第114話 ガーネックさんと、悪夢と、ねずみ


「まだだ、まだ、やり直せる………そうだ、この紋章がある限り………?」


 ぼんやりとした意識で、ガーネックは指輪を見つめる。おかしいと気付いて、回りを見渡す。


 ここは商業組合の受付だ。


 だから、おかしかった。

 指輪にある紋章は、裏の社会での、ガーネックの紋章であった。お酒のボトルとコインの山をあしらった、表では、間違えても見せてはならない紋章だ。

 今朝の呼び出しでは身につけていたが、昼前に戻ってからは、すぐに書斎の隠し扉に隠したはずなのだ。


 寝ぼけているのか………


 横を見ると、いつもサスペンス小説を読む、銀行支店長がいた。


「お前、ヤバイんじゃないのか?」


 らしくも無い、いやらしい笑みを浮かべていた。

 転落中と言う自覚があっても、裏側の話である。知っているはずが無いと思いつつ、いつもの商業スマイルを浮かべた。


 私は、善良な金融業者です――


 自称であっても、ガーネックは大変腰の低い姿勢で、相手のイヤミにも、恨みの声にも笑って笑顔を振りまく、金融屋さんなのだ。


「はて、何のことでしょう………私は――」


 言いかけて、ガーネックは周りを見渡した。


 商業組合において、ガーネックは良い印象をもたれていない。

 その自覚はあっても、ガーネックは気にしないのだ。弱みに付け込んで、搾り取るのがガーネックなのだ。

 金を貸してくれるなら、ありがたい――という方々を、囲い込むだけだ。


 その結果――


「裏賭博に、銀行強盗に、宝石強盗に、裏オークションに………大変だな、全部が頓挫とんざして、お前が裏を引いてる証拠も、ここにある」


 サスペンス小説を読んでいたはずの銀行支店長が、気付けばガーネックの書斎にあるはずの帳簿を持ち出した。


 あぁ、悪夢だ――


 ガーネックは、あまりにもリアリティーがあり、あまりにも整合性が無い今の状況に、思い至った。


 夢だと。

 ガーネックが恐れる、悪夢だと。


「そ、それは………」


 ガーネックは、動揺した。


 自分でも笑ってしまうが、悪夢だ、夢の中の出来事だと分かっていながらも、この悪夢は目覚めてくれない。夢の中の登場人物である自分もまた、目覚めることが出来ないのだ。


 ガーネックは、指輪を見つめて、つぶやいた。


「ま、まだだ、まだ、私はやり直せる。この指輪がある限り――」


 ガーネックは、恐怖した。

 夢だと思っていても、夢から醒めないらしい。確かに指にしていた指輪が、なくなっていた。


 もっとも、このような場所でひけらかした瞬間に、ガーネックの人生は終わってしまう。裏の書類のための紋章を、表の世界である商業組合で見せ付けてどうするのか。


 夢だからとしか、いいようがない出来事の連続なのだ。

 自分を見つめるガーネックの冷静な部分は、笑っていた。早く、目覚めてくれないかと………


 悪夢が、加速した。


「証拠は、ここだ」

「ここにもあるぞ」

「こんなのもあるぞ」

「そうだ、そうだ」


 安っぽい演劇のようだ。


 安っぽい演劇に出てくる銀行強盗を実演した、仮面の強盗団が登場した。 目の部分だけを隠す、仮面舞踏会の仮面をつけた仮面の強盗団が、現れた。


 しかも、カバンの中からは、なぜかガーネックが関わった犯罪の証拠が出てくるのだ。

 しかし、カーネナイの若き当主に、ニセガネの銀貨を作るようにそそのかした事件や、そのお屋敷を手に入れ、オークション会場にする計画書だ。


 そんなものは存在しないのに、作った事になっている。

 なんと言う悪夢であろう、しかし、夢とはそういうもので、不安が大げさに形作られるものだ。


 ガーネックさんは、夢の中で叫んだ。


 やめてくれ――と


 気付けば、全員が警備兵の服装をしていた。仮面をはがした強盗団や、安っぽいサスペンス小説を読んでいた銀行支店長をはじめとした、商業組合にいたお客も、職員も、全員だ。


 もはや、笑うしかない。

 しかし、ガーネックは恐怖した。


 そして、叫んだ。


「そ、そんな、バカなぁああああ――ああぁ?」


 ガーネックさんは、お目覚めのようだ。

 細かな模様が彫りこまれた上に、金メッキを施された豪華すぎるイスに踏ん反りかぶって、悪夢にうなされていた。


 ここは現実だろうかと、ガーネックさんは周りを見渡す。心が満たされる、黄金の輝きに、銀に、宝石の輝きにあふれた、書斎であった。


 ガーネックさんは、ため息をついた。


「はぁ~………夢か、そうだ、そうだよな………」


 目の端には、空になった酒瓶があった。

 よくぞ、落とさなかったものだ。金細工が施された、無駄に細かなつくりのグラスを手にしたままだ。

 ガーネックさんは、一人で酒盛りをした挙句、悪夢の世界へといざなわれたようだ。


 今朝の、呼び出しが原因だ。


「はぁ………馬鹿らしい………いや、裏社会の連中に囲まれるよりは、ましか」


 乾いた強がりが、手にしたグラスに映る。

 疲れた笑みと言う自らが見返してくる、のし上がる自信にあふれていたのは、いつのことだろうか。


 気分を変えようと、お昼にもなっていないのに、ガーネックはお酒を召し上がったのだ。

 あまり強くないのか、気が緩んだためなのか、そのまま悪夢の世界へと旅立った。


 わずかに、空腹も覚えていた。


「………昼すぎか――」


 オヤツには、少し早い時間帯である。

 それでも、空腹を訴えて当然だ。お酒を召し上がっただけで、ガーネックさんはお昼ぬきだったのだ。


 これも、緊張の連続と、恐怖の連続のなせる業であった。食堂へ向かおうと、机に手を置いて立ち上がって――


 そこに、ねずみがいた


「………ちゅう?」


 ねずみが、鳴いた。


 ガーネックさんの目の前には、間違いなくねずみがいた。

 それは、見てすぐにねずみと分かる姿の、手のひらに乗る小さなねずみであった。


 しかし、ガーネックさんがその状況を理解するために、しばし時間が必要であった。


 書斎に、ねずみが現れる。

 なくは無い、ねずみよけのまじないがあっても、完璧ではない。どこかから迷い込み、たまたまこの書斎に現れる可能性は、確かにある。


 しかし、ありえないため、ガーネックさんは動けない。


 代わりに、ねずみは見せ付けるように、頭を指差した。

 違和感が強烈だが、意識はねずみの頭へと向けられた。正しくは、王冠のように輝かしい、指輪であった。


「ちゅ~、ちゅ~………」


 そう、指輪だ。


 ねずみが餌をあさるように宝石箱に頭を突っ込み、偶然、指輪がはまってしまった。そんなバカなと言うことも、あるのだろうか。

 いいや、ない――と、ガーネックさんは立ち上がった。


「な、なぜだっ!」


 机の形が、変化していた。

 隠し扉が、開け放たれていた。

 ねずみが頭にかぶっているのは、ガーネックが裏の社会ともつながりがある証である、指輪である。紋章はコインと酒瓶をあしらい、裏の書類に押印するための紋章である。

 宝石箱をずらし、その下の仕掛けを動かさねば、現れないのだ。


 ありえない――


 しかし、ねずみはすでに、頭にかぶっていた。


「ちゅぅうう~っ」


 ねずみは、雄たけびを上げていた。

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