わたしたちの日常

nobuo

* * *

「あれ?」


 学校からの帰り道、わたしは雑草で覆われた側溝にスマホが落ちていることに気が付いた。

 近づいて拾い上げるとスマホには三毛猫のイラストのカバーがつけられており、落とした衝撃のせいなのか、角から放射状にヒビが入っている。


(うわぁバキバキ…。きっと今頃メチャクチャ探してるんだろうな)


 三つ年上の姉が片時もスマホを手放さないのを思い浮かべながら、表面についた泥汚れを払う。するとまだ充電が残っていたらしく、画面がぱぁっと明るくなった。

 待ち受け画面には三人の着物姿の女性が、満面の笑みを浮かべてピースサインをしている写真。下が袴なのと見覚えのある長細い筒を手にしていることから、大学かなんかの卒業式なのだと思う。

 仲の良い友達同士で撮ったのだろうが、三人も写っていては誰が持ち主なのかわからない。


(そもそも三人とも知らない顔だけど)


 暫くするとスリープになったらしく、画面は真っ暗になった。

 さて、これをどうしたらいいんだろう。この辺りは”ど”が付くほどの田舎で、派出所までは結構距離がある。

 下校中だから自転車に乗っているとはいえ、ここから往復で三十分はかかる。心のどこかにめんどくさーいと呟く自分がいて、あったところにポイしちゃえと唆してくる。


(あ、そうだ。たける兄ちゃんに届けてもらえばいいじゃん)


 名案が閃いたわたしはスマホを自転車のカゴに放り込むと、すっきりした気持ちで自転車を走らせた。

 健兄ちゃんは近所に住む年の離れた幼馴染で、一応は村役場の職員だが、住民の七割が年寄りなせいもあって、実質は雑用係だ。

 ひょろりと背が高く、タレ気味の糸目がやわらかい印象を与える青年で、みんな気軽に何でも頼むから、健兄ちゃんはいつも忙しい。

 頭もいいし手先も器用だから、上京して企業に勤めればよかったのにと言ったことがあったけど、彼は苦笑いして首を横に振った。

 本人曰く、忙しないのは好きじゃないし、ここでのんびり暮らす方が性に合っている、と。

 その割にはいつも用事を頼まれて、忙しそうにあっちへこっちへと飛び回っている。

 そんな風に健兄ちゃんのことを考えていたら、前方の道の脇に一応公用車扱いの軽トラックが停まっているのに気が付いた。よく見てみるとよく知った猫背の人影がふらふらと車の周囲を覗き込んでいる。

 何をしているのか気になったわたしは、とりあえず声をかけてみた。


「健兄ちゃーん!」

「ん? おう、由那ゆな。おかえりー」


 わたしの声が聞こえたらしく、彼は屈めていた背中を伸ばし、こちらに向かって手を振った。


「ねえ、なにしてるの?」


 自転車を降りて健兄ちゃんのそばまで行くと、彼は苦笑いしながら「ちょっとね」と言葉を濁した。

 公務員なのだから言えないこともあるのだろうと察したわたしは、自転車のカゴからさっき拾ったスマホを取り出すと、健兄ちゃんに差し出した。


「これ、さっき側溝で見つけた落とし物。あとで派出所へ届けてほしいんだけど」

「ああ! それたぶん俺が探してるやつだ!」


 彼は受け取ったスマホを持って軽トラックに近寄ると、荷台を覆うシートの中を覗きながら、スマホの画面とを交互に見比べてうんうんと頷いた。


「やっぱりこれだ。由那ありがとう! ずっと探してたんだけど見つからなくて困ってたんだ」

「えー…、ってことは、また観光客のスマホなの? ってことはもしかして石川いしかわさんとこの孝男たかおさん関係?」


  訳知り顔で訊ねると、今度ははぐらかすことはせず、疲れた様子で笑って肯定した。


「またなの? しかもまた後片付けを健兄ちゃんに押し付けたの?」


 ムッと顔を顰めたわたしを、健兄ちゃんはまあまあと宥める。


「石川先生からも、面倒をかけてすまないが頼むとお願いされているから」

「でもこう頻繁じゃ健兄ちゃんも大変じゃない!」

「仕方ないさ。そもそもの発端は俺だからね」


 健兄ちゃんは一昨年、役場の仕事の一環で村のPR動画を作成し、無駄だと思いつつもYouTubeにアップした。すると意外や意外、村はずれの崖に掘られた古い防空壕が心霊スポットとして注目され、一時期オカルト好きが挙って押し寄せたのだ。

 騒ぎはすぐに収まったけれど、いまでもそれなりに人が訪れ、多少なりとも民宿や土産物店の売り上げに貢献してくれている。

 そしてそんな観光客(?)を狙うタチの悪いのが、村議会議員の石川氏の息子の孝男だ。もうすぐ五十歳になるニートは酒と女が大好きで、しょっちゅう観光客の女性を強引にナンパしては問題を起こしているのだ。

 面倒な後始末はすべて健兄ちゃんに任せて。


「そんなことない! 健兄ちゃんの動画のせいじゃないもん!」


 孝男さんはもちろんだけど、田舎だと思って油断している女性の方が悪いと言うと、健兄ちゃんはコツンとわたしの頭に拳骨を落とし、そういうことを言ってはいけないと窘めた。


