第84話 下水のワニさんと、追いかけっこ(上)


「くまぁ~………」


 巨大なレンガのアーチを前に、オットルお兄さんというクマさんは、うなだれていた。小さな魔法のローブを肩にかけた、まるで、ぬいぐるみのクマさんが服を着たような姿だ。

 むしろ、サーカスのクマさんだ。


 漂ってくる下水の空気を前に、涙目だった。

 背中のお子様も、涙目だ。


「ねぇ~、ホントにここ、入るのぉ~?」


 質問を口にしていながら、行かねばならないと知っている。

 クマさんの背中では、フレーデルと言う赤毛のドラゴンちゃんも、尻尾をだらりとたらして、やる気のなさを表していた。


 下水の入り口が、目の前である。


「レーゲルお姉さんは、大変、な・ん・だ・ぞ………」


 呆然とたたずむレーゲルお姉さんは、年下の恋人君を思って、弱音を吐いた。がんばっているのだと、ほめて欲しいと。


 今頃は、森林保護隊の本体と合流していることだろう。レーゲルたちの住まう丸太小屋が魔法関係で、上も承知だと言う説明のためだ。


 ささやかな、幸せな時間だった。


 みんなの前であろうと、遠慮することはない。レーゲルお姉さんは、可愛い年下の彼氏君に、あ~ん――と、ホットケーキを食べさせたのだ。

 みんな大好き、ホットケーキを食べた幸せ気分は、むしろ絶望のための味付けだ。


 臭気漂うせせらぎが、待っている。

 お師匠様は今頃、のんびりとホットケーキを食べているに違いない。


「下水の幽霊………赤い輝きの正体を突き止めろ………無茶だワン」


 噂話が、理由であった。


 下水管理人が、排水溝の隙間から、見たというのだ。赤い輝きが、下水をうろついていると。その時間はバラバラでありながら、くだらない都市伝説であると切り捨てるには、重要な情報であった。


 赤い輝き。


 それは、魔法の宝石の輝きだ。

 ただの宝石であれば、裏の世界へと消えていったかもしれないが、魔法の宝石なのだ。いったい誰が、手を付けるだろう。利益よりも、持ち主からの報復という危険が恐ろしく、売れるはずもない。


 そのために、行き場もなく、下水でさまよっているのだと思うと、同情の気持ちがこみ上げる。

 そう思うことで、無理やりにでも、気持ちを盛り上げねばならぬのだ。


「そうよね、町外れの、人がめったに来ないところ………さぁ、いくわよぉ~」

「えぇ~」

「目印、よろしくだワン」

「くまぁ~………」


 アニマル軍団の姿では、町に入ることが出来ない。

 噂を集める、魔術師組合と連絡を取るといった、雑用全てはレーゲルお姉さんに任されていた。


 久々のお出かけは、下水であった。


 積極性が皆無なレーゲルお姉さんの号令に、嫌がるフレーデルちゃん。駄犬ホーネックに、オットルお兄さんのクマさんも、悲しい鳴き声を上げながら、あとに続く。


 巨大な鉄格子を開けて、冒険の始まりだ。


「うわぁ~………早速、暗くなった」

「炎でもだす?」

「いや、目立つとまずいワン」

「くまぁ~、くまぁ~」


 地下迷宮という例えは、冗談ではない。


 入り口の明りからも、すでに見放されている。まっすぐ進むうちに曲がり道に入ったためか、上ったためか、下ったためか………


「魔法で目印してても、不安ね――」

「炎だそうか?」

「く、くまぁああ?」

「やめるんだワン」

 

 魔法とは、便利だ。

 暗闇でも、魔法の目印の気配で、たどった道がわかるのだ。ただ、雛鳥ひなどりドラゴンちゃんの炎だと、せっかくの目印の魔力も消し飛びそうで、大変なのだ。

 そうでなくとも、出口にたどり着けるか、とっても不安であった。


 不安を振り払うように、レーゲルお姉さんは、口を開いた。


「下水にうろつく赤い光………本当に魔法の宝石なら、他の魔法使いが気付くでしょうに」

「お師匠様が探せばいいんだワン………犬には地獄だワン」

「うぅ~………森に戻りたいよぉ~………って、出口、どっち?」

「くまぁ~?」


 不安な暗闇を、ひたすら進むアニマル軍団。

 幽霊が出る時間はバラバラで、夜を待つ必要もないのが救いだった。太陽が上にあるのに、この暗さなのだ。

 使命を帯びた、迷宮の探検家の気分だろうか。


 残念ながら、迷宮から出られない、遭難者の気分だった。


 先頭を行くレーゲルお姉さんが、立ち止まった。

 目印としての魔法の刻印を壁に刻みながら、気付いた。


「あれ、なにか光ってる?」

「明りだワン、助かったワン」

「だったら、もう帰ろうよぅ~」

「くまぁ~………」


 相手から近寄ってくるとは、ありがたい。そう思っていたのだが、嫌な予感も一緒に、現れたのだ。


「光ってるって言うか………まぶしくない?」

「なんか、ヤバそうだワン」

「ね~、あれ、花火?」

「く、くまああああっ?」


 幽霊の輝きにしては、まぶしかった。いやな予感に、あとずさるレーゲルお姉さんと、駄犬ホーネック。


 反対に、フレーデルちゃんはドラゴンの尻尾をパタパタとさせている。好奇心の塊の子犬のように、帰りたい気持ちは、忘れたようだ。


 一番おびえているのは、クマさんだ。

 クマさんのオットルお兄さんだけが、気付いていたのだ。巨体であるために、遠くまで目が届くのだ。


 ヤバイ――と、気づいてしまった。


 鳴き声も、近づいてきた。


「ちゅううううううううううっ!」


 にげろぉぉおおおおおおおおっ!―――


 ねずみが、叫んでいた。

 ねずみさんの言葉が理解できない方々であっても、この言葉だけは、明確に理解できたであろう。

 アニマル軍団の皆様は、理解した。


 逃げろ――と。


 ついでに、謎の四人組が、走ってきた。



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