第37話

「ふぅ……うおっ!」


 色々な意味で疲れた……それでいて非常に美味な料理を楽しめ、ローザのような極めつけの美人と一緒のテーブルで食事をするという夕食の時間を終えたイオは、自分の部屋に戻ってきてベッドの上に倒れ込むとその柔らかさに驚く。

 まさに身体全体が布団に包み込まれるかのような、そんな感触。


(あれ? でも日本にいたときに見た通販番組だと、高反発マットレスとかがかなり人気だって言ってたような。だとすれば、こういう柔らかい布団って実は身体に悪いんじゃ?)


 そう考えるイオだったが、実際に自分がこうして布団の上で眠っているとかなり気持ちがいいのも事実。

 こうして布団の上でゆっくり出来るのなら、多少健康に悪くても構わないとすら思ってしまう。

 日本で高反発マットレスの人気が高いのは事実だが、それとは正反対の低反発マットレスというのも人気があった。

 イオはそのことを知らなかったが、もし低反発マットレスを使っていたら、そちらの方に心を奪われてもおかしくはないだろう。


(さすが最高級の宿だよな……まさか、こんな場所で眠れるなんて、思ってもいなかった)


 昨日まで、イオが寝るのは木の上だった。

 木の幹や枝に蔓を紐代わりに使い、自分の胴体をしっかりと結んでそこから落ちないようにして。

 当然ながら、そのような状態では安眠出来るはずもない。

 いつゴブリン、あるいはそれ以外のモンスターに襲撃されるのか分からないのだから。

 風で木の枝の葉が音を立てる程度で目を覚ますことが少なくない。

 そのような状況だけに、今日になって突然このような高級な宿に泊まってもいいのか? と思ってしまう。

 こうしてベッドの上で寝転がっていると満腹になっていることも関係あってか、目がゆっくりと閉じられていく。

 このままだとぐっすりと眠ってしまいかねない。

 それは分かっていたが、そんな睡魔に抵抗するような真似は出来ず……イオはそのまま眠りに落ちていくのだった。






「わざわざ来て貰ってすまないな」

「いえ、黎明の覇者の中でも名前を知られているギュンターさんの呼び出しとなれば、断るような真似は出来ませんよ」


 酒場……それもただの酒場ではなく、相応の身分のある者しか入れない会員制の酒場の個室でギュンターはウルフィと会っていた。

 お互いに腕利きの傭兵として知られているが、幸いにも友好的な雰囲気が周囲には漂っている。


「そうか。……さて、早速だがいくつか話す必要がある。まずはイオの件だ。どうやら口を滑らせたらしいんだが、その件を誰かに喋ったりはしたか?」

「まさか」


 一瞬の躊躇もなく、ウルフィは首を横に振る。

 正直なところ、ウルフィはイオが口を滑らせたとはいえ、その言葉を全て信じている訳ではなかった。

 もしかしたら……という思いがない訳でもなかったが、それでもやはり嘘の可能性が高いだろうと思っていたのだ。……こうしてギュンターと会うまでは。

 ギュンターほどの人物が実際にこうして動いているとなると、イオの言葉は真実の可能性が高い。

 信じられない……とても信じられない内容ではあったが、ギュンターがこうして動いていることで納得出来てしまう。


「そうか。ならいい。それで……これまでは話さなかったらしいが、これから話す予定は?」


 そう尋ねるギュンターの視線は、物理的な圧力をもっているのかのようにウルフィに突き刺さる。

 今の状況を思えば、自分がそのような視線を向けられてもおかしくはないと思う。

 もし返答を少しでも間違ったら、それこそここで命懸けの戦いが行われるのではないかとすら思えるほどのプレッシャーをギュンターは放っている。

 普通ならとてもではないが身動き出来るような状態ではないのだが、そこはウルフィもソロでランクBまで上がってきた傭兵。

 ギュンターのプレッシャーを感じつつも、動揺した様子を見せずに口を開く。


「今のところは、そんなつもりはないですよ。下手にこの情報を売ると、面倒なことになりそうですし」

「そうか。なら、出来ればそのままずっと情報を売るような真似はしないで欲しいな。……取りあえず次だ。ギルドでお前とイオが話しているときに乱入してきた奴は知ってるな?」

