第57話 駄犬、ホーネックの冒険
誰もいない裏路地に、どこにでもいる、小汚い駄犬がいた。
ホコリまみれ、土まみれで、おバカにも、砂場ではしゃいでいたのかと、道ですれ違った人々は思ったことだろう。
銀色のつんつんヘアーのお姉さんから、命からがら逃げてきた駄犬だとは、だれにもわかるまい。
公園から離れたと安心した駄犬は、安心のため息をついた。
「ふぅ、危なかったワン………」
駄犬が、汗をぬぐう仕草をした。誰かがこの光景を見れば、驚きに叫ぶか、誰かを呼びに駆け出すだろう。
おい、あの犬を見ろ、捕まえろ――と。
そこまで、お間抜けではないらしい。駄犬ホーネックは周囲を見渡すと、駆け出した。中身は、見習い魔法使いの少年、ホーネックである。
楽しい仲間たちとともに、動物に意識を移す実験を行い、元に戻れなくなった一匹である。
人間時代、ホーネックは本の虫と呼ばれ、本とともに過ごすことに喜びを感じていた。それはもう、どこに出しても変人と言う、本好きの少年だった。
本が生み出す世界が好きで、本を触る触感が好きで、それぞれに異なる匂いが好きだった。古くなった紙の独特な香りに、かび臭い本に、清潔な、加工したばかりの薬品の香りに………
正に、変人と呼ばれるほどの、本好きだった。
学習能力はとても高く、本の内容を、全て把握していると言われる。それが、学業成績につながれば、学者と言う未来が開けるはずだ。
だが、ホーネック少年は、魔法の力も持っていた。
おかげで、魔術師組合に所属することができた。目当ては、膨大な所蔵を誇る、不思議図書館との俗称を持つ図書館だ。
しかし、修行中の少年では、立ち入りが許されない部屋がある。いつか、そこへ向かうことが目的となって………
今は、駄犬となっていた。
「ふぅ、ふぅ………走るのは、苦手だワン」
苦手といいつつも、走り続けている。人間時代には、これほどの体力はなかった。
駄犬ホーネックは、走り抜ける
人間に戻れない理由だと、自覚していた。
術を試し、人間に戻ったのは、たった一人。仲良し五人組のリーダーである、銀色のツンツンヘアーの、レーゲルお姉さんだけだ。
何とか、人間に戻らなくては。
そんな焦りが、気付けばお姉さんに戻っていた理由らしい。
おかげで、助かっている。誰かが魔術師組合へ向かい、日々を守らねばならない。お師匠様にはバレてしまったが、まだ、世間一般の魔法使い達には知られていない。
自分達で解決しろと、言われただけだ。
それはそれで大変だが、処罰されるより、マシだ。
駄犬の姿で過ごす現状で、すでに罰のような、自業自得のようなホーネック。
少なくとも、地面から首だけを出して、明け方までクモの方々のマイム、マイムを楽しむよりは、マシかもしれない。
いや、それより………
「はぁ………帰ったら、殺される………ワン」
お姉さん、ぷんぷんダゾ――と、一切の感情がこもらないセリフで、串刺しは確定だ。
ドラゴンの尻尾が生えているフレーデルちゃんに、クマさんのオットルお兄さんでは、街に入れない。唯一、街中を駆け回っても違和感のない駄犬ホーネックは、ネズリーの意識が宿った動物を探せと、命じられたのだ。
そんな、無茶な。
犬の嗅覚が優れているといっても、具体的な手がかりが皆無では、無茶なのだ。やむなく街中を徘徊していると、見てしまったのだ。
ぞぞぞ――とする光景に、出くわしてしまったのだ。
よそでやれという、大変迷惑な光景を見て、ハラをよじって何が悪い。怒るくらいなら、本当に、よそでやってほしい。
ため息をついた駄犬は、立ち止まった。
「ついたワン」
ネズリーの住まいへ、到着した。
唯一の、手がかりだ。
おんぼろの安い賃貸は、築五十年と言う。その場しのぎの修繕は、前衛アートの域にある。
おかげで、駄犬が階段を上っていても、部屋の扉を開けても、だれも気にしない。
「………おじゃましま~す、だ、ワン」
扉を開けると、ボロボロのベッドの上に、ぼろ雑巾が横たわっている。見た目の印象は間違っておらず、使い古された魔法のローブを着たまま、眠り続ける友人、ネズリーがいた。
正直、才能があるのではないかと、思っている。魔力さえフレーデル並みであれば、ドラゴンの神殿に迎えられるほどだと。
歩くミイラのお師匠様に及ばずとも、偉大なる魔法使いと呼ばれたい。誰もが驚く力を手に入れたいという夢や、野望の持ち主なのだ。
魔力が、不足しているだけだ。
細かな芸当、魔法の力と手先の器用さで、まじないに
魔法の力はフレーデルに
二人の中間と言うべきか、ネズリーは細かな作業が得意であるだけでなく、魔法の操作にも
続かないだけだ。
魔力が、すぐに底をつくだけだ。
誰もが誰もをうらやみ、自分の得意分野で、
「早く、目覚めるんだワン」
ぽんと、眠る友人の腕に触れて………駄犬ホーネックは、違和感に気付く。
何かを、握り締めていた。
誰も、気付かなかったのか、わざわざ眠る仲間の手を見つめる暇はない。たまたま気付いたのは、たまたまだ。
「………メモにしては、おかしいワン」
犬の手であることが、少しもどかしい。
本のページをめくる、扉を開けるということは出来ても、細かな作業は苦手である。犬の手で、人が握っている紙切れを取るなど、とても大変だ。
「………なんだ、ゴミだワン」
駄犬ホーネックは、そう判断すると、立ち去った。
犬の嗅覚が教えている、安っぽいジャムの香りが、紙切れの間から漂うと。偶然、汚れがついた紙切れが、くっついたのだろうと。
ねずみが木の実をつぶして、インク代わりにしたなど、わかるわけもない。折りたたんだために、長く、人の手に握られていたために、文字がつぶれたなどと、分かるわけもない。
――ねずみ生活、始めました。
ネズリー生存の手がかりは、こうして、失われた。
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