第44話

「イオさん!」


 ルダイナとの話を終えて、取りあえず荷物の積み込みを自分も手伝うと言ったイオの世話役として呼ばれたのはレックスだった。

 イオにとって顔見知りの相手はレックスしかいないのだから、ルダイナがレックスを呼ぶのも当然だろう。

 ただし、レックスも昨日黎明の覇者に所属したばかりで、黎明の覇者の中に知り合いはそこまで多くない。

 それでもイオと他の面々との潤滑剤として働いて貰えるだろうと判断されたのだろう。


「レックス、よろしくな。それで荷物を運ぶってことだったんだけど、何をすればいい?」

「え? あ、そうですね。なら……」

「そっちの矢筒を運んで貰えばいいんじゃないか?」


 イオの言葉にレックスがどうすればいいのかと迷った様子で周囲に視線を向けるが、そんなレックスを助けるように近くにいた男がレックスにそう声をかける。


「アイゼッハさん。……そうですね。じゃあ、イオさん。そっちにある矢筒を運んで貰えますか? 弓を武器にする人はそれなりにいるので、矢はいくらあってもいいんですよね」

「そんなに弓を主力にする人が多いのか?」

「んな訳ねえだろ。弓はあくまでも遠距離から攻撃をするときに一時的に使って、敵が近付いてくれば普通に他の武器を使うんだよ」


 疑問を口にしたイオに、アイゼッハは呆れたように言う。

 イオはてっきり弓は弓で専門家がいるとばかり思っていただけに、アイゼッハの言葉は意外だった。


「そうなんですか? 弓は専門の人がいると思ってますけど」

「もちろん、そういう連中もいるさ。ただ、そういう連中はそういうことが出来る技量があるからこそだ。俺達はそこまでの技量はないが、それでも全く弓を使ったことがない訳じゃねえ。正確に相手を狙って矢を射るって真似が出来なくても、先制攻撃の意味で大量に矢を射るといったことは出来る」

「なるほど。正確に狙わなくてもいいのなら、俺でも何とか出来そうですね」

「一応聞いておくが、弓を使ったことはあるのか? 魔法使いの中には魔法に特化してるだけで、それ以外は全く駄目って奴も多いけど」

「……その、弓を使ったことはないです」


 イオにしてみれば、矢を大量に射るといったようなときなら、特に訓練らしい訓練をしていない自分でも手伝えると思ったのだが……アイゼッハは首を横に振る。


「なら、やめておけ。弓だって壊れれば修理費が必要になる。それに最悪、味方に矢が飛んでいくなんてこともあるかもしれねえからな。まぁ、弓を使わなくても矢を運ぶことは出来るんだし、手伝ってくれる気があるのならレックスと一緒にその矢でも運んでくれ」


 アイゼッハの指示に従い、イオはレックスと共に矢を運ぼうとする。

 矢というのは、一本ずつならそう重いものではないが、その矢が十本、二十本と入った矢筒ともなれば相応に重い。ましてや、木箱の中にそんな矢筒が複数入っていれば重量は相当なものとなる。


「ぐ……なかなかに重いな」


 この世界に来てから数日は山の中でゴブリンと命懸けの鬼ごっこをしていたので、脚力や持久力という点では日本にいたときよりも鍛えられている。

 しかし、腕力という点ではそこまで鍛える必要がなかったのも事実だ。

 一応、ゴブリンメイジから奪った杖を持ち歩いていたものの、杖にそこまでの重量はない。

 だからこそ、イオの腕力その物は日本にいたときと同じ……あるいは強くなっていても少しだけといった感じだったのだが、そんなイオの腕力では矢筒が複数入っている木箱を持つのは難しい。

