も出来ず、それ以前にイオはあくまでも黎明の覇者の客人であって傭兵ではない。

 レックスは黎明の覇者に所属する傭兵なのは間違いないが、まだ黎明の覇者に所属したばかりで本人の実力はそこまで高くはない。

 そのような状況である以上、レックスはイオの護衛としてこの場に残した方がいいのは間違いなかった。

 そうして選ばれたのは、三人。

 ギュンターを入れても四人で敵の戦力に攻撃をするというのは、イオにしてみれば自殺行為なのでは? と思ってしまう。

 とはいえ、まだイオのメテオによって多くの者が混乱し……あるいは混乱からは復帰していても、完全にいつも通りとはいかない。

 そのような状況である以上、ギュンターのような腕利きが少数の精鋭を引き売れて移動するのなら、問題はないということになったのだ。

 そのような状況でも心配だと言う者はいたが、ギュンターが自分の実力を信じないのかと言われれば、それに否と言える者はいない。


「では、行ってくる。そう時間をかけずに戻ってくるので、今はこの場所を……そして黎明の覇者の客人であるイオを守ることを優先して欲しい」


 その場にいた者たちにそう言うと、ギュンターは早速行動を開始した。

 馬に乗り、素早く立ち去る。

 そんなギュンターの様子を見送っていたイオは、すぐにソフィアからの言葉で我に返る。


「ほら、私たちも何があってもいいように準備を進めるわよ。ギュンターたちがいなくなったことで、こっちの戦力が減ったと考えた者が攻撃をしてくる可能性は否定出来ないのだから」


 そう告げるソフィアは、少しだけ不機嫌そうな様子を見せていた。

 本来なら、ギュンターの役割は自分がやるはずでいたのだ。

 実際にソフィアの実力はこの場にいる者の中では最も高い。

 それどころか、戦場となっているこの場所においても間違いなく最高峰の実力を持っているだろう。

 だというのに、今回の一件で出撃したのは自分ではなくギュンターだったのだ。

 もちろん、ソフィアもギュンターを始めとして自分の出撃に反対した理由は理解出来る。

 黎明の覇者が今のように纏まっているのは、ソフィアのカリスマ性があってのものなのだ。

 腕の立つ傭兵というのは、当然ながらその強さに相応しいくらいに気位が高い。

 そのような者たちをそう簡単に従えられるはずもなく、もし従えるとすれば、それは相手に実力を認めさせるしかない。

 黎明の覇者に所属する傭兵の多くは、そんなソフィアの実力を認めて、その下についている。

 ……それは分かっているが、ソフィアは自分の実力について十分に理解していた。

 それこそ敵とまともに戦うようなことがあっても、自分なら何とか出来るという自負はあったし、それに見合うだけの実績もある。


「ソフィア様!」


 ギュンターが出ていってから、十分ほどが経過した頃、不意に傭兵の一人がソフィアの名前を叫ぶ。

 一体何があったのかといった視線を声のした方に向けると、叫んだ傭兵が指さす方向にはベヒモスの骨の方に……つまり、今ソフィアたちがいる場所に向かってくる二十人ほどの集団があった。


「敵? いえ、それにしては……」


 この状況で自分のいる場所にやって来るのだから、敵だろう。

 そう考えて魔槍を握ったソフィアだったが、近付いてくる集団からは敵意や殺気といったものは全く感じない。

 つまりそれは、ソフィアたちに向かって攻撃をしかけるためにやって来た者たちではないということを意味している。


「どうします? 自分が行きましょうか? 向こうはどうやら交渉を望んでいるようですが」


 傭兵の一人がそう告げるものの、ソフィアは首を横に振る。


「いえ、私が行くわ。この状況でこのような手段に出て来たということは、何かあるんでしょうし。……出来れば、このまま大人しく撤退してくれるのが助かるわね。一応護衛として何人かついてきなさい」


 今のこの状況でソフィアだけを相手のいる場所に行かせる訳にはいかない。

 今はこちらを攻撃してくる様子はないものの、それはあくまでも今の状況での話だ。

 あるいは何かを企んでいて、敵意の類を隠しているという可能性も十分にあった。

 ……もっともソフィアの実力を考えれば、相手がそのようなことを考えていたとして、それを実行出来るかどうか。あるいは実行しても成功するかどうかは、全く別の話なのだが。