「由那だっていつどこで何に巻き込まれるかわからないんだから、そういうことを言うんじゃない」

「…だって」

「まあ俺のことを心配してくれるのは素直に嬉しいけど。ありがとうな」

「…」


 小さな子供にするように頭をポンポンと撫でられ、気恥ずかしくなったわたしは健兄ちゃんの脇腹をぎゅっと抓った。


「いたた。とにかくそういうこと・・・・・・だから、今夜あたりまた由那んちの裏山に入らせてほしいんだけど、おじさんに伝えてくれるか?」

「うん、わかった。何時くらいになりそう?」


 孝男さん関連の後片付けはいつも同じ流れだから、わたしはすぐに頷くと、山に入る時間を訊いた。


「そうだな。だいぶ日が長くなったから、夕方の五時くらいでも明るいよな」

「そうだね。あんまり暗くなるとイノシシが出るもんね」


 話をしながらわたしは健兄ちゃんと一緒に、路肩に停められた軽トラックへ向かう。すると車のドアを開けた後、彼がそのままの格好で静止した。


「どうしたの?」


 急に動かなくなった健兄ちゃんに声を掛けると、彼はわたしを振り返り、一緒に乗っていくかと訊いてきた。


「え、でも自転車だし」

「荷台に乗せればいいだろ」

「ホント? じゃあ乗ってく!」


 いそいそとトラックの後ろに回ると、健兄ちゃんが荷台のシートを捲り上げ、後部フレームを開けた。

 

「乗るかな?」

「大丈夫だよ。これ・・の上に重ねても、どうせ埋めるんだから問題ないだろ?」

「あんまり気分はよくないけどね」


 そう言って先に積載していた荷物・・を端に押しやり、健兄ちゃんは軽々と自転車を持ち上げて荷台に乗せてくれた。

 自転車が揺れないようにゴム製のバンドで固定すると、フレームを戻して再びシートを被せた。


「じゃあ、よろしくお願いします!」

「現金だなぁ」


 ご機嫌で助手席に乗り込んでシートベルトをしたわたしを見て、健兄ちゃんが楽しそうに笑う。自身もちゃんとシートベルトを着けると、エンジンをかけて車を発進させた。

 軽トラックはそこそこ古いが、車内は几帳面な健兄ちゃんが掃除をしているみたいでとてもきれいだ。

 ダッシュボードの上には数冊のファイルとバインダーが乗せられており、一番上の書類は健兄ちゃんのスケジュールらしく、終了した仕事には赤い線が引かれている。


「健兄ちゃん、こんなにいっぱい仕事があるの⁈」

「まあ、役場も人手不足だからね」

「そうだね、健兄ちゃん『なんでも課』の課長さんだもんね」


 些か皮肉気味に返したが、健兄ちゃんは声をあげて笑った。


「さっきの話だけど、孝男ニートの頼みなんて毎回聞かなくていいんじゃないの」


 やっぱりどうしても納得がいかなかったわたしが話をぶり返すと、運転中の健兄ちゃんは前を向いたまま返事をした。


「大丈夫だよ。本当に無理なら断るから。それに孝男さんの頼みを受けるのは、俺にもメリットがあるからね」

「あ~~~、…なるほどね」


 メリットと言われて漸く合点がいった。

 健兄ちゃんはすごくいい人だけど、一つだけ困った趣味があるからだ。


「孝男さんが、後片付けをすればこれ・・をくれるって言うんだ。だからつい、ね」


 細い目を更に細めて自嘲する健兄ちゃんに、わたしはやれやれと嘆息した。


「じゃあしょうがないね。もういいよ。数年後にはわたしも公務員になって役場に勤めて、健兄ちゃんの手伝いをするから」

「ホントかぁ?」

「ホントだよ。それでいつかはお嫁さんになってあげるから、健兄ちゃんはちゃんとプロポーズしてね」

「あははっ。考えとくよ」


 健兄ちゃんは笑ったけど、わたしはかなり本気だ。というか、わたしぐらいしか健兄ちゃんと結婚しようなんて人はいないと思う。

 なぜなら健兄ちゃんの趣味はかなり変で、他人の秘密を知るのが好きなのだ。特に秘密がぎっしり詰まったスマホは、宝箱のようだと言う。

 そして孝男さんは、最低な趣味のせいでスマホが不必要になった人のそれ・・を対価に、健兄ちゃんに片付け・・・を頼んでくる。


 自宅近くまでもうすぐといった辺りで、せっかく楽しい雰囲気の車内に、水を差すようにスマホのコール音が鳴り響く。わたしはまだスマホを持ってないし、健兄ちゃんのスマホとも違うメロディ。

 音源を視線で探すと、健兄ちゃんが何気にポケットにしまっていた先ほどのスマホを取り出した。


「誰から?」

「”お母さん”って表示されてるな」

「このスマホ、こんなに割れてるのにまだ生きてるんだね」

「画面が割れてるだけだからな」


 急がなきゃいけないかな? と独り言ちた彼は、僅かトラックのスピードを上げた。

 間もなくわたしの家の前に着くと、健兄ちゃんは速やかに荷台から自転車を下ろす。焦っているのか積んであった荷物・・にハンドルが引っ掛かり、青白い腕がぶらんと外に垂れ下がった。


「おっとっと。じゃあ、また後でな」

「うん。送ってくれてありがとう」


 バイバイと手を振って軽トラックを見送ったわたしは、穴掘りの手伝いをするために先に宿題をしなければ、と、急いで家に駆けこんだ。 





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

わたしたちの日常 nobuo @nobuo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説