 重量的には、三十キロくらいはあるのではないかと思えた。

 イオの家では親戚の米農家から毎年米を買っている。

 その買った米を両親がトラックで家まで運んできて、それを下ろすのを毎年のように手伝わされていた。

 そして米……正確には玄米の入っている袋は、一袋三十キロなのだ。

 その玄米を精米するので、実際に食べられる白米は三十キロにも及ばないのだが。

 ともあれ、現在イオが持っている木箱はその玄米と同じくらいの重さがあった。

 そんな木箱を馬車に向かって運んでいると……


「うおっ!」


 不意に足に何かが引っかかり、地面に転ぶ。

 当然ながら、そうなるとイオが持っていた木箱に入っていた矢筒も地面に転がる。

 木箱を持っていたので受け身を取ることも出来なかったイオは、木箱と一緒に地面に転がった。


「あれあれー? この程度の荷物を運ぶことも出来ないなんて、マジックアイテムしか取り柄のない奴はひ弱だなぁ」


 地面に倒れたイオは、そんな声に倒れていた身体を起き上がらせる。

 声のした方に視線を向けると、そこには数人の男女の姿。

 全員が今のイオと同じか、少し上といった年齢の者たちで、目にはイオに対する侮りの色がある。


「ちょっと、何をしてるんですか!」

「黙れ、レックス」


 イオの様子を見て、慌てて近付いてきたレックスを睨み付け、集団のリーダー格と思われる男が口を開く。


「そもそも、黎明の覇者に所属してる訳でもない奴が、何だっていかにも俺たちに仲間です、なんて顔をしてるんだよ」

「黎明の覇者を率いるソフィアさんから、客人という扱いを受けてるだからだけど?」


 ローブについていた土を払いながらそう言うイオに対し、男は余計に苛立ちを露わにする。

 自分たちの方が圧倒的に強者でる以上、まさかここで言い返されるとは思っていなかったのだろう。


「それにしても、黎明の覇者はランクA傭兵団と聞いていたけどこういう程度の低い奴もいるんだな」

「ああ? 何だと? ……てめえ、上の人たちに気に入られてるからって、いい気になってるんじゃねえぞ」

「ちょ……二人とも、止めて下さいってば! イオさんは上の人たちに勧められて僕たちと行動を一緒にするんですよ!? そんなイオさんにこんなことをしたらどうなるか、分かってるでしょう!?」

「そうだな。取りあえず今の一件はこの件が終わったらソフィアさんに報告させて貰うか」

「はっ、自分の力でどうしようもないのなら、すぐ上に泣きつくのかよ。……そんな真似をしてみろ。どうなるか、分かってるだろうな?」

「どうなるかは分からないな。けど、お前たちにとって不都合なことは分かる。……客人の俺が気に入らないからといったちょっかいをかけてくる傭兵。しかもまだ見習いでしかない奴。さて、この場合はどっちにとって不利な結論になるんだろうな」

「……てめえ……」


 イオの言葉に、男は不満そうな様子で睨み付ける。

 いや、それはイオと話していた男だけではなく、ちょっかいを出してきた男の周囲にいる取り巻きたちも同様だった。

 そしてイオの側では、レックスが何とかこの場を収めようと考えているものの、何か思いつくようなことはないらしいい。

 そしてイオは、ここで相手に侮られるようなことになれば今後色々と不味いと判断して男たちを睨み返す。

 内心ではこのまま乱闘騒ぎになれば危ないかもしれないという思いはあったが。

 ゴブリンとの命懸けの鬼ごっこ、レックスに暴行していた者との一件、ウルフィの信奉者による一件……短期間でこれだけのトラブルに巻き込まれている。

 そういう意味では、今回の一件もある程度対処出来るのではないか?

 そう思わないでもなかったが、これまでイオが遭遇したトラブルと今回の一件は大きく違うところがある。

 それはイオの前にいるのが、見習いとはいえ黎明の覇者に所属する傭兵であることだろう。

 見習いであっても、黎明の覇者に所属している者の実力は相当に高い。

 黎明の覇者では見習いでも、他の傭兵団に所属した場合は即戦力として期待出来るだろう。

 レックスのような例外もいるので、見習いの全員が即戦力という訳ではないのだろうが。

 そうしてお互いに睨み合っているところで、不意に声が響く。


「おい、何をやってる!」


 その声を発したのは、今回の盗賊団討伐を指揮しているルダイナ。

 地面に落ちている多数の矢筒を見て、イオとレックスを見て、そして最後にイオたちに絡んでいた相手を見ると、何となく理解出来たのだろう。

 厳しい表情を浮かべ、口を開く。


「何があった?」


 ルダイナのその言葉に、イオが口を開こうとした瞬間、それを遮るように……いや、実際にイオに喋らせたくなかったのだろうが、絡んで来た男が口を開く。


「ちょっとした話し合いだよ、話し合い。客人のことはしっかりと理解しておきたかったからな。……それも終わったから、俺たちはもう行くよ」

「待て」


 その場を去ろうと……あるいは逃げ去ろうとする男たちに、イオが声をかける。

 イオの隣では、レックスがせっかく穏便にすませられそうなのにといった表情を浮かべていた。


「これはお前のせいで散らかったんだ。なら、それをやった奴が片付けるのは当然だろう?」

「てめえ……」


 イオの言葉に、立ち去ろうとしていた男が苛立たしそうな視線を向ける。

 このままだと面倒なことになるから見逃してやろうと思ったのに、この台詞だ。

 自分の方が強者であると認識している男にしてみれば、イオの言動に苛立つなという方が無理だった。


「そうなのか、ドライン。これはお前がやったのか?」


 イオの言葉を聞いたルダイナは、イオを睨み付けているドラインという男に尋ねる。

 そんなルダイナに、ドラインは面倒そうな視線を向けるが……それでも、ここで違うと言っても状況から決して信じて貰えないだろうと判断し、頷く。


「ああ、そうだよ。ちょっとした手違いではな」


 それでもイオの足を引っかけて転ばせたと言わないのは、ルダイナに目を付けられるのは嫌だったからだろう。


「そうか。この状況を作ったのがドラインなら、その後始末をするのもドラインの仕事だろう」


 暗に片付けろと言われたドラインは、何で自分がという思いを抱きつつも、自分よりも強いルダイナの言葉だからと持っていた槍を仲間に預け、地面に転がっていた矢筒を木箱に集め始める。

 そうして最終的に矢筒を全て集めると、イオを睨み付けてからその場を去っていく。


(これは、今回の盗賊討伐……面倒なことになりそうだな)


 自分から喧嘩を売った……あるいは買った形になったにもかかわらず、イオはそんな風に思うのだった。

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