「え? ……うわぁ……もしかして……」


 突然話題が変わったので意表を突かれたウルフィだったが、話の流れから何となく予想出来たらしい。

 心の底から嫌そうな表情を浮かべ、ギュンターの顔を恐る恐るといった様子で見る。

 自分の予想が間違っていて欲しい。

 そう願いながら行為だったが……ギュンターの口から出たのは、ウルフィにとっては聞きたくない言葉だった。


「お前を相手に口の利き方や態度が悪かったら、教育をしようとしたそうだ。それも一人ではなく、何人も仲間を引き連れてな」

「うげ」


 ウルフィの口から出たのは、聞き苦しい呻き声。

 予想してはいたが、出来るだけ違っていて欲しかったことが見事に命中してしまったのだ。

 先程までのギュンターとのやり取りは全く忘れたかのように、テーブルに突っ伏す。

 そんな状態のまま、ウルフィは口を開く。


「それで、彼はどうなったんですか?」

「安心しろ、無事だ。色々と危ないところだったが、黒金の誓いのジャミレに助けられたらしい」

「ジャミレさんに……?」


 いきなり出て来た名前に、突っ伏していたウルフィは顔を上げた。

 ウルフィもジャミレの名前は知っている。

 相応に腕利きの傭兵団ではあるが、傭兵団に色々と問題を起こす者が多く、そのペナルティとしてなかなかランクが上がらないというもの。

 ただし、ジャミレの部下やジャミレが問題を起こすのは、あくまでも義理や人情のためであったり、理不尽に対抗するためのものだ。

 だからこそ問題を起こして傭兵団のランクは上がりにくいものの、他の傭兵団や住人たちからは慕われている。

 ……黒金の誓いという傭兵団を知らない者や初めて見る者は、ジャミレの強面の顔に怖がって怯えるようなこともあったが。

 ともあれ、ウルフィにとってもジャミレや黒金の誓いは好意的な存在であるのは間違いない。

 そんなジャミレたちにイオが助けられたと聞き、安堵しつつも自分のせいで迷惑をかけたと思ってしまう。

 実際にはイオに絡んだ男の件はウルフィが命令した訳ではないので、必ずしもウルフィのせいという訳ではないのだが。

 だが、そのようなことをする男であると知った上で、ウルフィが今まで対処しなかったのも事実。

 もしウルフィがもっと厳しく言っておけば、今回のようなことが起きなかった可能性もあるのだから。

 あるいは、実はウルフィが知らないだけで以前から似たようなことを行っていた可能性もある。

 そう考えたウルフィは、以前何度か不自然に自分と連絡が取れなくなったり、繋がりのなくなった者たちのことを思い出す。

 傭兵や冒険者といった者が大半だったので、依頼を失敗したり戦いで死んだり、もしくは自分が今やってることが虚しくなって何も言わずに姿を消す……といったようなことをしても、おかしくはない。

 現にウルフィもそういうものだと考えていたのだが、もしかしたらと思ってしまうのも事実だ。


「イオは黎明の覇者が保護している人物だ。そのイオがいきなり襲われたとなれば、それは黎明の覇者の顔に泥を塗ったようなものだ」


 ギュンターの言葉にウルフィは反論出来ない。

 実際にその言葉は間違いなく真実であったし、イオから黎明の覇者に保護されているという話を聞いてもいたのだから。


「つまり?」


 テーブルに半ば倒れるようにしていた状態から上半身を起こし、ウルフィはギュンターに尋ねる。

 この時点でウルフィはギュンターが何を提案するのかは予想出来ていた。

 イオの情報を知ったウルフィだったが、ウルフィが厳しく注意しなかった影響で行動をエスカレートさせた男の件を相殺し、その情報を誰にも言うなといったものだろうと。

 ウルフィにしてみれば、正直なところその取引を受け入れても構わない。

 イオの情報を入手したものの、別にウルフィはそれを誰かに売ったりしようとは考えていなかったのだから。

 だからこそ、ギュンターの次の言葉には驚く。


「黎明の覇者に入団しないか?」

「……は?」


 てっきりイオの情報の件について口にするのかと思っていたら、ギュンターの口から出たのは完全に予想外もの。


「えっと、今のは聞き間違い……じゃないですよね? もしそうなら、私に黎明の覇者に入団しろと言ったように聞こえたんですが」

「その通りだ。聞き間違いじゃないから安心しろ、ウルフィはソロでランクBまで上がってきた腕利きだ。俺たちが欲しいと思ってもおかしくないだろう?」

「それは……」


 ウルフィは何も言えなくなる。

 実際、ソロでランクBまで上がるというのは、相当な強さが……いや、強さだけではなく、頭の良さが勘の鋭さや運といったものも必要となる。

 ウルフィがそれを持っているのは明らかだった。

 そうである以上、黎明の覇者がウルフィという人材を欲してもおかしくはない。

 おかしくはないのいだが……だからといって、ウルフィがそれを受け入れるかどうかは別だった。

 ウルフィは元々自由に生きたいのでソロで活動している。

 もしウルフィがどこかの傭兵団に入りたいのなら、もっとランクが下のときに入っていただろう。

 そんなウルフィだけに、当然だがギュンターの言葉に対して首を横に振る。


「今のところ、ソロで活動したいと思ってますので、どこかに入るつもりはないですよね。イオの情報の件は、彼に絡んだ件で相殺でしょう。だとすればこの勧誘は断ってもいいんですよね?」

「いいか悪いかで言われれば、正直なところ俺としてはよくないんだけどな。だが……まぁ、誘うのが少し急だったことは認めよう」


 ギュンターが強制的に自分をどうこうするつもりではないというのを知り、ウルフィは安堵する。

 安堵したが……その一瞬の隙を突いて、ギュンターは口を開く。


「けど、黎明の覇者に所属すれば、イオが色々と……それはもう、本当に色々と面白い光景を見せてくれるかもしれないぞ?」


 その言葉に、ウルフィの動きは一瞬止まるのだった。

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