 戦場を荒らすのに向かったのはギュンターだったが、それはギュンターが黎明の覇者の中で一番腕が立つからではない。

 純粋に腕が立つ者となれば、それはあくまでもソフィアなのだ。

 黎明の覇者を率いる団長だからこそ、少数で戦場を荒らす行為に出るような真似はしなかったが。

 そんなソフィアを相手に、たとえば不意打ちのような真似をしてどうにかなるか。

 黎明の覇者に所属する者なら、ほぼ全員が否と言葉を口にするだろう。

 だからこそ、ソフィアが直接出向くという言葉に先程とは違って反対の言葉を口にする者はいない。

 護衛を連れていくと言ったのも大きいのだろうが。


「では、行きましょうか」


 ソフィアはその言葉と共に、選ばれた護衛と一緒に進み始める。

 当然の話だが、ベヒモスの骨の側に残っている者たちは向こうが何かしたら即座に対応出来るように準備を整えていた。


(俺は特に何もやることがないんだよな)


 現時点において流星魔法に特化しているイオは、杖を手にそんなことを思う。

 まさかここでメテオを使う訳にはいかない。

 ミニメテオという対個人用の流星魔法はあるものの、発動までに時間がかかるので、不意を打つのでもない限り相手に命中させるのは難しい。

 なら、弓は? そう思ったが、イオは弓を使ったことがほとんどない。

 そんなイオがここで弓を使おうものなら、射られた矢は敵……どころか味方に背後から襲いかかってもおかしくはない。

 当然ながらイオもその辺りの事情については理解しているために、わざわざ自分で弓を持ちたいとは言わない。

 ……それ以前に、もし言ったとしてもイオが弓を使い慣れていないというのは別の理由で、却下されていた可能性が高いが。

 盗賊対策として持ってきた矢の大半は、ベヒモスとの戦いで相手を牽制するために使われている。

 それだけに、矢の残りはそう多くはないのだ。

 イオにそんな数少ない矢を使わせるくらいなら、きちんとした技量を持つ者が使った方がいいのは間違いのない事実。

 それはイオも承知しているので、今の状況で自分が弓を持とうとは思わないが。

 とはいえ、それはあくまでも今だけだ。

 魔法使いであるイオだが、その魔法は威力が高すぎたり、発動に時間がかかったりといったように欠点も多い。

 そのようなイオだからこそ、何かあったときに弓を使えるようになっておきたいという思いはある。


「ほら、イオさん。ソフィア様が向こうと接触しますよ」


 弓について考えていたイオは、レックスの言葉で我に返る。

 そうして視線を向けると、そこではレックスが言うように護衛を連れたソフィアが近付いてきた二十人ほどの集団と接触するところだった。


「大丈夫だと思うか?」

「どうでしょうね。僕には分かりませんが、あの集団は特に敵意や殺意の類がないらしいので、問題はないと思います。……ただ、もし何かあっても僕やイオさんの出番は多分……」

「だろうな」


 残念そうに言いながら、イオはソフィアの方を見るのだった。


「さて、私が誰かはもう知ってると思ってもいいのよね?」

「ああ。黎明の覇者の団長、ソフィアだな?」


 ソフィアの問いに、集団を率いていると思われる男がそう言ってくる。

 そんな男の様子に頷いたソフィアは、魔槍を手にしたまま尋ねる。


「そうね。私はソフィアよ。それで、貴方たちは一体誰なのかしら? 見たところ、私たちと敵対するつもりはないようけど」

「そうだ。俺はあんたたちと敵対するつもりはない。俺はランクC傭兵団の白き眼球の副団長、パトリック。……ここにはちょっとした交渉でやって来た」

「交渉? 今のこの状況で交渉出来る何かがあるとでも? 私たちの力が分かっている以上、戦いを挑むような真似はせず、撤退することをお勧めするけど?」

「こちらもそのつもりだ」

「あら」


 パトリックの口から出たその言葉は、ソフィアにとっても驚きだった。

 敵意や殺意がないのは分かっていたし、交渉するつもりでやって来たというのだから、たとえばイオの身柄を寄越せとまではいかずとも、ベヒモスの素材を渡して欲しいくらいのことは言ってくるのだと思っていたのだが。

 しかし、その口から出たのは撤退するつもりだというもの。

 このような状況で、意外に思うなという方が無理だった。


「なら、撤退すればいいでしょう? それに交渉という話だったけど?」

「そうだ。俺たちはこのまま撤退する。だが……そこに隕石を落とされるのは困る」


 その言葉は、聞いている方にしてみれば当然と思えるものだった。

 誰であっても、撤退している最中に隕石を落とされるといったような真似をされるのは困るだろう。

 ましてや、その隕石を防ぐ術はないのだ。

 魔法やマジックアイテムによって障壁や結界の類を展開しても、隕石が落ちたときの威力を見れば、とてもではないがそれを防ぐことが出来るとは思えない。

 そういう意味では、こうして直接隕石を放っている者たちに対してそれを行わなないように交渉に来るというのは、間違ってはいなかった。

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